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第94話 それから

4月から那央と橘の仕事が始まった。 朝食を四人で囲む。 スーツ姿の那央と橘。 藤波もシャツにパンツ姿だった。 「今日はお出かけですか? 」 橘が藤波にきいた。 「ああ、映画を観に行く」 翔優と出かけるとき、藤波は洋服を着るようになった。 着物だと、否が応でも目立ってしまうからだ。 翔優が朝食を出す。 スクランブルエッグ、オニオンスープ、ヨーグルトにひのぱんだ。 ひのぱんの小麦と、コーヒーの香りが爽やかな朝を演出する。 「英公は偉そうで話が長いからな、適当にあしらってくれ」 藤波が那央に言った。 「いえいえ!先日話して、勉強になりました。毒舌ぶりはさすがに親子だなって思いましたけど」 「はは。同族嫌悪だよ」 近々、メモリアに藤波の両親を呼ぶらしい。 「今日の夕食には樋野さんにも来てもらって、その後お店の打ち合わせをする予定です」 翔優と樋野は、本格的にメモリアを週三回以上開店して、いずれ独立したお店をだそうという話になっていた。 「樋野さんが欲求不満な時は、ちゃんと相手をしてあげるんだよ」 「わかりました」 藤波と翔優の会話を、那央はスクランブルエッグをツンツンしながら聞き流そうとした。 「あと、僕も執筆に忙しくなるから、莉音は僕の代わりに翔優の相手をほしい。バイト代は出すから」 「しませんよ!本人がいるんですから、要芽さんががんばってください! 」 橘はちょっと怒ってパンをかじっている。 「翔優の体力が有り余っているのが厄介なんだよな。箏じゃなくて、スポーツをやらせるべきだった」 藤波は橘の返事が聞こえないかのように、優雅にコーヒーを口にした。 ♢♢♢ 翔優も忙しくなり、送迎が難しくなるということで橘は車を購入した。 那央を学園に送ってから出勤する。 「……先輩……最近冷たくないですか……? 」 「そうかな……」 「……あまり、寝る前にイチャイチャしてないな、って思って……」 「欲求不満なの?」 「いや、その……怒ってるのかな、って。先輩が翔優さんに襲われてる時に、助けなかったから……」 「ちょっと見捨てられ感はあったよね。まあ、助けに来てたら、那央が危なかったから、別にいいんだけどさ」 森を抜けて街に出る。 ひのぱんの前の交差点で赤信号で止まった。 店の前でこの間メモリアに来た奥様と樋野が話している。 奥様の隣には若い女性がいた。 樋野に紹介していた、帰省した娘かもしれない。 那央は、窓を開けて挨拶しようとしたが、三人とも楽しそうに話し込んでいたのでやめた。 「あの時……スーツで押し倒されている先輩が、色っぽかったので、ついつい助けに行きそびれたんです……」 正直に言った。 「なにそれ」 橘は笑った。 「俺は、橘フェチだから、しょうがないんですよ」 言ってて恥ずかしかった。 「じゃあ、俺と似てる要芽さんも許容範囲? 」 「要芽さんはちょっと独特なんで!まあ、洋服姿の要芽さんもカッコイイですけどね。それに迂闊なことを言ったら、翔優さんに毒を盛られます」 やりかねない……と、橘は思って笑った。 まもなく学園に着くところだった。 赤信号で停車する。 「那央……」 呼ばれて横を見ると、橘からキスをされた。 「…………………………」 那央は嬉しさで無言になった。 「今日も頑張ってね」 「うん……」 橘に頭をなでられる。 先生として働くのに、まるで幼稚園児並みの甘やかされ方だ。 ♢♢♢ 昼過ぎ、映画を見終わった藤波と翔優は喫茶店に入った。 創作ランチメニューのお店だ。 翔優と樋野は、旬の食材を使ったお手頃な定食屋を考えているようだった。 手軽な食材、簡単な作り方をお客さんに教えて、料理を楽しんでほしいと考えていた。 その勉強として、今は食べ歩きをしている。 翔優は目当てのランチメニューを頼み、藤波はお店のオススメのカレーを頼んだ。 「さっきの映画、どうだった? 」 「ええ、面白かったんですけど、宇宙人がコミカル過ぎて、せっかくの感動が薄れている気がするんです」 「同感だな。突飛すぎて、雰囲気がブチ壊しだ。もっとシリアスに寄せた方が良かったと思うよ」 二人でそんな会話をしていると、隣の席のおじさんが突然立ち上がった。 『なんやと!宇宙人がコミカル過ぎ?あれでも抑えた方なんやで!むしろ中途半端にしたからよくなかったんや!等身大のワシの、コミカルでキュートなキャラをそのまま使えば良かったんや!』 小柄で小太りなおじさんは、翔優の隣に無理矢理座ってきた。 「……え?あの宇宙人役の人? 」 翔優がおじさんの顔を見て目を丸くした。 「せや!いや、ちゃう!役者やない、宇宙人本人や!映画の通りな、あの有名な童話作家はワシとの出会いがきっかけで、世界でも大人気の名作が書けたんや。その奇跡を映画にしたい言われて、最初は断ったよ。ワシの存在がバレたら世の中に名作が溢れるやろ!ってな。でも、どうしてもやりたいゆうから協力したのに、見てぇや!この口コミ!」 おじさんがスマホを見せた。 邦画『銀河列車で行こうや!』 評価3.2 口コミ ★★★ストーリーは最高!泣けた。でも宇宙人設定が浮いてる。 ★★童話作家の伝記的映画。映像と音楽最高。映画全体が童話のような作りなのはいいと思うが、肝心の宇宙人の役者が大根すぎる……。 ★制作側の努力を無にする宇宙人役者の演技。一気に冷めた。プロを雇うお金が無かったのかな? 『宇宙人本人の出演やのに!なんでワシがこんなん言われなあかんの?!』 おじさんは突っ伏して泣いた。 「現実と創作は違いますからね」 藤波は笑って言った。 「おじさんは……本当に宇宙人なんですか? 」 翔優はいきなり二人の時間に割って入ってきた怪しいおじさんをじろじろと見た。 『そう言うてるやんか。あんた、作家やろ?兄ちゃんは、料理人』 いきなり言い当てられて、二人はギョッとした。 『作家先生ぇ……ワシは悔しいねん!せっかくの銀幕スターの仲間入りや思たら、デビュー作でコケるなんて!なんとか次の作品で巻き返したいんや!ワシが出演できるような本を書いてくれへんか? 』 藤波は腕を組んだ。 「……なかなか私の本には、あなたのようなコミカルなキャラが出ることがなくて……」 翔優も作品のキャラを思い返したが、合いそうなキャラは思い浮かばなかった。 『わかった!じゃあ、最初からワシが活躍したエピソードをあげればええな!かの童話作家みたいなインパクトは無いけどな、ええ話やで。あれは2年前のクリスマスや。ワシはサンタのバイトをしてたんやけど、うっかり若者を自転車でひいてもうたんや……。で、その兄ちゃんってのがな……』 身を乗り出して得意げに話す宇宙人。 話に引き込まれる翔優。 真剣に耳を傾ける藤波。 研究所で仕事をする橘。 グラスを拭く坂上。 病室で外を眺める獅堂。 獅堂の手紙を読むアキ。 レジでパンを渡す樋野。 スイーツを焼くアンプデモアのオーナー。 学園で英公と共に生徒とディスカッションをする那央。 全ては、那央の、小さな恋から始まった物語。 ― カフェ・アンプデモア 完 ―

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