2 / 20

第1話

「部室片付けとけよ、役立たずの鹿島千樫クン」  そう厭味ったらしく言って部長らは帰っていった。  散らかされた剣道部の部室を、呆然と眺めていた。  ゴミはもちろんゴミ箱には入っていないし、何ならゴミ箱はひっくり返されている。ご丁寧に飲みかけの飲み物も床にぶちまけられていた。 「……」  仕方のないことだ、と俺は片付けにかかる。  こんな日々が続いて半年ほどだろうか。  自分はこの大学の剣道部で誰より体格がいい。身長は二メートルをちょっと超えたくらい。筋トレもしている。少なくとも体格には見合った筋肉がついていると思う。  でも、剣道部において自分は一切貢献できなかった。  誰より体が大きくても、いざ打ち合いとなると気が引けてしまう。  そのため、期待からの落差で顧問も部長も主将も、皆が失望した。  始まったのは嫌がらせの日々。  陰口からスタートして、部室の掃除係を任された自分を困らせるように毎日部屋は汚く散らかされる。  でもしょうがない。  剣道は勝ってなんぼの世界だ。  勝てない人間など居場所がない。  高校までは優秀な成績だった。全国大会にだって出場した。  家が剣道の道場をやっていたから剣道は当たり前のように身近にあった。  それが、今は。  今年、大学合格後に両親が事故で亡くなった。  どうしたらいいのかわからないまま何も知らない都会の大学に通うことになった。  そして、当たり前のように剣道部に入った。  そこで気付いた。俺は強くなるために剣道をやっていたのではなかったと。  剣道の段位が上がったり、大会でいい成績を残すと両親や周りの人たちが喜んでくれる。  それが嬉しくて、父さんと母さんの笑顔を見たくて頑張っていた。  だから両親を亡くしてから目標、原動力がなくなってしまった。  それでも、亡くなった両親との絆である剣道をやめることはできなかった。  剣道をやめたら、それこそ自分はひとりぼっちになってしまう気がした。  田舎から出てきたばかりで頼る友人もいない。  元から人見知りで、自分から声をかけるなどできないたちだった。  だから、どうしたらいいのかわからないまま夏を迎えた。  夜遅くになるまで部室を片付け、帰宅ラッシュで混んでいる電車に乗り込んだ。  終点に向かうにつれて、人が降りて空席も目立ち始める。  流れる駅名の看板を見ながら、今日家に帰らなかったらどうだろう、とふと思った。  今日が終わらなければ、明日は来ないんじゃないかと思った。  そして空席に腰を下ろし、ただ過ぎ行く景色を眺めていた。  疲れていたのか、いつしか寝てしまい終点まで来てしまった。  時刻は八時過ぎで辺りは真っ暗、山奥である。  都会でも終点まで乗れば山奥なんだな、と思いながら電車を降りた。  まだ終電まで余裕がある。  現実逃避を続けたくて駅を出た。  山奥だからか意外と涼しい。  ぽつんと灯っている電灯の灯りを頼りに歩き始める。  これじゃまるで家出だ。  夜の道沿いには俺の背丈ほどの向日葵が咲いている。夜に見る向日葵はどこか不気味だ。  急に心細くなる。  でも、家出をすると決めたのだ。  少しのモラトリアムに浸りたい。  今日だけ、今日だけだから。  明日からは、また上手くやっていくから。  今まで抑え込んでいた不安が、一人の夜に押し寄せてくる。  自分は何もできない。何者にもなれない。誰にも頼ることはできない。  そう思うと視界が滲む。 「俺、このまま何もできないまま死んじゃうのかなぁ……」  捻りだすように呟いた声は震えていた。  生きる意味は自分で勝ち取らないといけない。そんなことはわかってる。でも、強く在れないときだってある。 「……ねえ」  場違いな声がする。  そういえば。  この駅の近くで昔に事故で死んだ子供の幽霊が出るという噂を聞いたことがある。  遠慮がちに声をかけられた。まだ声変わりをしていない少年の声だ。  声のしたほうを見ると、焦茶の髪に半袖の白いシャツ、パリッとした半ズボン。綺麗な革靴を履いた少年がいた。  傍目に見てもいいところのお坊ちゃんだ。  こんな時間に一人で、どこからか迷ったのだろうか。  少年は俺のほうに駆け寄ってきた。 「ここ、どこ」  泣きそうなのをこらえるような声だった。  それを見て、少年の前で情けないところを見せられないと背筋が伸びる。  福代だと駅名を教えると、知らない、とだけ帰ってきた。  どこから来たのかと尋ねると、したにや、と言われた。聞き覚えのない地名だった。  とりあえず保護すべきだろうと思って、少年に視線を合わせるように膝をついて話を聞く。 「一人でどうしたの」 「……家出、した」  その声は震えていて、家出したのを後悔しているのが手にとるようにわかった。  そして、その内容に少し安堵した俺がいた。 「そっか。俺も家出してるんだ」 「大人、なのに……?」  少年は困惑するように言った。 「大人ってほどじゃないけど……。でも、大きくなっても嫌なことから逃げ出したいって気持ちがなくなるわけじゃないよ。俺は、そこまで強くないから」  両親は嘘はよくないと言っていた。  自分より年下の少年とはいえ、嘘は言いたくない。  子供の頃、子供の言うことだからと適当にあしらわれた思い出もある。  家出をしたからには深刻な事情があるのだろう。そんな少年を子供扱いして軽んじることはできなかった。 「こんなところにいても危ないから、俺とおいで。お父さんお母さんに連絡するから」  そう言うと少年はびくりと肩を震わせた。 「お父さんとお母さんと、仲が悪いの?」  まさか虐待じゃないだろうな、と探りを入れる。  見たところ痣や怪我はないようだが。 「……俺のせいで、お母さん死んじゃった。お父さんがそう言ってた。お父さんは俺が嫌いなんだ」  言うと、自分が言っている事実の重みに耐えかねたのか少年は泣き出してしまった。  突然泣き始めた少年を前に何もできなかった。  しかし辺りに頼れる大人もおらず、家も遠い。  自分が何とかしなければ。  そう思った自分は少年に背を向けてしゃがみ込んだ。 「ほら、おんぶしてあげる。俺の家まで行こう。一人で暗いところにいるから落ち込んじゃうんだよ」  見ず知らずの男に背中を見せられても、少年は大人しくその体を預けた。  ぽつりぽつりと街灯があるだけの夜道を自分たちは歩いた。 「俺のお母さん、体が弱くて……。俺を産んで死んじゃった。だからお父さんはお前なんか生まれなければよかったって、よく言うんだ」  泣きじゃくりながら少年は言った。この思いを誰でもいいから吐き出したかったのだろう。それでは家出もしたくなるというものだ。 「周りに助けてくれる大人の人は、いないの」  少年は少ししてから言った。 「今は、親戚のおじさんの家に預けられてる。おじさんは優しいよ」 「そうなんだ」 「……どうすれば、いいかな」  突然の問いかけに少年の様子を窺う。 「どうって?」 「死んじゃった人は、助けられないでしょ」  自分は思わず言葉を失くした。  こんな年端のいかない子供が、自分が生まれたことを悪いことだと思っている。そして、その贖罪をしようとしている。  自分がこの少年くらいの歳は何も考えずに遊んでいたものだ。  それが、この少年は。自分を責めている。 「うん。そうだね。死んじゃった人は戻ってこない。……でも」 「でも?」 「誰かを助けられなかったら、別の誰かを助ければいい。ありがとうって言われるけど、それは君のお母さんが君に言いたかったありがとう、だよ」 「別の誰かを、助ける……?」 「そう。英雄になる、ってことかな。みんなを助ければ、誰だって、お父さんだって文句は言わないよ。それに、お母さんも嬉しいんじゃないかな」 「お母さんも?」 「もし俺に子供がいて、みんなを助ける英雄になったら、それは嬉しいな」  少年はいつの間にか泣き止んでいた 「……だったら、俺、英雄になる。みんなを助けて、天国のお母さんに褒めてもらうんだ」  それは、幼くとも覚悟を決めた男の言葉だった。 「うん、そうするといいよ」  言って、ポケットからスマホを取り出す。  そこには両親からもらった、神社でもらった武運長久のお守りがついている。その朱色のお守りは今の俺には少し重い。これを少年に託そう。 「これ、あげるよ。強くなれるお守り」 「くれるの?」 「うん。これがあれば、君は絶対に英雄になれるよ」 「ありがとう、お兄ちゃん」  少年はお守りを大切そうに受け取った。 「それにね、大事なことを教えてあげる」 「大事なこと?」  少年は不思議そうに首をひねった。 「これは、俺の父さんがよく言ってたこと。学者さんの言葉。"どんなときも、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない"」 「……どういう意味?」 「君が誰にどんなことを言われても、自分の生きる権利は自分で勝ち取るってことだよ。君は自分のために生きていいんだ。それは誰にも否定できない」 「そうなの……?」 「うん、本当だよ」  少年は考え込むように少し黙った。 「ねえ、お兄ちゃんの名前は?」 「俺は千樫、鹿島千樫だよ」 「千樫のお兄ちゃん! 俺の名前はね……」  その声だけ残って、ふっと体が軽くなった。 「え……?」  少年の体は消え、辺りには誰もいない。  何だったんだ、今のは。  まさか、この辺りに出る子供の幽霊だとでも言うんじゃないだろうな。  戸惑っていると、急に辺りが光に染まる。  その正体がトラックのヘッドライトだと気付く頃には遅かった。  キィーというスキール音。  やかましいほどに鳴るクラクション。  俺は動けず、衝撃が体を襲った。  次に目が覚めたのは、夜の山だった。  今までのは何だったんだ、と思う暇もなく異変に気付く。  もう何がどうなってもおかしいのだが、辺り一面の岩肌の山を照らすように月と紫の紋章が光っている。  その紋章を天使の輪のように頭上に戴く、ビルのように巨大な牡牛。  怪獣映画のような風景に息をするのも忘れた。 「なんだ、あれ……!」  本能が理解を拒んでいる。  あれに近付けば死しかないと体は悟っていた。  しかし、逃げるにはあまりに近すぎる。  あの牡牛から逃れてきたのか、黒い制服を着た人間が何人も過ぎ去ってゆく。 「待って、何なんですか、これ……!」  問いかけも無視された。誰かに構うよりも己の命のほうが優先されるほどの緊急事態らしい。  牡牛が地面を踏み鳴らすと地震のような振動が響く。岩肌が崩れて岩が転がり落ちていく。運よく巻き込まれずに済んだ。  暗闇の中を一筋の赤い光が走る。  今度は何だ、とそれを視線で追うと、刀を持った黒い制服の男であることがわかった。  手に持っている刀が赤い光を放っているのだ。  黒い制服の男は牡牛に向かって走っている。  すると、その行く手を阻むように宙にいくつも紋章が現れて、牡牛が現れる。  普通の牛の大きさではあるのだが、武器を持っていようと突撃されたら人間には勝てそうにない。  現れた牡牛は斜面を俺と男に向かって一直線に駆けてくる。  逃げ遅れた制服の人間たちは牡牛に突撃され、ミンチでも作るかのように踏みつぶされて肉塊になった。  男はそれを赤い光を纏う刀で斬り払った。  その太刀筋は弱弱しく、何とか刀を持って振るっているといったようだ。  真っ二つにされた牡牛の体は斜面に倒れ、中に詰まっていた紫色の泥が零れだした。  男は大きく肩で息をし、その場に膝をつきそうになるのを何とかこらえている。  その隙に男の背後から牡牛が突進する。男は気付くも避ける術がなかった。まるで車に撥ねられたかのように男の体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。 「が、っ……!」  わずかな呻き声が風に乗って耳に届く。  このままではあの男が殺されてしまう。  周囲を見渡す。  近くにはあの男が持っているような刀が落ちていた。  ――やるのか。  これを手にして、あの化け物と戦うというのか。  半端な覚悟で戦えば死ぬ。  かといって、あの男が助けてくれるという保証もない。  俺は周囲を警戒しながら男に近寄った。  男は刀を支えにしてふらふらと立ち上がる。  そこに牡牛が真正面から迫った。  男は息を整えると刀を構え、牡牛を迎え撃つ。  早くても遅くても駄目だ。  チャンスは一瞬。  男はそれを待っていた。  そして牡牛が自分の間合いに入った瞬間、最低限の動きで牡牛を斬り払う。  そして、男はそれが最後の力だったとでも言うように地面に膝をついた。  偶然ではあるが助けられたのだ。  俺は男に駆け寄った。 「大丈夫ですか……!」  男は刀を支えに何とか体を起こしている、という有様だった。 「は、ぁ……っ」  黒い服はぼろぼろで、ところどころ破れている。  いや、そんなことはどうでもよかった。  後ろに撫でつけた焦げ茶の髪が汗で濡れている。  右目には眼帯。  口と顎髭を生やした、野生の黒狼のような男だった。 「俺、が……、守らねえ、と……」  執念のようにそう呟く男を、抱きたいと思った。  何故も理由もいらない。  股間に血が集まって交尾の準備は完了している。  幸い男に抗う力は残っていなかった。  理性はとっくにどこかに吹き飛んで今は目の前の男を犯すことしか考えられない。  心臓が脈打つごとに欲望が膨らんでいく。  男を地面に押し倒し、制服のズボンと下着を脱がせる。 「お、い……、あんた、なん、で……!」  それだけのことがやけに苛立たしかった。  早く自分のものをこの男の中にぶちまけたいのに。  最低限脱がせて、自分のいきり立った男性器を露わにする。  先走りで濡れているそれを、男の後孔にあてがって一気に貫いた。 「あ、ああああっ……!」  慣らしもしない後孔は男性器を受け入れて血が滴った。  男の腹の中の肉襞が男性器に絡みつくようだ。 「おい、どうし、て……っ! ぁ、あっ、ああぁっ!」  男は困惑した様子だった。  それもこの行為をやめる理由にはならない。 「んっ、んぅ……っ、あ、は、ぁ……」  男は快楽に喘いでいた。   突然見知らぬ男に犯されながらも、その声は悦楽に濡れている。  腰を動かして男の腹の中を楽しみつつ、上衣も脱がせた。  目的は項。  なぜかわからないがそうするべきだと思ったのだ。  だが、男の首には首輪が嵌められていた。  首輪の上から噛みつくも、歯形の一部を刻むに留まった。  理性などへったくれもない。  ただただ本能で動いていた。  首元が駄目なら欲望だけでも。  そうして男性器を引き抜き、勢いに任せて腰を打ち付け、その最奥に欲望を吐き出した。 「あっ、ん、んんぅ……」  白濁が尽きるまで、何度も精を吐き出した。  もう出すものも残っておらず、欲望も萎んだ。  それでやっと冷静になった。  自分は、見ず知らずの男に、なんてことを――。 「……助かった」  風に乗って届いた呟くような声はそう聞こえた気がした。  男は先程までの弱ったのと打って変わって、すっと立ち上がると手早く着衣を整え、刀を再び手に取る。  刀は先程より鮮烈な赤い光を放っていた。 「待って――!」  男は制止するより早く、巨大な牡牛に向かって駆け出した。  そうだ、目の前の男を犯すのに夢中であんな化け物がいるということも忘れていた。 「何なんだ、これ……!」  そう思いながら男の行方を目で追う。  男はどんな身体能力か巨大な牡牛の前に大きく跳躍する。  反撃する隙も与えずに袈裟懸けに一刀両断してしまった。  その巨躯は崩れ落ち、頭上の紋章も光を失った。  男は体操の選手のようにくるりと身を翻して地面に着地する。  やがて男は俺の元に歩いてきた。 「あ、あなたは……」  それと同時にばらばらと轟音が響き、空から黒いヘリコプターが近付いてきた。民間のものではない、迷彩柄をしていて軍事用のようだ。機銃が付いている。 『ディヒト! 大丈夫か!』  ヘリのスピーカーから男の声が聞こえる。慌てた様子だった。  黒い制服の男は平気だ、と言うように持っていた刀をぶんぶんと振ってみせて、俺を指し示した。  俺も連れていってくれるのか。  やがてヘリコプターは限界まで近寄り、梯子を下した。砂が風に巻かれて舞い上がる。  ヘリコプターのローター音で声は聞こえなかったが、男は先に登れ、と促していた。  好意に甘えて梯子を登った。  それから男が梯子を登ってヘリコプターに乗り込んだ。  ヘリコプターの中で、金髪のオペレーターらしき男が不審な目でこちらを見ている。  知りたいのはこっちだって同じだ。  なんで急にこんな目になったのか、ここはどこで何が起こっているのか。    ヘリコプターは山を離れ、平地を飛んだ。  そして、窓から見える景色に絶句した。  廃墟。がらくた。塵芥。  まるで精巧に作ったミニチュアの街を手当たり次第に踏みつけたような有様だった。  そんな街がいくつもある。  やがて半透明の天井に包まれたドームのそばのヘリポートにヘリコプターは着陸する。  ローターが制止してやっと静かになった。  隊員に促されて俺もヘリコプターから下りた。 「……お前、何者だ」  制服の男は俺を真っ直ぐに見据えてそう尋ねた。

ともだちにシェアしよう!