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第3話

 電源が入ったようにパッと目を覚ます。  あまり夢は見ない性質だ。  枕元の時計は丁度十二時。これだけ寝ていれば十分だ。  毛布を剥いで、のそのそと起き上がる。  ベッドから出て歩くと、部屋の入り口の籠に使用済みの毛布を投げ込んだ。  仮眠室前の休憩スペースには何人かが軽食を取ったり、スマートフォンのような端末を眺めていたり、壁にかけられたテレビを見ていたり、思い思いの休みをとっていた。服装は皆同じで看護師のような服を着ていた。  一瞬全員の視線がこちらに向く。  それはそうだ。こんな大男は昨日までいなかったのだから。  しかしアカートが話を通してくれていたからなのか、誰からも話しかけられることなく、ちらりと見られるだけで終わった。   部屋を出てアカート達のいた部屋に向かう。 「おい」  そう声をかけられて声のしたほうを見る。  近くのソファにディヒトバイが座っていた。俺が反応したのを見るとディヒトバイは立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。  いつも通りの黒い隊服に、腰には刀を差している。それとは別に刀をもう一本持っていた。脇には何やら紙袋を抱えている。  そして、俺に近づくと俺の顔を見上げてきた。それはそうだ、体格差は優に二十センチはある。俺の顔を見ようと思ったら見上げるしかない。 「…………」 「ど、どうしました」  ディヒトバイは無言で俺を見つめたあと、視線を逸らして言った。 「改めて、千樫、お前は馬鹿でかいと思ってな。ガキからじゃ巨人に見えるだろうな」 「巨人って、そんな大袈裟な……」  ディヒトバイは俺の答えを待たずに持っていたものを差し出した。 「カードキーだ。これがねえと特研に入れねえからな」  言ってアルミ製のような金属のカードを手渡される。首から提げるようにストラップのついた透明なビニールケースに入っている。 「これは携帯端末。マニュアルは中に入ってる。あとで設定しとけ」  言ってディヒトバイはスマートフォンのような端末を俺に渡してさっさと歩き始めた。  この世界でも個人の持つ端末はスマホなのか、と感心していると、さらに何かを手渡された。  見ると透明なフィルムに包まれたサンドイッチだった。朝食とはありがたい。  ディヒトバイに置いていかれないように追いついた。  ディヒトバイの後に続いて歩くと、アカートのいた研究室に着く。  よく見ると扉に特別研究室と書かれている。ディヒトバイの言っていた特研とはここのことなのだろう。 「ほら、さっきのカードキー」  言ってディヒトバイはドアの横のカードリーダーにカードキーをかざせと手で示した。 「は、はい」  言われるがままにカードキーをかざす。するとドアが開いた。 「次は一人でできるだろ」  そう言ってディヒトバイは一足先に中に入った。ドアが閉まらないうちに俺も中に入る。  研究室の中は無人だった。  ディヒトバイはずかずかと奥に続くドアに入っていく。着いていっていいものかと悩んでいると、手で来い、と招かれた。  ドアを潜ると、モニター室の硝子の向こうである。  中には昨日ディヒトバイが寝ていた寝椅子に、いくつもの計測器。  部屋の中央には大きな硝子玉があった。  その中に、それはいた。 『やっほー、こんにちはー! カシマ・チカシくん!』  液体で満たされた硝子玉の中で、紫色の髪に丈の長い白い服を着た華奢な男が嬉しそうに手を振っていた。 「無視しろ」  ディヒトバイは青髪の男を一言で切り捨てた。 『そんな~! 基幹システムの僕がいないと軍本部は成り立たないのに、24時間365日頑張ってる僕に対してその態度~⁉』 「そんな態度だからだろ」  言ってディヒトバイは青髪の男を無視して進む。 『チカシくん、僕はフォカロル。この世界に現れた七機の悪魔の一つ、人間に協力しているいい悪魔なのでーす!』 「いい、悪魔……?」 『そうそうその反応! いいリアクションです!』  言ってフォカロルは両手を上げて喜ぶジェスチャーをした。 「ただの裏切り者だろうが」  またも切り捨ててディヒトバイはずかずかと奥に進んでいく。  その先には大きな金属製の装置があった。キングサイズのベッドくらい、だろうか。 『裏切り者とは失礼な! 僕がいなかったら人間なんてとっくの昔に滅びてるんですから! ディヒトってばつめたーい。それよりチカシくん、お話しましょうよ。ディヒトは君のどこを気に入ったのか、気になります~!』 「お、俺と、ですか……」  俺が困っていると、ガン、と大きい音が鳴った。何か金属を蹴りつけたような。ディヒトバイのいるほうから音がしたようだ。 「おい、起きろ」  言いながらディヒトバイはガンガンと装置を蹴り続けている。  すると宝箱のように装置の蓋が開く。  その中には青く透き通った液体が入っており、ウェットスーツ姿のアカートが蓋が開くのを待ちきれずに出てきた。 「ディヒトてめえ! 俺の貴重な睡眠時間を奪うとはどういうことだ! あと三分はあったぞ!」  青い液体でずぶ濡れになったアカートは、勢いよく装置から出てきてディヒトバイの胸倉を掴んだ。 「三分くらいでガタガタ抜かすな」 「俺の三分は貴重なんだよ! 俺の睡眠時間が三時間ってお前もよく知ってるだろ⁉」 「千樫が起きたんだ。話があるだろう」  アカートはディヒトバイの言葉でやっと俺がいることに気付いたのか、力なくディヒトから手を離した。 「なんだ、そういうことかよ。それにしたって、あと三分くらい待ってくれてもよかったじゃねえか……。短気は損気、そう言うだろ? なあ?」  言ってアカートは俺を見る。俺には何のコメントも出来なかった。 「何なんですか、この装置……」 「これか? これはアイソレーション・タンクの改良型だ。高濃度の魔力を帯びた水を張って、中に浮かんで寝るんだ。一時間で八時間程度の睡眠効果がある。滅茶苦茶に効くぞ」 『僕が! 僕が作りました!』  そう言ってフォカロルは硝子玉の中でにこにこと笑っている。 「俺は軍の研究部を預かる者として二十四時間忙しい身なんでな。こうして一日三時間の睡眠でやりくりしてるってわけよ。その貴重な三時間を三分も減らしやがって……。人が気持ちよく寝てたってのに、最悪な目覚めだぜ……」  アカートはディヒトバイのほうを見て愚痴りながらも、装置のそばに置いてあったワゴンからタオルを取って髪を拭き始める。  この妙な機械にどれほどの効果があるのかは知らないが、極限まで睡眠時間を削りながらもこの非常事態に臨んでいるというのは、アカートの覚悟を見たようで背筋が伸びる。 「まあいい、ここで話そうや。ここなら誰にも盗み聞きされねえしな。回線はどうだ、フォカロル」  アカートはそう言ってフォカロルに話しかけた。 『んー、大丈夫。盗聴の心配はないです』 「じゃあ問題ないな」  言ってアカートは話を切り出した。 「盗聴? 誰がそんなことするんですか……?」  アカートに尋ねると、アカートは大きく溜息をついた。 「統合軍も一枚岩じゃないってこったな。悪魔――フォカロルの力を借りていることに納得いかない連中もいるし、ディヒトが前線に出ずに特研に出入りするのを変に疑ってる連中もいる」 「そんな、悪魔を倒すために協力してるのに……」 「人間てのは極限状態になるほど浅ましくなるもんだ。どんなにいい人間でもな」 「そう、なんですか……」 「そういうもんだ」  アカートはそう言って話を終わらせた。 「ん、手に持ってるのは朝飯か? じゃあそれ食いながらでいいから話を聞け」  手に持っているサンドイッチを見て、アカートは言う。  立ちながらで落ち着かなかったが、食べる暇がないよりはいい。  包装を破ってサンドイッチにありつく。  どこにでもある、ハムとチーズのサンドイッチ。馴染みのある味に安心した。 「とりあえずチカシ、お前には携帯端末、個人認証カード、部屋を用意した。端末ってのは便利な電話みてえなもんだ。連絡先にディヒトと俺の分を登録しといた。機械は平気か?」 「はい、元いた世界にもこういうのがありますから……。多分使えると思います」  ポケットから端末を取り出し、改めて見る。スマホとそう変わらない。 「じゃあ大丈夫そうだな」  アカートは頷くと話を進める。 「次は個人認証カード。簡単に言うと財布と身分証だ。電子通貨が百万ベリン入ってる。身の回りを整えるのに必要な初期費用ってわけだ」 「ひゃ、百万も⁉」 「お前のいた世界の物価は知らんが、うちではそれだけあれば十分だ。部屋に家具はついてるし、服と日用品買って、あとは貯金しとけ。とはいえ、お前はディヒトと合わせて人類救済のキーマンだ。金に困るようなことにはならねえよ。変なことしない限りは残高は無限と思っていい」  その言葉に思わず緊張する。つ、つまりお金が使い放題ということでいいのだろうか。まだお金の使い方もわからない大学生だというのに。 「それと、認証カードはカードキーも兼ねてる。軍本部内ではレベル3までの区画、およびここ特研までに立ち入り可能だ。これに関しても特に困ることはねえだろう。俺は大体ここにいる。何かあったら顔出してくれ。出来る限り対応する。大事なものだから失くすなよ」 「はい、わかりました」  俺の答えに満足そうにアカートは頷いた。 「それで、だ。ここからが大事な話になる」  アカートが声の調子を低くしたので、こちらも残りのサンドイッチを口に放り込んで、慎重に話を聞く態勢を整えた。 「ディヒトのデータをとってわかったことがある。ディヒトはお前に精液を供給されてから身体能力が約六倍に跳ね上がり、その状態が一時間持続したあと、ガクッと落ちて普通の状態に戻る。悪魔とでも対等に戦えるだろう」  身体能力が六倍って、そんなゲームじゃないんだから。思わずそう言いそうになる。口の中にサンドイッチがなかったら言っていただろう。 「アスモダイの野郎、嫌がらせでディヒトをαの精液しか摂取できない体にしたが、こんなデカいメリットもあったってわけだ。人類最強の英雄の帰還、だな」  しかし、それは俺がディヒトバイと寝たらの話だ。  横に立っているディヒトバイを見る。  抱けるのだろうか。あの時のように。それとも発情フェロモンで理性もなくなるのか。そのほうが頭が真っ白になるだけマシだ。 「人類救済はお前ら二人にかかっていると言っても過言じゃない。世界のためにも頑張ってベッドで励んでくれ……っだ!」  ニヤついて言ったアカートの頭をディヒトバイが平手で叩いた。バシッといい音がする。人の頭を叩いて出る音ではない。 「次にそんなこと言ったら顔面に拳で行くからな」 「ってぇ……。わかったよ、ちょっとした冗談だろ」 「冗談かどうかは俺が決める」  有無を言わさぬディヒトバイの言葉にアカートは肩を竦めた。だが、こちらも茶化されていい気分ではない。 「それで、あとは今後のことだな」 「今後のこと……?」  俺が首を傾げるとディヒトバイが口を開いた。 「俺と寝る以外に何もしないでいるわけにもいかねえだろ。俺と自然な形で常に一緒にいられる身分が必要だ」 「な、なるほど。その身分っていうのは……」 「軍人だ」  そうディヒトバイは口にして、ずっと脇に抱えていた紙袋を投げてよこした。

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