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第18話

「ぐ、ぅ……っ!」  蠍の魔族に地面に叩きつけられ、兼景は呻いた。  イングヴァルと自分の二人では数十体の魔族からドームを守り切ることができず、ついにドームの外壁が破られた。  そこから魔族がドームに侵入する。  魔族はその巨体で簡単にビルを崩し、人々を踏みつぶす。  ドームの中は逃げ場もなく、阿鼻叫喚の悲鳴が上がる地獄絵図だった。  イングヴァルが中に入った魔族を相手にし、自分はこれ以上魔族がドームに入らないように堰き止めていた。  しかし、別の場所から外壁が崩される。そこから更にドームの中に魔族が押し入ってきた。  ああ、ここはもう終わりだ。  ずっと諦めていた。  A級魔族を相手にしながら、そう思った。  人が死ぬのは仕方がないことだと。  戦で、病で、飢えで死んでしまうのは当たり前のことだと。  しかし、嵐の中で召喚された魔族を相手にイングヴァルが戦っている。  イングヴァルだけではない、千樫も、ディヒトバイも戦っている。  何故戦える。何故諦めない。 『俺は強くなる! ディヒトさんを守るために!』 『俺は今度こそ本物の英雄になる! 千樫の生きるこの世界を守る!』  耳につけた無線機から声が聞こえる。  この状況にあって未だ諦めない強さを持つ者の声が。  そうか。諦めなくていいのか。  人々を殺戮する魔族を見て、燻っていた炎が再び燃え上がった。  人が簡単に死んでいいわけがない。  このような蛮行が許されるわけがない。  人は当たり前に生きていていいものなのだ。 「て、めぇ……!」  刀を支えに立ち上がる。 「許さねえ……、絶対許さねえぞ……!」  兼景の声は今までに踏みにじられた命の怨嗟の声だった。  思念に応じて刀が水色の光を帯びる。  兼景は刀を一閃した。  光の刃が魔族をまとめて斬り捨てた。  フォカロルの起こした嵐は一層強くなり、やがてアスモダイの毒霧を完全にかき消した。そして二つの嵐は消え去った。 「やった……! フォカロルさん……!」  しかしフォカロルの嵐が消えたということは、彼の存在もこの世から消えていったということだ。  だが悲しんでいる時間はない。  アスモダイに勝たなければならない。  痛みなんて後回しでいい。今はやらなきゃいけないことがある。  半人半蠍のアスモダイは動かない。だってそうだ、まだアスモダイの召喚した魔族が数えきれないほどいる。アスモダイが小指の先も動かさなくたっていいのだ。  フォカロルの死を無駄にできない。  ドームに近付くA級魔族を片っ端から斬り捨てる。  ディヒトバイと繋がっている。それが強大な魔族すら殺す力をくれている。  自分はドームを守る。  だからディヒトバイがアスモダイを殺してくれれば、それで――。 「どいつもこいつも雑魚だな」  アスモダイは言った。 「だがフォカロルは雑魚の癖に根性見せたじゃねえか。本気には本気で挑むのが礼儀ってもんだ。俺の本当の姿を見せてやるよ」  今、何と言った。  本気で挑む? 本当の姿?  嫌な予感がする。  アスモダイの体が内側から燃えていく。火事のように炎が燃え盛り、黒煙が上がる。炭になった体を内側から食い破るようにそれは姿を現した。  血に濡れ、それを燃料とするように燃え盛る毛皮を持った山羊。その手には血塗られた斧を持っている。 「この身は原初の炎を纏いし凶悪なる憤怒、色欲の化身、全てを破壊せし者、アエーシュモー・ダエーワ! 倒せるもんならやってみやがれ!」  そして、アスモダイの体が燃えた黒い煙が空を覆い、辺り一面に火の雨が降る。  フォカロルの守りがないドームに火が降り注ぐ。  逃げ遅れた人に火が燃え移り、耳をつんざくような悲鳴が上がる。人は瞬く間に消し炭になった。  ドームには魔族が押しかけ、外壁を崩そうとしている。  こちらの岩肌に覆われた地上も火に包まれ、体が熱で溶けそうだ。 「いけない……!」  アスモダイを倒すべきか、ドームの守りを優先すべきか。  しかし、この炎が容易く破れるとは思えない。  そう逡巡したときだった。 『迷うな! 進め!』  無線機から響く聞き覚えのない声。しかし、その声は力強く自分たちに語りかけてくる。  声の下ほうを見ると、崩れかかっている軍本部の天辺に一人の男が立っていた。  その姿には見覚えがあった。黒い隊服に身を包み、腰までの黒い髪を後ろに撫でつけている。その手には紫色に光る刀を握っていた。 『お前、グロザーか⁉』  アカートの驚く声がする。  そうだ。グロザー・ヴォローニン。地下の実験室の奥でずっと眠り続けていた男。人類最強に近かった男。 『最後に残った忌々しい悪魔め! 俺はお前に一太刀浴びせるためだけにずっと眠っていた! フォカロルと俺の力、見るがいい!』  グロザーは高らかに宣言すると刀を大上段から降り下ろした。刀から紫の雷光が解き放たれる。  その雷光は轟音と共に真っ直ぐに走り、射線上にいた魔族と炎を薙ぎ払う。  それだけに留まらず、アスモダイの周囲を覆う炎すら二つに割ってみせた。 『今を逃すな! 行け! お前たち!』 『後ろは俺たちに任せろ!』  兼景の声も後押しする。 「わかりました!」  グロザーの作った道をアスモダイに向けて走る。そこにディヒトバイも合流してきた。 「行くぞ、千樫!」 「はい、ディヒトさん!」  互いに目で合図し、アスモダイの下に向かった。  自分たちのすぐ後ろから炎は再び燃え盛っている。それから逃げるようにアスモダイに駆け寄る。  そしてアスモダイの正面に立ち、対峙した。 「どいつもこいつも愛だの何だのくっだらねえ!」  アスモダイは苛立ち交じりに叫んだ。 「そんなもん血を残す本能が見せた夢だ! 何の意味もねえ! 本能 の見せた勘違いだ! そんなもんを有難がって、縋って、哀れでたまんねえよ、お前たち人間って奴は!」  アスモダイは怒りに任せて両手に持った斧を振るう。 「夢だから綺麗なんだ! 夢があるから俺たちは前に進める!」  俺は斧を避けて跳び、アスモダイの右腕を斬り落とした。 「一人じゃねえ、共に歩む人がいるからどんな絶望にも立ち向かっていける! 愛する人を守るためなら何だってできる!」  ディヒトバイも高く跳躍し、アスモダイの左手を両断する。 「てめえ、ら……!」  両腕を失くしたアスモダイは残った口で俺たちを食おうとする。  しかし、アスモダイがどんなに俺たちを殺そうとしても、俺たちには及ばない。 「アスモダイ、お前はこの世界のルールを勘違いしている!」 「何だと?」 「この世界の人間は運命の番と惹かれ合う本能がある! お前たち悪魔が持ち込んだ思念の力、それが本能に近いほど増すというのなら、俺たち運命の番がお前に負ける道理はない!」  着地した俺たちはアスモダイの前に立ち、一本の刀を二人で持った。  これが最後だ。 「俺たちは守る!」 「愛する人のいる世界を!」  刀を構える。  赤と青の光が螺旋となって、長い光の刀身を作り上げる。 「そこに悪魔はいらねえ!」 「終わりだ、アスモダイ!」  刀を降り下ろし、アスモダイの体を真っ二つに両断した。  アスモダイは断末魔も上げることなく、体は泥となって崩れ落ちた。  空を覆っていた黒い煙も消え、夜空には月の光が輝いている。 「やった……」 「やったな、俺たち」  全力を出し切って疲れ果てた俺たちは、立っていることもできずに地面に崩れ落ちた。  しかし、そんな無防備な姿を晒しても襲い掛かるものはない。 『おい、お前らやったぞ! 本当に悪魔を倒して世界を救いやがったな!』  無線機からアカートの喜ぶ声が聞こえる。  世界を救ったのか。俺が。俺たちが。  アカートが無線でごちゃごちゃ言っているのが耳障りで、無線を切った。  静かな、静かな終わりだった。 「なあ、千樫」  しんみりとした様子でディヒトバイが俺の名を呼んだ。 「何ですか、ディヒトさん」 「……あの日、あの時、お前に会えなかったらこの勝利はなかった。ありがとうな」 「違いますよ。この世界はディヒトさんと俺で救う運命だったんです」 「そうか。運命、か」  どこか満足げにディヒトバイは言った。

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