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第17話

「親父! どこだ!」  二つの嵐がぶつかりあう中で、ディヒトバイは父の姿を見失った。  地上にはA級魔族が蔓延っている。父を守りながら戦うのは難しい。  しかし紫色の光を見つける。その光は見る見るうちに大きくなり、ビルほどの大きさになった。 「馬鹿ダナ。オマエハ……」  獣の唸り声のような音は、父の声音によく似ていた。  そして、風の壁をかき分けてそれは現れた。  毒蛇の尾を持つ巨大な鶏。そして、毒蛇の頭はウィレムの顔をしていた。  グロテスクな怪物を見てディヒトバイは一瞬怯む。 「私ハズットアスモダイト繋ガッテイタ。オマエノ通信機ニ細工ヲシタノモ私ダ」  そう告げるウィレムの顔は苦悶に歪んでいる。  そして、その大きな蹴爪でディヒトバイを殺さんと這い寄る。  それをぎりぎり転がって避けた。 「何、だと……」 「オマエハ散々犯サレ、Ωニサレ、オマエノ心ヲ丁寧ニ折ッテヤッタノニ、ナゼ何度モ立チ上ガル」 「親父、お前自分が何をしたのかわかってんのか……!」  子供の立場ではない。一軍人として、悪魔に寝返ったことを非難する。 「オマエヲ産ンダセイデリーケハ死ンダ!」  ウィレムは叫ぶ。  リーケ。それはディヒトバイを産むのと引き換えに命を落とした妻の名前。 「私モ体ガ十全ナラバ、軍人トシテ戦イ功績ヲ残シタカッタ! ダガデキナカッタ! 私カラリーケヲ奪ッタオマエガ優秀デアレバアルホド、私ハオマエヲ許セナカッタ!」 「親父……」 「オマエハ私カラ愛スル女モ、栄光モ、何モカモ奪ッタ! ダカラオマエノ全テヲ奪ウト決メタ! オマエガ人類ヲ救ウ英雄ダト! フザケルナ! オマエナド誰モ必要トシテイナイ! オマエハ生マレルベキデハナカッタ! 生マレタコト自体ガ罪ナノダ! ダカラココデ死ンデ償エ!」  ディヒトバイは自分に向けられた怨嗟の声を聞き、動けなかった。  まさか父親がここまで自分を恨んでいたとは。  今ここで俺を殺す、それは世界を滅ぼすのと同義だ。それでも父親はディヒトバイを殺そうと迫ってくる。その恨みの前には世界の存亡など些事なのだ。  それでも父親は父親だ。  俺に父親を殺せるのか。  悩むディヒトバイにウィレムは狙いをつけ、恐竜のような蹴爪で弾き飛ばす。  避けきれなかったディヒトバイは紙屑のように宙に舞い、地面に叩きつけられる。 「が、は……っ!」  全身を強く打ち付けて、骨の何本かが折れた。  俺は、英雄になる。  自分が生きるためではない。千樫を、千樫の生きる世界を守るために。  しかし、そのためには父さえ手にかける必要があるというのか。  ――大丈夫。俺は何があってもディヒトさんのそばにいます。  その言葉がディヒトバイの心に火を灯す。 「う、るせえ……!」  痛みに耐えながらも立ち上がろうとする。  ふらふらになりながらも立ち上がり、刀を父に向けた。  お前を殺す。そう宣言するかのように。 「マダ立ツカ……!」  ウィレムは口を大きく開け、光が集う。光が束となってディヒトバイを狙う。  ディヒトバイは走った。痛みなどただの信号に過ぎない。そんなもの無視すればいい。 「うるせえ! 俺は謝らねえ!」  ディヒトバイは吼える。 「俺が謝ったら、母さんが俺を産んだのが間違ってたことになる! 母さんが命懸けで産んだ命を否定させはしねえ! それがたとえ親父でもだ!」 「何ダト……⁉」  ディヒトバイの反論にウィレムは動きを止める。 「てめえの敵は俺じゃねえ、悪魔に魂売り渡すてめえの心の弱さだ! 千樫がそう教えてくれた! 千樫が俺に生きていていいと言ってくれた!」  そうだ。いつだってそこにあった小さな星の光。  その光が在り方を教えてくれた。  いつも光に向かって歩き続けていた。どんなことがあっても折れることはなかった。  ――ディヒトさん、あなたは自分のために生きていいんです。それは誰にも否定できない。それで、できることなら――俺のために生きてほしい、かな。  だって、自分を肯定してくれた唯一のものだったから。  だから自分は彼のために生きる。全力を以て彼を守る。 「俺は今度こそ本物の英雄になる! 千樫の生きるこの世界を守る! そのためなら親殺しだってやってやる!」  ディヒトバイは刀を構える。生命の、思念の光が赤く輝く。  思念の力と千樫にもらった力、その二つが絡み合い、螺旋となって自分の中に渦巻いている。  ディヒトバイはウィレムに向かって大きく跳躍し、その巨体を真っ二つに斬り捨てた。  千樫が人面の山羊を倒すと、風の音が弱くなった。  僕の力が尽きかけているのだ。  偽名展開をして力を借りるのは数分。  この毒霧を何とかするのが僕の仕事。 「この僕、が……、愛を知らない奴に、負けるなんて……、ありえ、ない!」  全力で叫んだ。  だって僕は知っているから。そのあたたかい感情を。  彼は僕を殺しに来たが、同時に対等な相手として対話を試みた。  僕の巻き起こす旋風に弾き飛ばされ、身を切られながらも彼は自分に語りかけてきた。  ――聞け! そのような力があって、なぜ殺戮にしか使えないのか⁉ なぜ正しく使えない⁉  殺意ばかり向けてくる兵と、彼は違った。  彼の一撃は痛かったし、完全な覚醒前であったから僕は追い込まれた。  正しいって、何?  全身を襲う痛みの中で自分は考えた。  それを聞きたくて、彼に問いかけた。  もう消えそうな命の灯に無理矢理魔力を送って生かした。  答えを聞くために。  ――我々は、もう駄目だ。人間同士で争い、格差はなくならない。悪魔という共通の敵ができてなお手を取り合うことすらできない。  絶望に打ちひしがれながら彼は言った。  ――力が、そのような力があれば、あるいは……。希望が見えるかもしれないのだ……。  悪魔とは他人を殺したり、裏切ることばかり考えていて、正義なんてものとはほど遠い。  悪魔同士、互いに次の瞬間には殺し合っているような連中。  正しいなんて、人間が勝手に決めた倫理だけど。  そんなものに興味を持つ程度には、僕は壊れていた。  だってそうだ、この世に自分を召喚した王は力不足で不完全な召喚だった。だから召喚された僕もどこか不完全なのだ。  ――正しいことをすると、得がある?  ――正しいことって、そんなに魅力的?  そう思って、自分は一緒に戦っていた悪魔を殺した。  そして彼に尋ねた。  ――しました、正しいこと。  嫌いなやつが消えて清々したけど、それだけ。こんなもの?  そうしたら彼は呆気にとられたような顔をして。  ――は、はは。  笑っていた。  ――あなたの言う通り、正しいこと、したんですけど。人類の敵を、殺したんですけど。  だから何だ、という僕の問いかけに、彼は答えた。  ――そうだ、お前は正しいことをした。  そう言って、力が入らなくて震える手で、僕の頭を撫でた。  手が頭に触れている。それだけなのに。初めてのあたたかさを感じる。  ――いい子だ。力とは何かを、誰かを守るためにある。決して人を殺すために使うものではない。  ――子供じゃ、ないんですけど。悪魔って、生まれたときから完成しているんですけど。  ――力の使い方も知らぬようでは、まだ子供だ。  まだ、子供。  生まれたときから完成しているというのは、変化しないということ。  正しいことをしたら、変われるっていうこと?  これから、変われるの?  その未知に僕は強く惹かれた。  ――俺は、馬鹿だ。  彼は言った。  ――人に絶望しておきながら、何かあるたびにこれだから人間はと呆れながら、自分が生きるために、正しいことを求め続けた。なぜなら自分は弱く、悪でいられるほど強くなかったからだ。多数の正しさに守られないと生きていけない、弱い存在だからだ。だから正しさに憧れた。そう思わなくてはやっていられなかった。  彼は懺悔をするように口にした。  ――すまない、戯言に付き合わせて。  そして、何故か彼は謝った。今まで命を懸けた戦いをしていた悪魔相手に。  ――俺のことはどうでもいい。ただ、母が……。  もう消えかけている命を使って、彼は最後に何かを残そうとした。  ――母が言っていた。故郷の丘から見える夕陽は、この世で一番綺麗なのだと。悪魔の侵略でそれもなくなってしまったが……。俺を愛してくれた母が大事に思うものを、俺も、守りたかった……。  そうして彼は、最後の言葉を言い終えた。  ――ねえ、あなた、聞いていますか。  彼は答えなかったが、意識はあった。ぴくりと指が動いた。  ――僕も随分弱ってしまいましたけど、十分強い悪魔です。そして、悪魔とは契約をするものなのです。なので、契約をしましょう。とても大事な契約を。  考える前に、口が勝手に言葉を紡いでいた。  ――あなたはこの世界を守りたいのでしょう。それが正しい行いだと信じているのでしょう。だったら、おまじない。僕がこの世から去るのと入れ違いに、あなたは僕の力を手に入れるでしょう。  契約は強い制約ほど力がある。  だから、僕の命と引き換えに。彼に再び命の力を与えようと。  彼は頷いた。  そうして彼は眠りについた。僕が消えない限り覚めない、長い長い眠り。  僕は何回、もう一度彼の声を聞きたいと思っただろう。  彼の存在を感じたいと思っただろう。  そうして近くにいたアカートと契約し、人間のことを学んでいく中で、知った。  彼が持っていたものは愛。僕が抱いているのは恋。  僕はもう二度と彼には会えないけれど、彼が生きているのならそれでいい。  アスモダイの毒霧の嵐も、もう少しで完全に消え去る。  恐らく嵐を消すのと同時に自分はこの世からいなくなるだろう。  ああ、見てみたかったな。彼が大事にしていた、その夕陽を。  掲げていた手がひび割れて崩れていく。  思考もばらばらに解けていく。  僕は何のために何をしていたんだっけ。  そうだ、彼に会いたくて。  ああ、でも、もう駄目かも――。 「よくやった、フォカロル」  聞きたかった彼の声が聞こえる。  消えかけの体を彼が抱いてくれる。頭を撫でてくれる。 「……ふふ、最後に愛しい人に会えるなんて、幸せ、かも、ですね……」  そうして嵐は消え、一人だけが残った。

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