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第32話 11章 その香りに包まれて
「あお君大丈夫?」
目を開けた蒼に彰久が問う。優しい微笑みの中に、思いやりがこもる。
「うん……僕……えーっと」
少し慌てたように、戸惑う蒼が可愛くて、彰久は蒼の頬を撫でる。その様は、オメガを得た、アルファの自信に溢れている。
「あお君初めてなのに無理させたかなって、余裕がなかったからごめんね」
それはいい、いいんだけど後始末……全部してくれたんだよな……恥ずかしい。初めてなのにこのありさま、いや、初めてだからか。今更ながら蒼は、自分の経験値の無さに恥じらいを覚える。十二も上なのに情けない。
恥ずかしさに顔を染め、隠すようにする蒼は、どうしようもなく可愛いと彰久は思う。もう一度ことに及びたい衝動に駆られる。さすがにそれは蒼の負担になる。彰久は意識を逸らした。
「あお君お腹空いてない? 何かルームサービス頼む?」
「ああ、そうだね。あんまり空いてはいないけど、何か軽いものは食べた方がいいかな」
彰久はルームサービスのメニュー表を持ってきて蒼に見せる。
「僕はサンドイッチぐらいがいいかな」
「じゃあこの、蟹のサンドイッチとローストビーフのサンドイッチにして分けて食べよう。あお君シャンパン飲める? せっかくだから少しくらい大丈夫だよね」
初めての夜なのだから、乾杯したい。蒼の同意を得ると、彰久はルームサービスを注文した。
「あき君、シャワー浴びてきていい?」
「そうだね、その方がさっぱりするね。僕はもう浴びたからあお君浴びてきて」
やっぱり自分が意識を失っているうちに、彰久はシャワーも浴びて、後始末もしてくれたんだ。彰久は大人になっている。堂々としたものだ。これがアルファなのか……。
蒼がシャワーから戻ると、既にルームサービスはテーブルに並べられていた。
「オードブルも頼んだんだね、苺も」
「シャンパンがあるからね、あお君と乾杯したいと思って」
「そうだね、あっ! 夜景がきれいだ~」
窓の外はきれいな夜景が広がっていた。蒼は、窓に近づき暫し見とれた。
彰久は蒼の側により後ろから抱き込むようにして、耳元で静かに言う。
「ここは夜景の評判がいいんだ。それでここのホテルにしたんだ。あお君が気に入ってくれたら嬉しいよ」
彰久は帰国に当たって今回のことは、全て周到に準備していた。蒼と結ばれ、そしてプロポーズまでしようと。そのために選んだホテルだった。
「あお君、僕を受け入れてくれてありがとう。本当はその前に申し込まなければいけなかったんだけど。……僕の番になって下さい。そして、どうか僕と結婚してください」
彰久は跪いて蒼の手を取り、真剣な眼差しで告げる。
「あき君……ほんとに僕なんかでいいの」
「僕なんかじゃない、僕にとってあお君は最高の人なんだよ。あお君だから僕は欲しいんだ。あお君の全てが欲しい、だから大人になって、こうして申し込んでいるんだ。どうかOKと言って」
蒼は涙を溢れさせた。こらえることはできない。そんな蒼を彰久は抱きしめた。蒼は、彰久の胸に顔を埋めて泣いた。生きていてこんなに嬉しいことはない。生まれてきて良かった……蒼は多分初めてそう思った。
「ようやく叶った。三歳の時からずーっと思い続けてきた。僕はあお君だけだった。あお君しかいない、僕のただ一人のオメガ、そう思ってきた」
真摯な愛の告白だった。過去に何度か思いは告げられた。しかし、その時は受け入れることができなかった。故に、告げられる言葉は蒼に重くのしかかった。
彰久の思いは嬉しくとも、受け入れられない苦しさも同時にくる。それは、蒼にとって辛いことだった。蒼も、彰久を思っていたからだ。
彰久のように、出会った時から思い人だったわけではない。最初は唯々可愛いかった。愛おしい存在。それがいつ、愛に変わったのか、自分でも分からない。分からないが、彰久から思いを告げられる頃には、蒼も彰久は特別な存在になっていた。
だが、今は違う。彰久の真摯な思いを蒼もようやく受け入れることが出来る。
「あき君ありがとう。僕もあき君だけだった。あき君が大人になって、幸せになればそれでいいって思ってきたけど……嬉しい、ありがとう」
「あお君、一緒に幸せになろう。ここまで長かった分幸せにならなくちゃ、大事にするよ……僕があお君を幸せにする。あお君、愛している」
「あき君……僕も……愛している」
彰久は蒼の額に口付け、涙を吸い取り、そしてその柔らかな唇にも口付けた。
「うん、美味しい。だけどシャンパンはアルコール度数が意外と高いからこれで止めておくね」
「ふふっ酔っぱらってもいいんだけどね」
「もーっ、だめだよ」と言う蒼の頬は、酒が入ったこともあり、ほんのり色づいていて何とも言えない色気がある。もっと、飲ませたい、酔ったらどうなるんだろう……。抱いた時の乱れ方とはまた違うのだろうな……。
「あき君、番と結婚のことだけど、先ずは先生方のお許しをもらわないと。そして、今日のことも僕は申し訳ない……先生方よりも前に会ってしまって」
蒼が真剣な表情になるので、彰久も姿勢を正した。
「勿論、明日早速父さんたちには報告するよ。二人とも喜んでくれると思う。今日のことは僕の一存だから、僕から説明する。蒼君が気にする必要はないよ」
「喜んで下さるだろか……」
「喜ぶよ! 喜ぶに決まってる! 渡米する前に、八年頑張って帰国したら、あお君にプロポーズするって言ったんだ。だから父さんたちも承知しているんだよ。それで僕は父さんたちに、僕がいない間、あお君のこと守って欲しいとお願いしたんだ。それも承諾してくれた」
八年の様々が蒼には思い出された。確かに守られていたと、感謝と共に思う。この八年、決して孤独の中で待っていたわけではなかった。高久と、雪哉の温かさが身に沁みる。だからこそ、なおさら両親に先んじた自分が申し訳ない。
「お二人には本当に感謝してもしきれない。だからこそ、こんな僕だけが先に会って……申し訳ないんだ」
「大丈夫だよ。まあ、びっくりはするだろうけど、ちゃんと分かってくれるよ。明日は、僕に任せて、心配いらないから、ねっ」
蒼にはまだ申し訳なさが勝るが、今更どうしようもない。彰久へ任せる気持ちになる。頼もしい思いも抱く。本当に大人になった。自分に抱きついてきた幼い彰久ではなかった。
この晩、二人は、広いダブルベッドに身を寄せ合うように寝た。
昔はよく二人で一つベッドに寝た。何年ぶりだろう……こうして一緒のベッドで寝るのは……と蒼が思っていると「十五年ぶりだよ」と彰久が言う。
「こうして、あお君と一緒に寝るのは十五年ぶり。それがどれだけ辛く淋しかったか……もう絶対に離さない。これからは毎晩一緒に寝るよ」
そうか十五年ぶりか……あの頃は抱きついてくる彰久を、自分が包み込むように抱いて寝た。それが今は、自分が包み込まれている。蒼は時の長さを思った。そんなにも一人寝が続いたのか。淋しかったのは自分もだ。
彰久の温もりが心地よい。心から安らげる心地よさに蒼は身を預ける。
自分の胸に顔を寄せる蒼は可愛い。年上の常に恋い慕ったこの人が、こんなにも可愛いのか……もう離すことはできない。
二人はお互いの温もりに安らぎを覚えながら、極上の心地よさの中、眠りについた。
「おはよう」
蒼が目を開けると、微笑んだ彰久がいた。蒼も笑顔で「おはよう」と返した。
「あお君、体は大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そうか、良かった。昨日は初めての蒼に無理させたのでは? と心配したのだ。
「良かった。目覚めてあお君が側にいるなんて、ほんと幸せだ」
額に口付けながら言う彰久に「僕もだよ」と蒼も応える。
「朝ごはんどうする?」
「食べた方がいいけど、軽くでいいかな」
「じゃあ、コンチネンタルをルームサービスしようか」
彰久がコンチネンタルブレックファストを注文している間に、蒼は洗面に行く。顔を洗い、身支度を整えて出てきたら、既に朝食は届いてテーブルに並べられていた。
ジュースがオレンジなのも、ミルクたっぷりのカフェオレも蒼の好みだった。彰久は、こんな細かいことも覚えていたのか。蒼は嬉しくなる。
「こんなふうにして朝食をとるの、贅沢な気分になるね」
「そうだね、ここを選んで正解だった」
「あっそうだ、あき君支払いだけど、僕にさせてね」
「何言ってるの、ここは僕が準備したんだから、当然僕が払うよ」
「だけど、正式に働いてるわけじゃないし、僕は社会人だからね」
「細々だけどバイトもしてたし、アメリカでは使うこともあまりなかったし、それくらいの貯金はあるから、僕が出したいんだ」
これ以上言うのもは、彰久の男の、そしてアルファのプライドに関わると思い蒼も受けることにした。
「じゃあ、今回は甘えることにするよ、ありがとう。そしてごちそうさま」
「今回だけじゃなくて、いつでも甘えてもらえるように頑張るよ」
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