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第33話 11章 その香りに包まれて

 朝食を済ませた二人は、チェックアウト後、先ずは蒼の家へ行き、その後北畠家へ向かうことにする。一度帰宅して、着替えたいと蒼が希望したためだ。  タクシーに乗り込み、蒼が行き先を告げた。蒼が、北畠家を出て以来、十四年住んでいる家の場所を彰久は知らない。そこは、思いの外北畠家から近かった。こんなに近くにいて、渡米する前の六年で会えたのはたったの三度。いや、それはもう思わない。これからは常に一緒なんだから。  初めて入る蒼の部屋は、蒼の香りで満ちていた。初めてなのに、懐かしさを覚える佇まい。ここで、十四年の時を過ごしたのか……。 「狭くて、何も無い所だけど、そこへ座って。何か、飲むかい?」 「ううん、何もいらないよ」 「じゃあ、僕着替えてくるから」  彰久をリビングに残して、蒼は奥に消えた。奥が寝室なのかなと思っていると、サイドボードに目が留まった。彰久は興味深く近づいた。何枚かの写真が飾られている。その中に自分の中学卒業の時の写真もある。これ、あお君飾ってくれてたんだ。  そして他の写真、多分、この方は、あお君のお母さん? 面影があるからそうだろう。こんな大事な写真と一緒に……。 「待たせたね……あっ、それは」 「あお君、これ飾ってくれてたんだ、嬉しいよ」 「二人で写った最後の写真だから……」  そうだった。それ以前の写真は沢山あった。それなのにこの写真が最後になっていた。だから自分も大切に飾っていた。  彰久は嬉しかった。自分と同じ写真を飾っていた蒼、会えない日々が続き、どうしようもない焦燥感を抱きもしたが、気持ちは通じ合っていたんだ。 「うん、僕もこれと同じ写真飾ってた。毎日見て、あお君のこと思っていたんだ。でもこれからは、また一緒の写真が増えていくよ」  蒼は深く頷いた。蒼もそうしたいと思う。二人の写真が増えていったら、それは幸せが増えることと思うから。 「この方、あお君のお母さん?」  一緒に飾られている男性の写真を指して尋ねる。寂しげな表情の、美しい男性。 「そうだよ、僕が十二歳の時亡くなった。元々体の弱い人でね、僕を産んだために、更に病弱になったんだ。出産で体力がもたなかったんだね。幼い頃は早く大人になって親孝行したいと思っていたんだけどね、長生きは出来なかったんだ」  蒼の母は、とても美しい人で、蒼によく似ている。しかし、その表情はどこか物悲しい。幸せに満ちた表情ではない。蒼には、こんな顔はさせたくない。常に、微笑んでいて欲しい。それが自分の務めだと彰久は思う。  彰久は、改めて蒼の生い立ちを思った。自分の両親からも、蒼の不幸な生い立ちは聞いている。故に、北畠家に来るようにもなり、書生にもなったと。蒼の母の写真を見ると、そうだろうと納得できる。名門西園寺家の妾としての生は、幸せとは言えなかったのだろう。  幸薄い蒼。そんな蒼をここまで待たせた。本来もっと早く幸せになっていい人なのに。その償いはきっとする。幸せで溢れるように、それが自分の愛。  彰久は、今は亡き蒼の母に、心の中で誓った。必ずあなたの息子さんを幸せにすると。だから、どうか安心してください。そして、可能なら天国で、蒼の幸せに微笑んで欲しいと。  母の写真に手を合わせて、頭を下げる彰久。蒼はその姿に、これからの自分は、きっと幸せになれると思った。それは、確信だった。  母は番を得たことで、幸せになれなかった。だから、いつも僕には一人で生きるようにと言っていた。その言葉を守って、医師になり、一人頑張ってきた。けれど、これからはこの人と共に生きていく。番を得たオメガも幸せになれると思う。既に雪哉が、それを証明しているが、僕も続きたい。 『母さん僕は幸せだよ。いつも見守ってくれた、母さんのおかげだよ、ありがとう。そして僕は、この人と番になって、一緒に生きて行こうと思うんだ。僕はこれからも幸せに生きていくよ。だから、母さん、これからも天国で僕のこと見守っていてね』    祈り終わった二人は、同時に頭を上げ、眼を合わせて微笑みあった。互いに何を祈っていたのか、聞かずとも分かる。  二人の間に温かい空気が流れる。  蒼には、それは母の思いに思えた。母さんも喜んでくれていると思った。その思いは、彰久も同じだった。それも言わずともお互いに伝わった。 「そろそろ行かないとね」 「そうだね、車どうする? タクシー呼ぶ?」 「車で行くような距離じゃないよ、歩いて十五分くらいだから」  そうだった。思いの外近いんだと、さっきタクシーに乗った時思たんだけど、歩いても十五分くらいなのって、ほんとに近い。 「そうだったね、じゃあぼちぼち歩いて行こうか」  頷きながらも、蒼の顔が固い。やはり、まだ気にしているんだ。まあ、蒼の立場なら仕方ないかというか、そこが蒼らしいと言えば、蒼らしい。 「あお君、心配しなくても大丈夫だよ。全て僕の責任で、僕が説明するから」  彰久の頼もしい言葉に蒼は安堵を覚えた。

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