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第34話  12章 花笑みの前に

 ピンポーン、北畠家のインターフォンが鳴る。 「あっ、あお君よ!」  結惟が玄関へと走る。ドアを開けるとそこには彰久が立っていた。 「えっ! お兄ちゃん!」 「結惟、大きくなったなあ!」  八年ぶりに会う兄が懐かし気に微笑む。しかし、飛行機到着前の兄が、なぜここにいるのか分からない。 「で、でも……なんで?! ママーっ! パパーっ! お、お兄ちゃん」  結惟の大声に、高久と雪哉も玄関へきて、そこに彰久がいるので、ほとんど同時に同じ言葉を発した。 「あっ、彰久! お前どうして」 「父さん、母さん、ただ今帰りました」  二人は彰久の後ろに蒼が遠慮深げに立っているのを見ると、なんとなく事情を察した。 「ああ、お帰り。まあ、玄関先ではあれだ、中へ入りなさい」  高久の言葉に、彰久は蒼の手を引いてリビングへと向かう。雪哉も蒼の背に手を当てて一緒にリビングへ入った。 「実は昨日帰国しました。結果、父さんたちに、帰国日を偽ったことになり、お詫びします」  彰久は両親に深々と頭を下げる。蒼は隣で、いたたまれない気持ちで、下を向いている。 「理由を聞こうか、まあ、大方察することはできるが」 「何より、あお君に会いたかったからです。八年前、大人になって戻ってくるから待っていて欲しいと、そう言って渡米しました。約束通り大人になって戻ってきた。あお君に先ずそれを伝えて、そして番になる事、結婚を申し込みたかったのです。父さんたちもどうか、僕たちのこと許してください」 「あっ、あの……先生方に先んじて……本当に申し訳ございません」 「あお君は悪くないよ、全て僕が独断でしたことだから」 「そうだろうな。で、蒼君は彰久の気持ちを受けてくれるのかな」 「はい」小さいがしっかりとした返事。 「蒼君嬉しいよ」雪哉は蒼に近づきその肩を抱き込むようにして言う。 「そうか、だったら何も言うことはない。彰久、八年よく頑張ったな。最短でアメリカの医師資格を取り、日本の資格も取った。立派なものだ、親として誇らしいぞ」 「ほんとによく頑張った! そして蒼君もよく待ってくれたね、ありがとう」  雪哉の言葉に、蒼は胸がいっぱいになる。申し訳なく身の置き所の無い思いでいたのに、この温かい言葉。蒼は涙を溢れさす。そんな蒼を、雪哉は抱きしめ、蒼はそのまま雪哉の胸で泣いた。  彰久も泣く蒼を抱きしめたかったが、母から引きはがすわけにはいかない。背を撫でながら、蒼が落ち付くのを見守った。 「あお君、お兄ちゃんと結婚するの?」 「うん、そうだね、結惟ちゃんは許してくれるかな」 「……本当は結惟が、あお君のお嫁さんになりたかったけど……」 「結惟ちゃんに僕はおじさんだよ、もっと結惟ちゃんに相応しい素敵な人が現れるよ」  自分以外の四人は喜びと感動に包まれているけど、結惟にとっては衝撃的な事実だった。蒼に抱いていた恋心は、儚く報われないことが決まった。つまり、失恋だ。 「結惟も蒼君大好きだからね、うちの子はみんなそうだけど。でも蒼君が彰久と結婚したら、それこそ本当のお兄ちゃんになるぞ」  雪哉が娘を慰めようと、明るく言う。 「お兄ちゃんかあー、じゃあこれからは、なんて呼んだらいいの」 「結惟ちゃんの好きなようにでいいよ、今まで通りあお君でも、お兄ちゃんでも」 「お兄ちゃんだと、お兄ちゃんとの区別がつかないから、やっぱりあお君のままでいい」  蒼は、腕に巻きついてくる結惟の頭を撫でた。蒼にとっても可愛い妹同然だったが、本当に妹になるんだと感慨深い。  北畠家を初めて訪ねた時から、ここは大好きだった。皆、温かい。その家族に迎え入れられるのは、心から嬉しいと蒼は思うのだった。  その後皆で、昼の食卓を囲んだ。帰国後初めての食事だからと、雪哉が和食を用意していた。久しぶりの我が家の食卓に彰久の食も進んだ。和やかな雰囲気に、沈んでいた結惟の顔にも笑顔が戻ってきた。 「久しぶりの我が家の食事、ほんと美味しかったよ、母さんありがとう」 「どういたしまして、さあ、食事が済んだから、ちょっと現実的な話をしよう。お前たちが結婚するとなったら、決めなければならないことは、沢山あるからね」 「そうだ、先ずは彰久の考えを聞こうか」 「僕としては、あお君の次の発情期で番になって、籍も入れて結婚したいと思っている」 「蒼君、次の発情期はいつ頃かな」 「多分、二ヶ月後くらいかと」 「君は、間隔が長いんだよね、三ヶ月間隔だったね」  発情期の間隔は個人差があった。毎月くる者も、間隔の空く者も。蒼の場合は、間隔の長いタイプで、おおよそ三ヶ月ごとだった。オメガの発情期は辛い。ことに番のいないオメガにとってそれは顕著で、蒼の場合その間隔の長さは幸いだった。 「五月の連休明けくらいだな。ではその時期で日程を組むといいな。結婚休暇で一週間ほど取れば少々ずれても大丈夫だろう」 「そうだな、病院も四月からの新体制にも慣れた頃で、蒼君の不在もなんとかなるだろう。勿論、僕も応援に入る」 「それではその線で、父さん、母さんよろしくお願いします」 「先生にまで応援……申し訳ないです」 「もうーっ、蒼君これは北畠家にとってもめでたい話なんだから、君が申し訳なく思う必要はないよ。僕が出来る協力はするから、もっと甘えていいんだよ」  蒼は雪哉の言葉、特に北畠家にとってもめでたいという言葉が、ありがたく、そして嬉しい。 「住まいはどうするのか決めているのか?」 「それはまだ考えていません。これからあお君と相談して決めようと」 「そうか、ではこれは私と雪哉との提案だがね、蒼君の住んでいた離れがあるだろう。蒼君が出たあとはそのままになっているのを、建て直して住んだらどうかねと思ってね」  なるほど、離れか……彰久はいい考えだと思う。蒼さえ良ければそうしたいと思った。  一方の蒼は、高久たちがそこまで考えていたことに驚いた。それは、今日自分たちが来る前に、既に考えていたわけだから。二人への感謝の思いが増した。 「あお君……」  彰久は、蒼に視線を送る。 「あまりに……ありがたくて」  蒼は再び涙を溢れさせた。彰久は、そんな蒼の涙を指で拭ってやる。 「あお君、今日は泣いてばかりだね」 「うん……ごめんね……」 「いいんだよ、うれし涙って分かってるから……父さんたちの提案通りでいい?」  蒼は頷いた。その蒼に、高久と雪哉もお互い頷き合った。 「父さん、母さんありがとう。住まいはそれでお願いします」  四人の意見が一致したので、業者を呼んで、工期などの見積もりを取ることに決まる。幸い、明日早速来てくれることになった。 「あお君明日も休みなんだよね、一緒に立ち会ってもらうと話がスムーズに進むよね。なんかワクワクするな、とんとん拍子で進んでるから」  それは蒼も同じだった。昨日の今頃は、彰久に再会することすら、怖い気持ちがあったのに……。うだうだしていたのは自分だけだったと思う。  夕食後帰っていく蒼を、当然のように送っていくと彰久は言った。 「近いから、わざわざいいよ」 「蒼君、送ってもらいなさい。オメガを守るのはアルファの責任だからな」  雪哉に言われたら逆らえない。 「いつも一人で帰ってるのに、悪いね」 「何言ってるの、母さんも言ったじゃないか、オメガを守るのはアルファの責任って。それに、こうして二人で歩くだけで僕は嬉しいよ」  本人に自覚が無いようだが、今の蒼には、匂い立つような色気がある。不埒なアルファを呼び寄せることにでもなってはいけない。蒼は、ネックガードを付けているからと少々のんきに構えているが、彰久には例え項は守れても、襲われたら大事だと思っている。 「ありがとう、僕も嬉しいよ」  危機感は全くない蒼だが、彰久の気持ちは嬉しい。近いので、ほどなくして蒼のマンションに着いた。 「じゃあ僕はここであき君が中に入るの見てから帰るから、また明日ね」  蒼は、送ってもらって、お茶ぐらい勧めるべきかなと思っていたので少し意外に感じた。 「うん、ありがとう。あき君も気を付けてかえってね、おやすみ」  蒼は、彰久の見守るなか部屋へと入った。彰久がすんなり帰ったのは、昨日今日とさすがに疲れているだろうし、荷ほどきもしたいだろうしと思った。

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