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第36話 12章 花笑みの前に
四月に入り、彰久は医師として北畠総合病院に勤めだした。アメリカ帰りの院長子息に、病院中が浮足立つようにざわめいた。
「あーっ彰久先生素敵~」と、眼をハート型にする、女医や看護師数知れず。皆が、御曹司のお相手を想像し、夢を見る。そんな状態であった。
が、そのときめきは、あっという間にしぼんだ。彰久の結婚が伝わったからだ。
本人と院長の意向で、早々と伝えられた。入って間もなくの結婚休暇だから、早めに周知したほうがいいとの判断だった。
ときめきはしぼんだが、皆お相手の詮索に余念がなかった。病院中の女の関心事と言って他ならない。
そんな中、蒼は新たに入った研修医の指導で忙しい日々を送っていた。同時に、結婚のための準備もしなければならない。忙しいが、充実した日々だった。
四月も十日を過ぎた頃、蒼は吉沢の自宅を訪ねた。先ずは結婚のことを伝え、式に出席してもらいたいと思ってのことだ。
「こんばんは、久しぶりだね、これは晴香ちゃんとひろ君へのお土産」
「うわーっ、レモンケーキ! ここの美味しいのよ、広樹も大好きだよね、ありがとう」
「日持ち三日だから、明日のおやつでもいいかなって、こっちは吉沢の」
「おっ、サンキュー! 一緒に飲むだろ?」
「一杯だけね」
吉沢が好きだからと買って来た日本酒、蒼は強くないが、少しだけ付き合う。それもいつものことだった。
「ところで話ってなんだ? 結婚のことか?」
「えっ! なんで分かるんだ」
「そりゃあ、改めて話があるって、それしかないだろう。相手は例のお嬢さんか」
「はあっ、はあーっ、ち、違うって言っただろ!」
「えっ、違うの? もうその噂で持ち切りだぞ。あっ、彰久先生結婚するだろ、ひょっとしたらお前と合同結婚式じゃないかって噂もある。そうなの?」
あまりな話に蒼は絶句する。どこをどうするとそう言う話になるのか、理解できない。
「なんでそんな話になってるのか知らんけど、全く違うよ」
「じゃあ、お前の相手誰? ……っ、もしかしてえっ! まさかお前と彰久先生!」
蒼は、照れくさそうに頷いた。今度は吉沢が絶句した。吉沢の大声に、晴香も慌てて飛んできた。
「えっ、何々、彰久先生と蒼君が結婚するの?!」
「ちょっとお前、さすがにびっくりしたわ。なんだよ水臭いな、今まで隠してきたのか」
「いや、そう言うわけじゃないんだ。ほんと、結婚が決まったのは、あき君、彰久先生が帰国した後だから。だから、先ずは吉沢と晴香ちゃんに知らせたいと思ってね」
蒼は、彰久との経緯をあらまし話して聞かせた。今までは言えなかった彰久への思いも、今なら素直に話せた。
「そうか、そうだったのか、良かったじゃないか、漸く思いがかなったってことだから」
「なんか、聞いてると凄い純愛じゃない、蒼君良かったね」
「そうだよ、俺さ実は、お前は院長に叶わぬ思いを抱いてるんじゃって思ったりもしたから、ほんと安心したわ」
「……なんで、そんな……」
「だから、ずーっと一人でいるし、お前、誰とも付き合ったことないだろ。それって、思う人がいるからだろっておもうだろ。良かったよ、相手が彰久先生で」
そうだ。彰久だったからこそ、長い時はかかったが、この愛は報われた。
「それでね、正式な招待状は彰久先生も自ら渡したいって言ってるんだけど、結婚式出てくれるかな? ひろ君と三人で」
「えっ! いいの!」
晴香の眼が俄然輝いた。
「うん、是非来て欲しいんだ。実はね、西園寺家からは誰も来ないんでね。三人には僕の親族側として出て欲しいんだ。いいかな?」
「いや、勿論いいって言うか、大歓迎って言うか、でも私たちが親族なんて恐れ多いって言うか。北畠家に比べて見劣りするって言うか」
「それは無いよ、ずっと僕の姉さん夫婦だったんだから、来てくれると嬉しいよ」
二人は大きく頷いた。姉さん夫婦のように、時にはお節介かなと思うように、仲良くしてきた。漸く実った蒼の思いは我が事のように嬉しい。そして、蒼の晴れ姿を見たい。
「喜んで出させてもらうよ。俺たちも楽しみだな。ただ、西園寺さん相変わらずなのか? 知らせたんだろ」
「うん、彰久先生が行ってくれた。こちらの関することではないから、ご自由にって感じだったらしい。僕を思って詳しいことは言わなかったけど、多分相当嫌な思いをしたんだろうね」
それも二人には理解できた。過去には高久も嫌な思いをしていることを、二人は知っている。
「まあ、いいじゃない。その分、ううん、それ以上に私たちがたくさん祝福するから」
「ありがとう、本当にありがとう」
思えば、北畠家から出て十四年、孤独に押しつぶされずに来られたのは、この二人に負うところが大きい。高久や雪哉とは違った面で、蒼の支えになってくれた。
二人の子度である広樹との触れ合いも、蒼にとっては心の休まる癒しといえた。可愛がる蒼に、広樹も懐いている。正に、姉家族との触れ合いのようだった。
「私、何着ようかしら? 新調しないとね、ワクワクする~」
「あのな、主役は蒼だからな。お前は引き立て役に徹しろよな」
「分かってるわよ! それはそうと、バージンロードどうするの? 本来花嫁の父が一緒に進むものだけど……あなたする?」
「えっ! 俺っ! いやそれは荷が重いっていうか……院長が適任じゃないの」
「いやいや、ちょっと待ってよ、僕花嫁じゃないから」
なんだか、変な方向に話が進む二人に、蒼は慌てて割り込んだ。
「アルファとオメガの結婚式の場合、オメガが花嫁よ。まあ、さすがにウエディングドレスは着なくても、バージンロードは歩くんじゃないの」
結局それは、今ここで決めても仕方ないという結論になった。蒼にとっては、結婚するということは、何かと大変なんだという認識をするきっかけにはなった。
蒼が吉沢家を訪ねた数日後、今度は吉沢家族が北畠家を訪れた。一度会いたいという双方の思いの一致からのことだった。
言うならば、結婚を前にした、双方の家族の顔合わせのようなものでもあった。吉沢にとっては先方は院長家族。過去に何度か会ってはいるが相当緊張した。晴香の方が、落ち着いていて、こんな時は女の方に度胸があると感心した。
北畠家の面々はにこやかに吉沢家族を迎えた。かなり緊張していた吉沢も、少々緊張していた晴香も、その和やかな雰囲気にすぐに馴染んだ。子供相手に手慣れた雪哉は勿論、結惟も広樹の相手をして、すぐに笑い声が上がる。
そして話題は結婚式のことになった。今日の一番の話題ではある。
「そうか、バージンロードの問題があるな。候補は私か、吉沢君だよな」
「いやー、さすがに私では荷が重いというか、やはり院長にしていただくのが最適だと思います」
うーん、どうだろうなと高久は、皆を見回した。ここは、自分がまとめるべきかなと、雪哉は思う。
「あなたは、新郎の父ではあるけど、ある意味蒼君の後見をずっとしてきたわけでもあるから、父親代わりとしてあなたがされるといいと思うよ」
さすが雪哉、誰しもが納得する言葉であった。蒼も、深く頷き、それを見た彰久も大きく頷いた。
「そうだね、父さんにお願いするよ。吉沢先生たちには、親族席であお君を見守ってもらってね」
「うん、それで決まりだ! 蒼君きれいだろうな……」
雪哉がうっとりしたように言うと。皆同調して大きく頷く。ここにいる全員が、蒼の美貌を認めていた。子供の広樹も例外ではない。いや、一人だけそう思っていない者がいる。本人の蒼だ。
「きれいだなんて……この年でバージンロード歩くのも恥ずかしいのに」
「相変わらず謙虚というか、自分を客観視できないな。君は凄くきれいだよ」
「ええ、蒼君はきれいですよ。衣装は決まったの?」
同調した晴香が蒼に聞くと、雪哉が口を挟んだ。
「当日までの秘密らしい。彰久がね、当日まで待ってろと言うんだよ」
「うわーっ、そうなんですね、それは凄く楽しみです」
「私も楽しみ! あお君は何着ても似合うと思うけど、どんなのだろう、ワクワクするわ!」
晴香に同調した結惟も瞳を輝かせている。当の本人は気が重い。美貌に自覚が無いし、晴れやかな場が苦手だからだ。そんな蒼を分かっているので、彰久は、落ち着いた中にも、華やかさのある式にしたいと考えていた。蒼の清楚な美しさを、最高に引き立たせたい。
こうして、吉沢家の北畠家初訪問は和やかなに進んだ。
「今日はどうもごちそうさまでした。大変楽しく過ごさせていただきました」
「こちらこそ、今日は揃って来てもらって良かった。また、訪ねて来てくれ。これからも蒼のことよろしく頼むよ」
吉沢家を見送った後、帰っていく蒼を彰久は送っていった。
「今日は楽しかったね、みんないい人で、なんだか本当にあお君の姉さん家族って思ったよ」
「うん、二人ともいい人だし、ひろ君もいい子だからね」
「こうして送っていくのもあと少しだね」
「そうだね、あと一ヶ月もない。早いね」
蒼にはあっという間に過ぎていく印象だが、彰久にはとても長く感じられる。
「じゃあ、あお君おやすみ」
「おやすみ」
名残惜しい別れの挨拶だ。別れがたい思いは同じであった。
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