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01.年貢の納め時

 とある大陸の北の端。  一年の殆どを雪と氷で閉ざされた地に、小さな国があった。その小ささと気候の厳しさから過去の戦は長続きせず、周囲の国家が分裂と統合を繰り返す中で独立を保ち続ける。  そうして現存する世界最古の国となった頃、その王家の三男坊が自身の執事に日々詰められていた。   「今日こそ御回答頂きますぞ、グラキエ殿下」  朝食を済ませて部屋に戻ると、豊かな白髭を蓄えたお仕着せの男が仁王立ちで立っていた。  使用人が取る一般的な態度ではない。しかし目の前に居る青年の教育係でもあるこの男に関しては、もはや当たり前の光景となっていた。周囲どころか厳しい視線を向けられている主――グラキエ本人ですらも、別段それを気にする様子はない。 「毎日毎日同じ事を繰り返して、よく飽きないな」 「忍耐力がなければ殿下の教育係など務まりませぬゆえ」  ソファに座るグラキエに向かって早足で歩いてきた執事は、手に持っていた板のようなものを差し出した。渋々受け取ると片膝をついてじぃっと見つめてくる。  ……返事をするまで待っているからな、という無言の圧力だ。  この男が求めているのは婚約者の候補を決める事。少し前に姿絵を渡されてから、しつこく回答を迫られている。 「ニクス兄上ですらまだ御成婚前だというのに。成人したばかりの俺にまで婚約者を決めろと言うのは、気が早いと思わないか」  グラキエは三兄弟の末である。  アルブレア王国の王太子である長兄リスタルは既に王太子妃を娶り、次兄ニクスは少し前に婚約をした。彼らと少し歳の離れたグラキエは、この春に成人を迎えたばかりだ。  次兄の婚約が成人から数年後だったことを考えれば、いささか早すぎる。  しかし。 「ニクス殿下のように、つつがなく収まって頂けるのであれば……問題はないのですがね」  言葉以上に何か言いたそうな目を向けながら、教育係は長く長いため息をついた。  その様子にふと、この男の懸念について心当たりが浮かぶ。 「つまりあれか、俺の場合は婚約破棄の可能性が想定にあると?」 「正確には、御相手の方に破棄をされる可能性でございます。数を当たるには早く動きませんとな」 「言ってくれる。もはや可能性どころか前提じゃないか」  どうやら相手に逃げられるのを見越して総当たりをするつもりらしい。自分の教え子にどんな想定をしているんだと睨むが、教育係は迷う事無く「そうです」と言い放った。 「ご自身を省みられませ。遅刻、放置、お約束のご放念。御令嬢への対応がすこぶる杜撰だと、悪い方に評判でございますよ」  恨めしそうな教育係の視線に、グラキエはこめかみを押さえた。  ……正直なところ、覚えがありすぎて反論の余地がない。  興味を引かれる事があると周りが見えなくなる習性のお陰で、散々怒られ、叱られ、なじられた記憶がごまんとある。仕舞いには渾身の平手打ちまで食らったことも。  相手が令嬢だからという訳ではない。ただ彼女達との約束や外出は向こうに合わせがちで、興味を持てるものが無かった。最初こそ応えねばと頑張っていたものの、度重なりすぎた失敗に慣れてしまったのである。 「それは、まぁ、悪かったとは思っているが」 「思っているだけで直っておられませんでしょうに」  そう言われるとぐうの音も出ない。開き直ってしまってからは、最初の頃の様な改善しようという気持ちは霧が晴れるように消え去ってしまっていた。  言葉に詰まり口をへの字に曲げる姿にやれやれと嘆息しながら、教育係はじっとグラキエの金色の目を見つめる。 「殿下が御令嬢に合わせることが出来ぬのであれば、それでも良いと頷いて頂ける好事家を探す方がいっそ早そうであると。見かねた国王陛下の御判断にございます」 「父上まで……まったく」  教育係どころか父王にまで匙を投げられたとあって、さすがのグラキエもふて腐れ始めた。  三男であるが故に自由奔放に甘やかされてきた自覚はある。だからといって我が子の婚約をまるで当て物のように扱わなくても。  そう思うと、ふつふつと今までの不満が沸いて上がってくる。 「そもそも、ご令嬢という存在との気質が合わないんだ。会えば服を褒め、髪を褒め、化粧を褒め……いちいち興味を持てと言われても困る。そんなもの同好の士でやれば良いのに」  興味のある者同士なら、より熱の入った褒め言葉や批評が出てくるだろう。全く興味も持てずにいるグラキエに感想を求めるより有意義だと思う。  けれど兄王子達はその辺のあしらいが上手い。細やかな違いに気が付き、当たり障り無く立ち回る。妃や婚約者のように好ましく想う相手ならまだ分かるが、彼らはそうでない令嬢にも卒がない。  本当に同じ血の兄弟なのかと一瞬思ってしまうほど、身内の欲目を除いても出来た王子達なのだ。あの優等生の見本のような姿を期待されても困る。    文句の止まらないグラキエに最初こそ黙っていた教育係だったが、呆れた顔でゆっくりと首を左右に振った。 「だからといって人様に粗雑な対応をして良い訳ではございません。殿下の場合は、気質が合う合わない以前の問題でございます」 「ああ言えばこう言う……」 「して、どなたになさるのです」 「俺の話を聞いていたか?」 「聞いておりましたとも。しかし、それはそれ、これはこれです。さ、御回答を」  これっぽっちも聞いてないじゃないかと睨むが、気にする様子は微塵もない。無言でぐいぐいと手に持たされている板を押し付けてくる。  ……渡されたばかりだというのに無理を言う。  仕方なしに渡された板――実際は立派な冊子状のフレームに入った姿絵をパラパラと見始めた。      改めて見た姿絵は、どれも美しく着飾った令嬢達がにこやかに微笑みを浮かべている。確かに美しいのは分かるのだが。これを元に選べと言われても。  見張るような教育係からの視線に辟易しながら姿絵をめくっていくと、一人だけ飾り気のない外見をした絵にふと目が留まった。 「……男? 何故紛れてるんだ?」  大きな瞳や少し丸みを帯びた顔は、見ようによれば髪の短い女性にも見える。  しかし姿絵の横にある名はラズリウと、女性にしては風変わりな名。極めつけに性別は男と明確に記載されていた。 「その方はΩの男性でございますな。ネヴァルストの王子だそうです」  ネヴァルストといえば、大陸の反対側にある南の国だ。僻地の小国であるアルブレアとは反対に、気候や環境に恵まれて実りの多い大国だと聞く。  そんな所の王族、しかも王子が位の低い令嬢と並んでいる様子に少しの違和感がある。 「王子なら探すのは妃じゃないのか」  少なくとも、小国の問題児へ宛がわれる婚約者候補に混ざるような存在ではなさそうだけれども。 「男性とはいえΩですから、αと番うのが自然でございましょう。ネヴァルストは王子も沢山おられますし」    ――人間は六種類の性別に分けられている。  種をつける力を持つαの男とβの男。  子を宿す揺りかごを持つβの女とΩの女。  そして種をつける力と子を宿す揺りかごの両方を持つ、αの女とΩの男。    中でもαとΩは強く引かれ合う何かがあるらしい。Ωはα以上に希少だと言われていて、出会う事はそうそうないと言われているけれど。まさかここで顔を拝むことになるとは皮肉なものだ。  閉鎖的だと言われているらしいアルブレアの王族は代々αとβだ。しかしネヴァルストほどの大きさと多くの血脈を抱えた国ともなると、王族に混ざる血も変化に富んでいるのだろう。  翡翠色が混ざる濡れ羽色の髪に、琥珀のような暖かい色の瞳。僅かに蜂蜜を溶かしたような淡く黄色味を帯びた肌は、雪と氷の中に生きる民の白い肌とは全く違う生き物にすら見える。  おまけに女性の姿絵に混ざって並べても、さほど違和感がない。正直なところ男だと言われなければグラキエでは気付けないかもしれない。  Ωであることといい不思議な生き物だな、と。  少々不躾な感想を抱きつつ、その姿絵から視線が動かせなくなっていた。 「……よし、決めた。この王子にする」 「またそんな適当な決め方を」 「適当じゃあない。同じ王子なら立場も近いし、令嬢よりは自立した考えを持っていそうじゃないか」  令嬢は伴侶に寄り添い尽くせと教えられる。美しい華の如く優美に佇み、良き伴侶として常に共にあるものだと。生まれ持った自我の形を隠して、理想の夫婦像に当てはまるピースになるよう育てられるのだ。  その意義を今ひとつ理解出来ずにいるのが、グラキエという人間だった。    けれど、王子なら。  国を守れと育てられた王子なら、磨き込まれたピースとは違うかもしれない。令嬢とは違う関係性を築けるかもしれない。 「放置しても煩く言われなさそうだ、の間違いでしょうに」  …………。  ………………それもなくはない、が。  思わず心の中で同意してしまったが、取り繕うように姿絵を突き返してソファの背もたれに体重を預ける。 「うるさいな。テネスの言うとおり、俺はちゃんと決めたぞ」 「まぁ、良いでしょう。しかし御相手が王子である以上、国際問題にならぬよう振る舞って頂きませんとな」  廊下に控えていたらしい使用人へグラキエが選んだ姿絵を預けた教育係は、ちらりと横目で主を見る。しばらく何を言われたのか分からず、ぽかんと見つめ返すばかりだったが。 「!!」  恐らく先程の王子が候補の中で最も位が高い。しかも外国の、大陸に存在する国で最大といっても差し支えない国の王族。  別の意味で一番気を遣わなければいけない相手だということに今更気付き、楽観的なその顔が引き攣るのは数秒後の事だった。

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