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08.視線

 ネヴァルストから婚約者候補がやってきて、一週間近く。  グラキエは変わらず羽を伸ばしていた。朝食のエスコートをする以外は特に何も変わりなく、普段通りに過ごせている。  ……教育係は色々と言いたそうな顔をしていたが。  けれど本人は方々から要望を問われても特に無いと答えているようだ。唯一の要望が、アルブレアの習慣を学びたいというものだったらしい。熱心に学んでいるのか城内で鉢合わせる事もないし、まさに平和そのもの。  やはりΩの王子を選んで正解だったとホクホクしながら中庭を歩く。城に出入りしている街の研究員と落ち合って、観測塔から回収されたデータを片手にいつもの討論会を始めた。 「あの方、いつもこっちを見てますね」    研究員の一人が急に宙を見上げた。  視線を辿った先には大きな窓。その向こうに見えたのは一束の翡翠色が混ざる黒の髪。あの変わった色を持っているのは、この城で一人だけだ。  ぱちっと視線が合うと、ラズリウ王子は少し驚いた表情を浮かべた。ぺこりと軽く会釈をして部屋の中に引っ込んでいく。  ……干渉しないようにしようと言っただけで、顔を見せるなと言った覚えはないんだが。 「可愛い……」 「あんなお嬢様、このお城に居ましたっけ?」  案の定、見た目に騙された研究員達がグラキエを探り始める。  不本意ながら令嬢に詰められ、時には引っ叩かれる姿を何度か彼らに目撃されている。またこれからひと騒ぎ起きるのかと、向けられている顔は完全に娯楽を期待している表情をしていた。  仮にも王族相手に何を期待してるんだと思いつつ、何も言うことは出来なかった。過去のやらかしを考えると、彼らを嗜める説得力など欠片もグラキエには無いのだから。  とはいえ見た目だけで女性に間違われたままなのは、彼にとっては失礼な話だ。 「あれは王子だぞ。男だ男」 「男!? えっ、見えねぇ……可愛い……」 「へーっ。こないだ王家の白馬車が運んできた来賓はあの王子様なんで?」 「…………まぁな」  王家が所有する馬車には白と黒の二種類がある。簡易で汚れの目立たない黒は普段使い、黒に比べて整備や清掃に手間のかかる白は式典や国外の来賓用だ。  式典以外であれが街中を走れば、すなわち要人を乗せて戻るということ。その後に見慣れない王子が居るならば当然その推理になる。  問題は。 「あ、じゃあテネス様の言ってた婚約者候補様があの人なのか」  あの馬車にはグラキエの婚約者候補が乗ってきたと国内で知れ渡っているということだ。街中で一人歩いている第三王子が居れば城へ知らせろという指示を含んだ、教育係テネスによる狡猾な戦略でもある。  完全にグラキエが逃げ出す前提で周りは動いている。否定はできないが。  今度こそ年貢が納められると良いですね、とニヤニヤしながら言ってくる研究員の一人を横目で睨む。忘れもしない。グラキエが初めて令嬢からの平手打ちを食らった時に一人大爆笑していた奴だ。 「ってことは……今までグラン王子がご令嬢から逃げてたのは」  反対側からそこまで聞こえて、ザッと研究員一同がグラン王子――もといグラキエから一斉に距離を取った。 「おい」 「いや、いいんすよ、性的嗜好は人それぞれなんで」  じりじり下がっていく研究員達。  アルブレアはグラキエから見ても、一部を除いて穏やかな気質だが少し閉鎖的な国である。特にβが多い城下の住民は、同性同士のそういう関係に理解は示すが何処か己とは一線を引きがちだ。  今みたいに。 「グラン王子はαですもんね。相手がΩなら男とって事もありえますよね」 「えっ。あの王子様ってΩなのか。良く知ってんなお前」 「いや知らないけど」  その推理が正解だと言ってやるのは少し癪だ。何度か真偽のほどを尋ねられたけれど、まだ良く知らないとすっとぼけてやる事にした。    街へ戻っていく研究員を見送り、来た道を戻る。  本当は一緒に研究所へ向かおうと思っていたけれど、すっかり風向きが変わってしまった。  あの様子は次の騒動を期待している節がある。一緒に行くと根掘り葉掘り質問責めに遭いそうな予感しかしない。 「……理解、か」  予定が変わってしまってどうしようかと思ったが、ふと気が向いて彼の王子の部屋へと足を向けていた。  程度の差こそあれ、彼をよく知らないのは本当だ。知っているのは出自と、性別と、容姿と、勉強をしているらしいという事だけ。普段いつ何をしているのかは全く知らない。  好きに過ごそうと言ったはいいが、他国にやって来てすぐに好き放題出来る王族が居るだろうか。さすがのグラキエも逆の立場なら遠慮はする。……恐らく。  たまには教育係の言うことも聞いてやるかと苦笑しながら、この城で一番日当たりの良い部屋の扉を軽く叩いた。    出てきたシーナは少し驚いた顔をしたが、すぐに部屋の中へ戻っていく。どうぞと通されて中に入ると戸惑った顔でラズリウ王子が立っていた。  堅苦しいお辞儀をしようとするのを止めて、ただ話がしたいんだと伝えるとキョトンと目を丸くする。 「あの……お話とは」 「ああいや、そんなに身構えないでくれ。あまり城の中で会わないなと思って」 「そうですね……?」  不思議そうな顔が首を傾げているが、上手く言おうとすると言葉が見つからない。  また失言をしようものなら丸一日説教詰めになってもおかしくないのだ。慎重にいかなければ。 「普段は何をしているんだ?」 「勉強を」 「他には?」 「……? いえ、特には何も」  心底戸惑った顔で異国の王子はグラキエを見ている。何故構うのだろうとでも言いたげな様子を見るに、やはり最初の言い方がまずかったらしい。こうなるとあの日の自分を呪ってしまう。  異国の王子はじっと様子を伺うような顔だったが、突然あっと小さく声を上げて口元を右手で覆った。 「窓から見ていたこと、ご迷惑でしたか……? 申し訳ありません」 「いや、いや、そうじゃなくて」  観察の結果、先程見ていた事に対して文句を言いに来たと捉えられたらしい。どこかしゅんとした表情に背中を冷や汗が伝っていく。  まずい。  これでグラキエに言われて窓際には近付けなくなった、なんて話が周囲に伝わった日には逆に監禁されてしまう。いっそお前が部屋から出るなと言いかねない。あのΩ贔屓も甚だしい教育係なら。

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