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31.君に会いたい

 研究所を出て、スルトフェンに手を引かれながら道を行く。けれど心ここにあらずのラズリウは歩いているというよりも引きずられて動いているだけの状態だった。  足を凍った地面に取られてバランスを崩し、すれ違う住民に勢い良くぶつかってしまって。 「おい、ちゃんと動け。ラズ。ラズ!」  謝罪と共に手を差し出してくれる住民に目もくれず、地面を見つめて座り込んだまま動けなくなってしまった。    ……失くすかもしれないのは、初めてだ。  家族や友人から引き離されても、彼らは王宮や邸宅に居る。離宮を去ったあの人も、務めを果たして正式に官職を得られたと聞いている。  寂しくても、恋しくても、何処かで生きている人達ばかりだった。  なのにグラキエ王子はこの世にすら存在しなくなってしまうかもしれない。そう思うと体が震えて、上手く体が動かせない。 「どう、しよう……王子が、死んでしまう……」  スルトフェンはぶつかってしまった住民に謝ってくれていたらしい。歩いていく背中を見送って戻ってきた幼馴染みにすがりつくと、怒ったような顔がラズリウの顔を覗き込んだ。 「街中で縁起でもねぇ事言うな。皆必死で助けようとしてるだろうが」 「でもっ……でも、もし、だめだったら……居なくなってしまったら……」  最後に聞くのが雑音にまみれた声だなんてあんまりだ。お誕生日のお祝いも出来ていないのに。もっと一緒に居たいのに。ゆっくり話も出来ないまま離れ離れにされるなんてあんまりだ。    やっと自分のこれからに前向きになれたのに。大切な人の命を奪われるなんてあんまりだ。   「あのなぁ。同じ考えるなら死んだ後じゃなくて助ける事考えろ。民草を助けるために大局を見るのが王族なんじゃねぇのかよ」 「……僕は、兄様達みたいに優秀じゃない……」  頭がいい訳でも、体力自慢な訳でも、魔法を使いこなせる訳でもない。  Ωという特殊体質のようなものしか持ち合わせていない。誰かに飼われる事しか出来ないのに、人を助けるほどの力がある訳がない。  無力感にまたじわじわと涙がこみ上げて、視界が滲んできた。スルトフェンの顔もぼんやりとしか見えない。  小さく溜め息が聞こえたと思えば体が宙に浮く。子供のように抱っこをされて、どうやら運ばれようとしているらしい。 「何もする気がねぇなら部屋にこもって出てくんな。一人で泣くのは勝手だがな、走り回ってる奴らの邪魔すんじゃねぇよ」  道中かけられたその言葉に何一つ返せる言葉がなくて。  大きな体の肩口に顔を押し付け、声を抑えて泣きながらアルブレア城へ引き返すことになった。   城に戻り、部屋に着くとぎょっとしたシーナが飛び出してきた。事の説明をスルトフェンに任せてベッドに倒れ込む。 「……まほう……ちゃんと修行すればよかった」  アルブレア程ではないけれど、ネヴァルストも魔法の文化が残る国だ。祖国には魔法使いの家系が二つあって宮廷魔術師という存在もいる。  今の王家もその家系から分かれ出た一族で、火の魔法を好んで操る兄弟が多い。同じ血を受け継ぐラズリウも修行をしていれば魔法が使えたのかもしれない。  けれど幼い日のラズリウは騎士に憧れ、魔法には何の興味も示さなかった。基礎の座学ですらつまらないと逃げ出していた。 「兄様や姉様みたいに火が操れたら……迎えに行けるのに……」  雪に囲まれた極寒の世界で、火はきっと人を守る力になる。  せっかく王家の血を受け継いでいるのに、成り果てたのは何の役にも立たないΩだ。情けないことこの上ない。 「ぐらきえ……」  もっと一緒に居れば良かった。一緒に居たいのだと言えば良かった。  溢れてくる涙をこらえきれなくなって、枕元に置いていた月灯草の標本を抱きしめる。ラズリウを呼ぶシーナの声にもスルトフェンの声にも応えず、ただただ布団の中で背を丸めて。    それからラズリウは外出どころか部屋からも出られなくなってしまっていた。次第に朝食にも出られなくなり、一日の殆どをぼんやりとベッドの中で過ごしている。 「ラズリウ殿下。少々ご同行願います」  部屋にやって来たシーナが、いつになく有無を言わさない様子で声をかけてきた。正直気乗りはしないけれど……ずっと世話をかけっぱなしで断るのも申し訳ない。  ずるずると重い体をベッドから引きずり出して、ゆっくりと前を歩く後ろ姿を追いかける。しばらくして着いた部屋の前にはテネスが立っていた。 「どうぞ」  テネスが開けた扉をくぐると、ふわりと嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐる。誰の部屋かなんて聞かなくてもすぐに分かった。  ――グラキエ王子の部屋だ。  壁一面の本棚と色々な道具が並んだ棚。乱雑に資料や筆記具が積み上げられた机。部屋の奥にあるベッドには脱ぎ捨てられた上着。    記憶にも残っている上着に引き寄せられ、ふらふらとベッドに近付く。すると天蓋の蚊帳の中にちょこんと座るテディベアと目が合った。 「……これは」 「幼少の頃より特別大切になさっているぬいぐるみでございます」  無意識にベッドへ上がり込み、つぶらな瞳を向けているベアの顔を撫でる。首に巻いているリボンには羽根飾りがついていて、着ているベストにはネヴァルストの民族衣裳にも使われている模様が入っていた。  鳥に化けて世界を旅する魔法使いの出てくる童話の挿絵で、魔法使いの男の子が身に付けているものと似ているような気がする。 「かつてネヴァルストの商人から購入したものにございます。モチーフの童話が気に入ったのか、どうしても欲しいと強くねだられまして」  ぬいぐるみを欲しがる様なお子様ではなかったのですが、と懐かしそうに笑うテネスの表情も少し暗い。暖かい灯の様な主人が不在の部屋はどこか寂しげで。  ラズリウを見つめるベアの瞳も悲しそうに見えて、思わず抱きしめた。  ふわりと香る優しい匂いにまた目の奥がつんとして、泣き続けて枯れてしまったと思っていた涙がまたぽろぽろとこぼれ落ちる。    ……どれくらいそこに居たのだろう。  泣き疲れていつの間にか横たわっていた体は、抱きしめていたベアと一緒にグラキエ王子の使っている布団に包まれていた。窓の外はすっかり暗くなっていて、結構な時間をここで眠っていたのだと想像がつく。  そろそろ帰らなければと思うけれど、この部屋から離れがたくて。この部屋に居させてもらえるようにテネスを通して国王陛下に許可を取って貰った。  巣に籠るようにグラキエ王子の部屋に引きこもるようになったラズリウは、ただただ、テディベアと一緒に丸一日をベッドの中で過ごすのだった。

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