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32.前を向く力
異常検知をしてから一週間ほど。破損したドームの修理に当たっている調査チームからの復旧連絡はない。
キッチンから広間に戻ると、まるで通夜のような雰囲気がその場を支配していた。
「食事が出来たぞ」
「ああ……すまねぇな、グラン王子」
「ありがとう」
交代で戻ってきていた調査チームの数人がスープを入れた器と乾パンを受け取る。それに待機チームが続いて、思い思いの場所で食事を口に入れ始めた。
最初の頃は励まし合ったり修復手順の闊達な議論をしていたというのに、ここのところ観測塔内の会話が全くと言っていい程にない。これはよろしくない空気だと思いつつ、気の利いた会話を振れるかと言うと……何も言葉が浮かばない。そういう点でグラキエは全く役に立たないのである。
ふと、食器がひとつ余分に残っている事に気がついた。誰の分だろうと周りを見回して……見つけたのは隅っこで踞っている後ろ姿。
このチームで一番年若い研究員だ。
彼の兄が現地の修復作業に当たっているからか、最近はどうにも塞ぎ込んでいるように見える。
「ほら、ちゃんと食べろ」
トレイに乗せて食事を渡すが、受け取ろうとしない。泣きそうな顔で床を睨み付けている。
「……いらない。どうせ死ぬんだから」
「逆だろ。食わなければ死ぬんだ」
いつもの調子で切り返してしまって、しまったと頭の中で呟く。
こういう時、相手の話を否定して切り返してはいけない。一度受け入れて話を聞く。一呼吸置いて話をしなければ失敗する。
……そう、過去の事例で学んだはずなのだが。
「どうせ僕たちもすぐ死んじゃうんだよ! ドーム壊れて一週間になるのにっ! 全然直らないし、食料は無くなってくし、どんどん雪が積もってくし!」
案の定相手の導火線に火をつけてしまったようだ。爆ぜる爆竹のように言葉を返すその顔は、もはや半分泣き顔と言っても差し支えないくらいに頬が濡れていた。
こうなったら鎮火するまで待つしかない。遮って反論すれば、ただでさえ燃えている火を更に燃え上がらせてしまう。
「寒さで凍えて雪に埋もれて死ぬんだ! 食べてる気分じゃない!」
「まだ一週間だ。食料は使えば減るものだし、雪も積もる。しかしまだ観測塔は暖かいし、調査チームも交代で復旧に当たってくれている」
…………。
頭では、分かっているんだが。
いつもは思考がまとまる前に動いて失言している口。しかし今日は頭が追いついているにも関わらず同時に別方向へ動く。意識できているのに、わざわざ当てこすりの様な言葉を吐いてしまう。これでは得てきた経験も無かったのと同意議だ。
「もう死を想定するとは気が早いな」
まさに、口が勝手に動くとはこのこと。
もうなるようになれと、珍しく自棄っぱちに心の中の自分が呟いた。
グラキエを睨み付ける幼い顔は、珍しくチッと舌打ちをした。彼の兄が居たら叱り飛ばされるだろうに。
「……何でそんな平気そうな顔なんだよ。こんな状況なのにケロッとして……気持ち悪ぃ」
「おいお前!」
見かねた近くの調査員が、刺々しい言葉に歪む口を塞いだ。けれど小さな爆竹はジタバタと暴れてその手を軽くすり抜ける。
躍起になって止めようとする周りの大人を制して、グラキエはじっと小さな研究員を見つめる事にした。
「ドームが無いと人間は生きられないんだよ! そのドームが壊れてんのにっ……生きてられる訳ないじゃんか!!」
「まだ生きているだろう」
「どうせ僕は生きてたって復旧に行けない! アンタだって兄ちゃんと同い年のくせに何もしてない! 役立たずの王族のくせに偉そうにすんな!!」
しん、と沈黙が広間に落ちる。
……これは流石にキたかもしれない。
ぽつりと誰にも聞こえない音量でグラキエはそう呟いた。
王族たるもの周囲の声に耳を貸さねばならない。
普段はともかく、非常時は努めて悠然としていなければならない。場を見る目を持て。不安にさせるな。
身に付いているかは怪しいものだが、少なくともそう教わってきた事は覚えている。怯える子供の悲鳴のような癇癪に、ムキになるなど言語道断なのだが。
「心外だな、お前が放棄した食事の支度を毎食しているのに」
大人げなく、即座に反論している自分が居た。
「そっ、そういう事言ってんじゃないっ……!」
「俺は料理をするし、お前は道具を揃える。二人で設備のメンテナンスもしてるだろ」
口が止まらないのだ。腹が立って仕方がない。怒る代わりに言葉を吐き出して、黙れと言わんばかりに畳み掛けようとしている。
「観測塔が適温かどうか、温度を上げるべきか下げるべきか、俺達の感覚で計って調整している。それがなければ調査チームは極寒の室内に帰ってくる事になるんだ」
平然としている。
当然だ。そう教わってきた。取り乱すな、最期まで道を探せ、決して諦めるな。道を探す者こそがアルブレア王家だと、幼い頃から叩き込まれてきた。
調査に関して、修復作業にも参加しない。
当然だ。作業中にグラキエへ何かあれば生還した他の研究員はどうなる。王族を犠牲にしたと言われかねない。仕方ないという判断で済むかは、その時にならないと分からない。
だからグラキエが連れて帰らねばならない。それが生者であろうと、死者であろうと。
「皆何かしらの役割がある。ここに何もしていない人間は存在しない」
喉の奥に浮かんだ大量の言葉を飲み込んで、グラキエはそれだけを吐き出した。
グラキエが黙らせてしまったのか、叫んで気が済んだのか。良く分からないが目の前の人間は黙って俯いてしまった。
「なんでそんな……もうやだって、怖いって思わないの……」
「怖いから動いてるんだ。じっとしていたら死ぬしかないじゃないか」
平気な訳がない。それは恐らく誰もが同じ。
それでも皆外へ出て修復作業に当たっている。グラキエも何か作業を見つけては手を動かしている。じっとしていれば、ひたひたと寄ってくる恐ろしい足音が聞こえてきてしまうから。
頭のいい子供はグラキエの言葉から何かを拾い上げたようだった。大人しくトレイを受け取って、口の中に食べ物を放り込んでいく。もそもそとひたすら食べ続けた食器はあっという間に空になっていた。
「……グラン王子、あの……」
トレイを返しつつ、もごもごと口ごもりながら何か言いたそうにグラキエを見る。どうしてだろう、その表情に悪戯心が働いてしまった。
「安心しろ。もしも途中で死んだら、余すところなく捌いて食料にしてやるからな」
「は!? なっ、なんて事言うんだよ! 誰が死ぬかバーカ!!」
力一杯叫んで、両手にいっぱいの資料を抱え込んだ小さな体はバタバタと機械室に駆け込んでいった。
先程までもう死ぬんだと嘆いていたというのに、意見の転換が早いことだ。上手くいったのかは分からないが……とりあえず食事を摂って気力は出たらしい。
すると様子を見ていた調査チームの一人が苦笑しながらやってきた。
「さすがに今の冗談は子供相手に刺激的すぎるだろ」
「冗談で済むかは分からないな。俺に捌かれたくなかったら、死なないように頑張って貰わないと」
あくまでも真剣に話しているのに、目の前の男はけらけらと笑っていた。
しかしその時になったら。それしか道がないなら、きっと行動に移すんだろう。そうならない事を祈りたいけれど。
「逆に俺が先に死んだら……美味く料理してくれ。どれだけ切り刻まれても恨まないから」
「馬鹿言え、ハンターでもないのに生き物を捌くスキルは無いぞ。王子が死んだら雪の中への遺棄まっしぐらだからな」
大袈裟に物を投げ捨てる動作をしながら男は笑う。そうだそうだと笑う周りも、不安だろうに気丈に振る舞っている。
死という言葉を笑い飛ばせるのなら、まだこのチームは大丈夫だろう。
「無駄にされるのは困るな。まぁ、元よりこの隊の殿は俺のつもりだが」
「それで頼む。それがグラキエ王子の役目なんだから」
がしがしとグラキエの髪をかき混ぜて、男は仲間のもとに戻っていった。
……リーダーが率いるこのチームを、一番後ろから見届けること。
最も安全な所で、何が起きても、たとえ一人になっても、目を逸らさずに最期まで前を見続けること。死に急ぐことなく、常に可能性を探し、決して諦めないこと。
一番最初に有人観測へ参加する時に父と交わした約束を思い浮かべながら、グラキエは少しだけ目を閉じた。
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