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35.張り詰めた糸

 スルトフェンを放置して城に戻って以来、ラズリウを見る幼馴染みの目が厳しくなった。どこに移動しても着いてくるのだ。たとえ本を返しに行くだけでも、手洗いでも。  どうやらラズリウが国王夫妻から淡々と単独行動についてお叱りを受けている時に、彼も真面目に護衛をしろとテネスから説教を受けたらしい。巻き込み事故にも程がある。さすがに申し訳なさ過ぎて文句も出ない。    今日もいつも通り魔法書を読んでいると、べしっと軽く頭を叩かれた。 「お前ちゃんと寝てんのか? 最近おかしいぞ」  スルトフェンの視線はラズリウの手にある本に注がれている。  きちんと読んでいた……つもりだったけれど。現実にある手元の本は、何も書かれていない裏表紙が堂々と開かれていた。これでは何を言っても説得力がない。 「あ、あんまり……」 「しっかりしろよ、ガキじゃねぇんだから」  どう取り繕っても無駄であると判断して素直に首を横に振ると、今度は鞠をつくようなリズムでラズリウの頭を軽く押してくる。 「ずっと……夢を見てて」 「夢ぇ? 悪い夢でも見てんのか」  夢見が悪いというのであれば、まだ良かったのだけれど。今朝見た夢の内容を思い出してしまって軽く頭を振った。    どこまで素直に答えて良いものやら。きっと言われても困るだろうと分かっているだけに、改めて言葉にするのも憚られる。そんな風に考えているからか、舌が口の中に張り付いて動かない。 「……聞いても面白くないよ」 「そこまで言いかけて黙んな。気になるだろうが」  辛うじて出した言葉だったけれど一蹴され、じっと幼馴染みの視線が真っ直ぐラズリウを突き刺して来る。何も言わないけれど、研究所に置き去りにした事を地味に怒っているのかもしれない。   隠し事なんぞしてんじゃねぇぞと頭を鷲掴みにされ、今度は結構な力で圧迫される。訓練をしている人間だけあってかなり痛い。人の頭を何だと思っているのか。 「ぐ、グラキエ王子に、抱かれる夢……」  ぎりぎりと頭を締め上げられ、観念して言葉を絞り出す。すると案の定、ハァ?と呆れた声音が返ってきた。  だから言い淀んだというのに、言わせておいてこれだ。少しむっとして間抜けな顔をしているスルトフェンを睨む。しかしやはりというか何というか、睨まれた方は少しも意に介していない。  しばらくすると、にやにやと笑みを浮かべ始めた。  「このムッツリ王子。真面目に聞いて損したな」 「だから言ったのに……」  自分でもどうかしていると思う。だから困惑しているのだ。グラキエ王子に会いたいという気持ちが、よもやこんな形で暴走するとは思わなかったのだから。 「しっかし、いよいよ拗らせてそこまでいったか。末期だな末期」  揶揄う声が腹立たしい。けれどスルトフェンが言いたい事も分かる。ラズリウとて同意する。これだけあの第三王子に執着する事になるとは思いもしなかった。    恐らく、急に生死のかかった状態に陥ってしまっているからだろうけれど。それでも。  ――会いたくて、仕方がないのだ。 「夢でなら……グラキエ王子が僕を見つめて、抱きしめてくれる」  空虚だと分かっていても夢に縋ってしまう。逃れられるのは、ほんのひとときに過ぎないと理解していても。  夢の中でも抱きしめられていると安心して、悲しい気持ちが解ける様に消えていくのだ。あちこちに絡まった寂しさも緩んで、暖かさに満たされて。 「なのに…………起きたら、一人ぼっち」  毎朝空っぽの天蓋の中で、あの幸せな時間は夢だったのだと正しく理解する。一気に雪崩れ落ちてくる寂しさに押し潰されそうになりながら。 「……そうか」  さっきまでラズリウを雑に扱って揶揄っていたくせに、急に優しくなった静かな声がそっと鼓膜を撫でる。撫でてくれる大きな手がとても暖かい。  その暖かさに、何度も何度も奥に押し戻しているはずの言葉と涙がじわりじわりと溢れてきて。   「グラキエ王子に会いたい……あいたい……あいたいのにっ……王子が何処にも居ない……っ」  ぽろぽろと涙の粒が転がり落ちて、子供のような言葉が口をついて出てくる。   少し前まではずっと一緒だったのだ。最初に部屋から連れ出してくれた時から、何も考えずとも側にいられたのに。  いざ側にいたいと思い始めたらすり抜ける様に姿を消してしまった。 「夢の中にずっと居られたらいいのに……そうすればずっと……一緒にいられるのに……っ」  起きている間は忘れられるけれど、寝ている間は夢を見るか否かしかない。ずっと夢を見続けられればいいのに。けれど望む夢に限ってすぐに途切れ、現実を突き付けられる。一晩中、何度も何度も。  嗚咽を飲み込むのにもいよいよ限界が来て、目から溢れる涙と示し合わせた様に口からこぼれだす。 「はー。こんな泣き虫に昔の俺はボコボコにされてたってのかよ。腹立つな」  そう悪態をついていても、スルトフェンの手はずっと優しいままだった。  どう頑張っても涙が止まらなくなり、もはや本を読むどころではなくなってしまった。  少し早いがアルブレア城に戻る事にして、部屋に入るとシーナと何か話しているテネスの姿が見える。そこにスルトフェンが遠慮も何もなく割って入っていった。  しばらく何かを話していたが、みるみる内にテネスの顔が渋くなっていって。 「認められる訳がなかろうが」  話の中身は分からないが、低い声で何やら難色を示している事だけは分かる。一体何を話しているんだろうと眺めていると。  ちらりと、ラズリウをテネスが見た。 「二人っきりで一晩を共にするなど、グラキエ殿下が戻られたらどう思われるか」  聞こえてきた話の流れがよく分からず、思わずキョトンと二人を見る。しかしふと、夢から覚めると一人ぼっちだと泣いてしまった自分を思い出した。 「師匠も一緒に居れば万事解決なのでは」 「何を言うかたわけ! 高貴な身分の御方の部屋に居座るなど、臣下の取るべき行動ではないわッ!」 「そう言われても、一人が嫌だから夢から覚めたくないとか言い出してるんすよ」    斜め上の展開が目の前で繰り広げられる様子を、シーナと二人でぽかんと見つめるしかない。   ……もしかして、一人にしないようにするつもりなんだろうか。あの言葉にそんな意図は無かったのに。そんな気を利かせてしまうほど酷い有様だったのだろうか。  そんな事を考えて、少し恥ずかしくなった……が。 「コイツの行動力考えたら、本気で雪の中に特攻しかねないんですって。雪の中の捜索なんて俺の方が先に凍死しちまう」  スルトフェンの意外な行動に感動すら覚えていたのに、その意図する所を理解して苦笑した。夢から覚めたくないと言っていたラズリウを一体何だと思っているのか。猪か。  けれど、強く否定も出来なかった。  まだ夢を見ているから踏み留まっていられる。もし夢ですらグラキエ王子に会えなくなってしまったら……覚えた魔法を使って隔離されたエリアへ強行突入を試みる可能性は、ある。  他人の論戦を眺めながらひっそりと己を振り返るラズリウを置いて、展開されているやり取りは進んでいく。 「これ、口がなっとらん。しかも情けのないことを言うでないわ」  しかし段々テネスに相手にされなくなってきている様な気配がし始めている。相手は騎士だったとはいえ、経験豊富な勤め人である。元々拳で殴り合うタイプのスルトフェンが言葉の巧みさで敵うはずもない。 「あなた。ラズリウ殿下のお気持ちも汲み取って差し上げるべきなのでは」  断固として首を縦には降らないであろう様子を見かねたのか、すっとシーナが前に出た。スルトフェン相手にはさながら牛をいなす華麗な闘牛士の様だったというのに、話をする内にテネスの渋い顔が段々と困惑の色を帯びていって。  しばらくすると、見た事もないくらい困り果てた表情がラズリウを見た。   「むぅ……我々が居る時のみです。お部屋に他の者を留め置く際は、必ず我々のどちらかが居る時で、くれぐれもお願いしますぞ」  渋々とした顔を隠す事なく、子供に言い聞かせる様にゆっくりと言う。  ……シーナは一体彼に何を言ったのだろう。彼女の前では結構な頻度で情けない姿を晒していた気がする。今のでどこまで共有されてしまったのだろうか。    心なしかハラハラとし始めたラズリウをよそに、スルトフェンは師匠は本当に嫁さんに弱いなと笑いを堪えながら言う。そしてすぐに大きな手でわしゃわしゃとラズリウの髪を掻き回した。 「ここまでしてやってんだ、ちょっとは落ち着けよな」 「………………うん」  この展開は想定に無いし、頼んだ事でもないけれど。  ラズリウのために何かしようとしてくれている人達がいる。その存在がとても暖かくて、嬉しかった。

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