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34.自分に出来ること

 師事したニクス王子の教鞭は想像を遥かに越える厳しさだった。  当たり前のようにラズリウの習得レベルを超える書物や課題が机に並び、恐ろしい速度で大量の知識が詰め込まれていく。  素養や格の違いに打ちひしがれる暇などなく、城に戻っても課題に追われる日々。それでも夜間では消化しきれず翌日丸一日をかけてようやく終える状況で。ラズリウの必死さとは裏腹に、進行状況だけで見れば非常にゆっくりとした進みだった。  それでも何もせずに泣いているよりずっと建設的だ。詰め込まれた課題のお陰で、粉のような光を出すだけだったものが球体になり、自由に形を操れるようになった。少しずつだが着実に魔法を操る精度も良くなってきている。  光の布の様なものを作り出して纏わせる事で、他者を暖める魔法も古い書物から見つけ出した。まだまだ効果が弱く時間も短いけれど……もっと効果時間を伸ばして沢山の人にかけられるようになれば、きっと有用なものになる。    ニクス王子はラズリウの師匠をしている時以外も研究所に籠っているようだった。ここのところはバタバタとしているのか講義に遅れることも増えている。  今日も少し遅れると連絡を受けて自由時間が出来てしまった。もしかして何か進展があったのだろうかとソワソワしつつ、師匠がくるまで読む書物を見繕いに書庫へ向かう。  独学の時は書庫の手前にある書物を読むのが精一杯だったのに、いつの間にか奥の方へと読み進む事が出来るようになっていた。強化したい魔法に何か良い資料はないかと、あちこちの棚を見て回る。 「……ここは……」  書架の並ぶ広いフロアの、更に奥。  古い書籍のレプリカが並ぶ書庫だ。あまりにも長大編だったり、特殊な魔法が刻まれていたり、他の本よりも特殊で写本に時間のかかるものが一時保管されている棚。作業途中のものだからと読むのを後回しにしていたけれど。  よく考えれば探しているのは古い魔法の資料だ。断片的にでも何か手がかりが見つかるかもしれない。  初めて入る区域に少しドキドキしなから、そっと足を踏み入れた。    とある古代の魔法使いが作った複雑怪奇な術式を集めた魔法書。  今の魔法学の基礎の元になった理論が示された魔法書。  使われている文字が現代と違いすぎて、辞書を引いても何一つ太刀打ちできない言語の魔法書。  様々な魔法書がジャンルを無視して詰め込まれた、不思議な空気の書架。きょろきょろとフロアを歩きながら奥へ進んでいくと。  ……一番奥に人の気配がする。 「司書の方かな」  どうやら誰がどの書籍を閲覧したかが司書には共有されるらしく、人が違ってもラズリウの読んでいる本や借りて使用している辞書の種類が筒抜けになっていた。お陰で参考資料や辞書の変更が適切なタイミングで提案され続けており、司書という役職の人々に頭が上がらなくなってきている。  挨拶だけでもしておこうと気配に近付くと、見えてきたのは壁に張り付くように置かれた大きめの長椅子。それにベルマリー嬢が居て、更に彼女を押し倒す様にしてニクス王子が横たわっていた。  おまけに二人の着衣は明らかに乱れている。  アルブレアの民はいつもきっちりと服を着込んでいるというのに、ニクス王子の上着は袷が外れて留め具が宙に揺れていた。ベルマリー嬢のドレスに至っては上衣がはだけて豊かな胸が少し見え、裾がめくれて際どい位置まで太股が露になっていて。  まさか第二王子に襲われているのではないかと頭に過り、一瞬だけ離宮での出来事を思い出して息が苦しくなる。  しかしベルマリー嬢は覆い被さる婚約者を愛おしげに撫でていた。その穏やかな微笑みを見る限り、この懸念は杞憂なのだとすぐに理解できる。  邪魔をする訳にはいかないと後退りするが、間抜けなことに隣の書架にぶつかってしまった。かすかな物音にも素早く反応したベルマリー嬢の瞳がラズリウの方を見ると、微笑みながら人差し指を唇に当てる。  ニクス王子は動かない。恐る恐る近付くと眠っているようだった。 「このところお城ではゆっくり眠れなくて。そのせいかしら、少し我慢が出来なくなってしまいましたの」 「そ……そう、なんです、か」  艶やかな表情を浮かべる女性にどこかドギマギとしてしまって、そろりと視線を床に落とした。 「国王夫妻や王太子夫妻には内緒にして下さいましね。触れるだけとはいえ、未婚の男女がこんな所で肌を合わせていたと知られたら気まずいですから」 「は、はい……」  もはや取り繕う気も、隠すつもりも無いらしい。  胸に顔を埋めている男の項をゆっくりと撫でながら、ふわふわとした柔らかそうな髪に唇を寄せる。細められていた瞳がちらりとラズリウを見て、今度は愛らしい少女のような微笑みを浮かべた。 「あの、ごめんなさい。今日の講義は」 「だ、大丈夫です。ゆっくりお休み頂いてくださいっ! あ、あとあの、これをっ」  じっと二人を見ていた事に気が付いて、ハッと我に返った。仮眠用か何かで近くに置いてあった毛布を引っ掴んで二人にかける。 「まぁ、ありがとうございます。助かりますわ」  ぱさりとニクス王子を毛布でくるむ様子を横目に、軽く頭を下げてすぐさまその場を後にした。  第二王子は狸寝入りだったのか、後ろからもぞもぞ動く音が聞こえてきて。さほど間を置かずに二人分の少し荒い息遣いが聞こえてくる。  少しだけ振り向いた先には抱き合いながら口付けを交わす姿。  この先あの二人がどう絡み合うのかと頭が勝手に妄想をして、ぼっと顔が燃えるように熱くなった。  いつもの書庫に出てきたラズリウは、うるさく跳ねる心臓を抑えながら隅っこにうずくまる。  二人は年頃の婚約者なのだから、そういう事をしていてもおかしくはない。時と場所はとても褒められたものではないけれど。  グラキエ王子がそういった事に無関心な様子だったから忘れていた。ラズリウも本来のお役目はアレなのだ。ベッドの上で抱き合って、受け入れて、己の身に種を宿すことが本来の役目。  その役割のために離宮で経験を積んできたのに、思えばアルブレアに来てから全く訓練をしていない。今も教わってきた通りに出来るだろうかとふと考えて、グラキエ王子と交わる妄想が頭を過る。 「……ッ!」  ずくりと体の奥底から湧き出してくる熱。それに慌てて妄想を頭から追い出したけれど、少しだけ反応した体は上手く落ち着けられなかった。  ここで呑まれるのは、まずい。  咄嗟にそう判断したラズリウはフロアに居るであろうスルトフェンを置いて、慌てて一人アルブレア城に駆け戻った。  部屋に戻る頃には体が熱くて仕方がなくなっていて。ヒートの時の様な激しい息苦しさは感じないけれど、体の中がむずむずする。  ベッドの上に身を投げ出し、グラキエ王子の部屋から連れ帰っていたテディベアにぎゅうっと抱きついた。ふわりと感じる、いつもラズリウを落ち着けてくれる匂い。  けれど今日に限って思い通りには行かなくて。逆に書庫の出来事で反応しかけていた体がはっきりと欲を示し始めてしまった。 「……っ……ごめん、なさい……っ」  頭の中はラズリウに優しく触れるグラキエ王子の妄想で一杯になっていく。口付けをしながら身を優しく撫でて、普段服の下に隠している素肌同士を触れ合わせ、そっと覆い被さってくる……そんな妄想で。  あのグラキエ王子がそんな風に触れてくる訳がないのに。  分かっているのに止められない。頭の中に思い浮かべた二人はいつの間にやら生まれたままの姿で身を重ねていて、どんどん事が進んでいく。  抱きしめたテディベアに妄想の姿を重ねてその鼻先に口付ける。逞しすぎる想像力への驚きと、勝手な妄想に雪の中で闘っているはずの人を使う罪悪感を抱きながらも、己の手は熱に疼く体を一人慰め続けたのだった。  ……研究所に放置したスルトフェンが血相を変えて街中を探し回り始め、それを聞き付けた国王陛下と王妃陛下から直々にお叱りを受ける事になるとも知らずに。

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