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37.帰還

 ドームが破損してからどれくらい経ったのだろう。二週間くらいだろうか。感覚が曖昧になってきた。  隔離も要請してすぐに限界がくるかと思いきや、思った以上に持ちこたえている。  観測塔の各所に詰め込んだ保存食や物資は未だ蓄えが残っているし、父と長兄が品種改良した屋内植物のお陰もあって塔内の環境もそこまで悪化していない。  少し調子を崩した連中は太陽と似た光を放つランプの前にしばらく陣取り、しばらくすると調子を取り戻すらしい。その光景は怪しい団体にも見えるが、過去失敗した調査の記録にあった低体温、錯乱、逃亡、その他いかなる要因の脱落者も未だ出ていない。日光の力は偉大だ。    外から戻ってくる調査チームの話では、思った以上に雪の降りが穏やかなのだという。青空が見える時もあったというのだから不思議な話だ。 「もしかしたら、ニクス王子が助けてくれてるのかもしれないな」  復旧作業の話を聞いていると、調査から戻ってきていた同期がぽつりと呟いた。 「ニクス兄上が?」 「雪の大魔法使いだって有名じゃないすか。天候だって操れるかも!って」  意外な人物の登場に首をかしげると、小さな研究員は得意気に言う。兄が待機チームに戻ってきたからか、しょぼくれていた様子も無くなり、すっかりいつもの調子に戻っているようだ。 「そうなのか」 「えーっ、人間に興味無さすぎっしょグラキエ王子」  そう言われても、次兄がグラキエに話す内容といえば美しい術式と美しい女性の話ばかりだったのだから仕方がない。  美しいものが好きだと言って憚らない第二王子は、魔法の話をさせれば恍惚とした顔でとめどなく話し続けるし、美しい女性ならば貴族も平民も関係なくあちこちに愛を囁く。前者はともかく後者の行動を考えれば、グラキエよりも遥かに多くの平手打ちをお見舞いされていてもおかしくはない。  が、結果として器用にも一切の痴情のもつれを起こすことなく、酒の席で舞踏家として舞っていたベルマリー嬢に入れあげて艶聞を治めた訳だが。  考えれば考えるほど解せない。我が兄ながら一番掴みどころがないのだ。 「きたきたきたきた! ドームの破損部分が埋まったみたいだぞ!」  突然バタバタと機械室から転がり出てきた研究員は、観測塔じゅうに響き渡るのではないかという明るい声を発した。しんと一瞬静まり返った後、歓声がフロアのあちこちから上がる。 「やったー! 帰れるー!!」 「感想がそれかお前は」  ぎゅうっと兄に抱きつく弟に苦笑しながらも、何だかんだで同期も嬉しそうな表情を浮かべている。 「帰るには道の除雪をしないといけないがな。今度は俺もお前も要員に入るぞ」  破損しているのは入口側のドーム壁だ。当然雪が吹き込むので積雪や圧縮された氷の存在は容易に想像できる。そこをどうにかしなければ帰れない。  そしてドームが復旧したのなら、後ろに下げられていた王族も子供も危険防止の見張りとして駆り出されるのだ。  突きつけられた現実に小さな研究員はげえぇ〜っと潰れたカエルの様な声を上げて、ぽてんと床に座り込んだ。  調査チームが戻り、しばらくモニタリングをしていたがこれ以上の異常は見られなかった。そのため帰還のための整備隊――という名の除雪隊が組まれて、今度は除雪用のツールをかき集める。 「うわ、めちゃくちゃ晴れてる。ラッキー!」  久しぶりにドームの外に出るとそんな声が前から聞こえてくる。つられて空を見れば見渡す限りの青空が視界に広がった。雪の季節はいつもどんよりと重たい雲が立ち込めているものだが、雲が軽くなるどころの話ではない。 「おおー、青空じゃん。復旧作業の時も晴れてたし、今年は変な天気だなぁ」  隣に立ち止まったのは調査チームで外から戻ってきたばかりの研究員だ。戻ってきたばかりだというのに、平然と除雪シャベルを肩に抱えて空を見上げている。どこからその体力が出てくるのだろうか。 「そうだな。変に暖かいし」 「げ、流石に寒さは変わらないけど。調子悪いなら隔離されといてほしい」  感染症を持っていると思われたらしい。ざっと勢いよく距離を取られた。 「生憎、すこぶる健康だ。早く戻って体制を整えよう」 「そうですね。俺もさすがに家帰ってゆっくりしたい」  そうは言いつつ、道を行く除雪隊の後方でグラキエは首をかしげた。確かに寒さより暖かさを感じるのだが……他は違うらしい。  内心では体調を崩す前触れでなければ良いのだがと思いつつ、やはり体は軽いし調子の悪さとは真逆の状態だ。外のメンバーより体力が残っているからかもしれないと気持ちを切り替えて、先を急いだ。  もうすぐ帰れると分かった一同の動きは恐ろしい程に速いものだった。除雪は二交代する前に一日半で完了し、作業を終えた夕方には帰還準備を終えていて。  観測塔を閉じて街に戻ったのは、その日の夜もすっかり更けた頃。あまりの駆け足ぶりに白昼夢でも見ているのかと思えるほどだ。 「……帰ってきた」  見慣れた街の景色が見えてきてほっと息をつく。まだ少し現実味がない。ふわふわした気持ちで研究所への道を歩いていると、ガッとリーダーに首根っこを掴まれた。 「アンタは親への報告が先だ。ガキ共とその保護者もさっさと家へ帰れ」  わぁっと声を上げて家に駆け出す子供達を、その保護者が慌てて追いかけていく。同期もグラキエに軽く手を振って、弟と一緒に集団から外れていった。 「ところで、俺は成人なんだが」  おまけに首根っこを捕まれたこの状態は、子供というより動物のような扱いではないか。 「王子は研究所じゃなく城に帰って帰還報告してくれ。流石に城に行く元気がない。帰ったら尻に根が生えそうだからな」 「……なるほど?」  何週間も観測塔に詰めていただけあって皆ボロボロになっている。最低限の食事と休息に歯磨き、風呂の代わりに体を拭く程度で過ごしてきたのだから当然ともいえるだろう。  けれど王城に来訪するのであればそれなりの身なりが要求される。ずっと働き詰めでゆっくりしたいだろうに、登城のために身なりを整えるのは地味に骨が折れる話だ。  しかし城が我が家であるグラキエにはそれがない。帰ったついでに報告をすれば良いのだから。     皆と分かれて一人城へ戻ったグラキエは無意識に足音を忍ばせながら進む。しかしいつもなら閉扉されているはずの城門は開け放たれ、煌々と明かりがついていた。  無用心だなと思いつつ扉の前に立つと、欠伸をしていた門番はぎょっとした顔をする。 「ぐっ……グラキエ王子!? ほ、本物か!?」 「とりあえず確保! 狼藉者ならそのまま牢に放り込めばいい!」 「おい、そんな適当な……うぶっ」  おっかなびっくりといった顔をしておいて、門番達は一気に近寄りグラキエを捕縛した。本物なのか真贋をはかりかねているとはいえ、取り敢えず簀巻きにしようとは流石の雑さ加減である。  文句を言う隙もなく縛り上げられ、荷物を運ぶ様に担ぎ上げられた。そのまま扉をって場内を運ばれてゆく。    途中ラズリウ王子の部屋が見える廊下に通りかかると、部屋に戻っていく背中が見えた。その側にはスルトフェンの大きな背中がある。  二人はグラキエに気付くはずもなく、連れ立って部屋の奥に消えていった。 「……上手く……いっているよう、だな」  夜更けに二人して消えていくのだ。その意味するところはグラキエでも流石に理解できる。  後は話をするだけだ。この先の話をして、彼らをどうやってこの国に引き留める理由をこじつけるか。ネヴァルストへつく嘘の口裏を合わせるためにも、彼らと相談しなければ。  そんなことを考えている内にも門番の足は進んでいって。グラキエはただただ、視界からラズリウ王子の部屋が見えなくなるまで閉まっていく扉を見つめるのだった。

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