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38.再会
俵担ぎにされ、運び込まれたのは謁見の間。
奥から現れた父王は簀巻きにされている息子に少し驚いた顔をしたが、すぐにふっと笑って解放を門番に命じる。そこでようやく担いできた人物が本物のグラキエだったと確信したらしい。慌てて縄を外す姿を睨むと、ぺこぺこと頭を下げながら下がっていった。
「よくぞ戻った」
「貴方は本当に……いつまでも心配ばかりかけて!」
「申し訳ありません」
珍しく今にも泣きそうな顔の母が駆け寄ってきて、ぎゅうっと抱きしめられる。小さな子供にする様にグラキエの頭を撫でる手は少し震えていて、かなりの心配をかけてしまっていたらしい事がすぐに分かった。
不測の事態だったとはいえ、母は元々こうなる事を懸念していたのだ。大丈夫だと言い張っていただけに少し申し訳ない。
「他の調査隊は研究所か」
わーっと捲し立てる母の言葉が落ち着いた頃、見計らった様に父が声をかけてくる。
「はい。ああでも、子供とその保護者は家に帰しました」
「それがよかろう。事の次第と報告はお前から聞く故、彼らはしばらくゆっくりさせてやりなさい」
「はい」
「では、聞こうか」
まさかと思ったがその場で父王からの質問責めが始まってしまった。淡々と、じっくりと。
一言労ったとはいえ、この容赦のなさは流石に鬼ではないだろうか。次兄も魔法の話になると容赦がなくなるが、ひょっとするとあれは母ではなく父に似たのかもしれない。
結局休む事なく質問は続き、母に抱きしめられたまま夜を徹して報告を上げる事になってしまった。
空が僅かに明るくなった頃にようやく解放され、自室に戻る事が出来た。よたよたと部屋に入ると今度はテネスがけたたましく駆け込んでくる。
「珍しいな、そんなに血相を変えて」
「先触れもなく帰還なさればそうもなります! そんなボロボロの御姿で……湯を張りますゆえ!」
これまたバタバタと湯の支度をしに行った背中を見送り、着込んでいた防寒具を脱いでいく。雪の中を進むためにあれこれ着込んでいたものだ。
全力で心配されていると分かる両親の手前、まずは着替えさせてくれとは言えなかったが。何せ屋内で今の格好は非常に暑い。一秒でも着ているのが苦痛な程に。
黙々と装備を外していって、ようやく上着までたどり着く。すっかり身軽になってソファに倒れ込み、ふと寝台を見た。
「……? あれ、スルツがない」
部屋を見回してみても見当たらない。ずっと枕元に置いていたはずのテディベアの姿が。
幼い頃、ネヴァルストの商人から買って貰ったそこそこの大きさの人形。童話に出てくる鳥に変身できる魔法使いの少年を模したというものだ。
入手して以来、相棒の様な感覚でずっと側に置いていたのに。
「お湯の準備が整いました」
「ありがとう。なぁ、スルツが何処に行ったか知らないか?」
呼びに来たテネスに相棒の行方を尋ねると、スルツ?と不思議そうな声が返ってきた。
そういえばあのテディベアに名前をつけていると知らないかもしれない。言った記憶がないから。
そう思いながらベッドを指差すと、説明を始める前に成る程と呟きが聞こえた。
「ラズリウ殿下がお部屋へお持ちになりました」
「えっ。何故」
思いもよらなかった名前に思わず詰め寄ると、テネスはさも当たり前のような顔をして頷いた。
何がどうしてそうなった。まさか入れたのか。この雑然とした部屋に。
不在にしていていつもより散らかり具合はマシだとはいえ、物が多く決して綺麗ではない。片付けきれていない物だって沢山ある。だというのに普段整った部屋に住んでいる人間を入れるとは。
愕然とするグラキエをよそに、テネスは心なしかニヤニヤとしながら笑う。
「グラキエ殿下がお戻りにならないと大層御心配なさりまして。戻られるまでの慰めにお持ち頂きました」
「……そう、か。心配をかけてしまったな」
そう言われてしまっては何も言えない。呼び付けておいて忙しさを言い訳に放置した挙句、あんな状態になってしまったのだ。
せっかくスルトフェンを護衛につけたのに、余計な心配をさせてしまった。かえって邪魔をしてしまったかもしれない。
「明日はラズリウ殿下にお顔を見せに行かれませ」
「そうだな……そうする」
どのみち話をしなければならないし。
そう思いながら湯浴みをして、大人しく相棒の居ないベッドに潜り込んだのだった。
次の日。疲れからか泥のように眠っていたグラキエはテネスに起こされ、真っ昼間に目を覚ました。
寝坊なんて久しぶりだ。ボンヤリと部屋を見ながら髪を整えて貰っていると、何やらバタバタと騒々しい物音が部屋の外から聞こえてくる。
様子を見に行くと言ってテネスが踵を返した直後、バタンと大きな音を立てて扉が開いた。鉄砲玉の様に飛び込んできたそれは、咄嗟にグラキエを庇うように立ち塞がったテネスを流れる様にかわして突撃してくる。
普通なら逃げるべき状況だろう。しかし元とはいえ近衛騎士であったテネスがあっさりと出し抜かれた――その驚きで向かってくるそれを呆然と見ていることしか出来なくて。
「いかん、グラキエ殿下!」
「グラキエ!!」
その声を聞いても、勢いよく抱きついてきたそれが誰なのかすぐには気付けなかった。
状況が読み込めずに目を白黒させていると、慌てた様子のスルトフェンが息を切らせて駆け込んできて。
「ラァズ――ッッ! 許可もされてないのに飛び込む奴があるか! マナーはどうしたマナーは!!」
グラキエに抱きついているそれに向かって怒鳴るスルトフェン。ゼェゼェと息を切らせている彼は、いつもラズリウ王子を親しげに呼ぶ時の名を口にしている。
よくよく見ると目の前の頭が持つ髪は濡れ羽色に翡翠色の束が混ざったもの。この髪色を持っている人物は、一人しか知らない。
「ら、ラズリウ王子……?」
まさかと思いながら声をかけると、ふるりと頭が揺れた。ばっとグラキエを見た瞳は琥珀色で、女性と見紛う様な顔に嵌め込まれている。
この顔を見間違えるはずがない。けれど、直前に見た動きと目の前の人物が一致しない。
「よかった……よかった、グラキエ王子……っ」
ぽろぽろと涙を流す琥珀が真っ直ぐにグラキエを見つめて微笑んだ。ぎゅうっと再び抱きついてくる体から微かに甘い香りがして、とくりと少しだけ心臓が跳ねる。
どうすればいいのか分からずに両手を上げた状態で、近くに立っているテネスとスルトフェンを交互に見る。しかしテネスは呆然としているし、スルトフェンはやれやれと言いたげな表情で首を横に振るだけだ。
「……ラズの奴、最近メッキがぼろぼろ剥げてきてて。無作法で本当にすみません」
はぁーっと深く溜め息をついたスルトフェンは珍しく深々と頭を下げる。その様子に恐る恐る目の前の頭を撫でると、抱きついてきている腕へ更に力がこもった。
それ以上どうする事もできず、しばらく無言で頭を撫でていた。しばらくそうしているとまた扉が開いて。
「起きているな」
「は、はい。おはようございます」
父、母、長兄、義姉と、口々におはようと言いながら連れ立って部屋に入ってくる。皆ベッドの上の状況を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに何かを含んだような笑顔になって。
……非常に、居心地が悪い。
「ゆっくりと眠れたか」
「恥ずかしながら、つい先ほどまでぐっすりと」
泥のように眠っていたせいか、寝すぎて腰が痛いくらいだ。他の皆より安全な場所に居たからきちんと眠っているつもりだったのだけれど。やはりどこか気を張っていたらしい。
「仕方あるまい。昨夜は戻って早々に無理をさせたな」
一応自覚はあったのかと心の中でも思わず呟いてしまった。あまりにも当たり前のように容赦の無い質問責めにされたものだから、それが当然だと考えているのかと思っていたけれど。
「改めて、隔離された環境でよく頑張った。無事で何よりだ」
「あ……ありがとうございます」
珍しく父の少しシワの目立つ手がグラキエの頭を撫でて、少し照れくさい。
母はよく怒ったり褒めたりしてくるけれど、父は王としての振る舞いを崩さない事の方が多い。こんな風にただ子供として褒められる事もあまりなく、何だかむずむずとしてしまう。
少しだけぎこちない手付き。それをくすぐったく思いながら、大きな手の感触に笑みがこぼれてくるのだった。
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