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40.矛盾する想い

ラズリウ王子が鉄砲玉の様に突入してきてから四日。  彼は相も変わらず毎日やって来ていた。  シーナが運んでくるワゴンとやって来て朝食を共に取り、一日をグラキエの部屋で過ごす。昼食は勿論、夕食まで共に食べて、湯浴みの後に寝台で少し過ごしてから帰っていく。  タイミングを見て一瞬だけ研究所へ抜け出そうかと思ったこともあったが、ここまでされると脱走する隙間もない。  ただただ、記憶を手繰って記録に起こす。そんなことを続けていた。    「あの……グラキエ王子。これを」  いつもと比べてそわそわとした様子でやって来たラズリウ王子は、後ろ手に持っていた包みを取り出した。急にどうしたのだろうと見つめると、伺うような視線が向けられていて。  何だか申し訳なさそうな様子を不思議に思いながら、受け取った包みを開けると。 「! スルツ……!」  しばらくラズリウ王子の部屋へ行っていたテディベアが、ブランケットで大事そうにくるまれて戻ってきた。出掛けついでに手入れでもされてきたのだろうか、記憶にあるよりもずっと手触りがふわふわとしている。  久々に見た相棒を確かめるように撫でていると、ばっとラズリウ王子が頭を下げた。 「申し訳ありませんでした。大事なテディベアだと聞いていたのに、僕……っ」  「いいんだ。俺が居ない間、スルツと一緒に居てくれてありがとう」  濡れ羽色の髪を撫でると、俯いていた顔が恐る恐るグラキエに向く。何か言いたげな琥珀色の瞳が見えたけれど、その口はきゅっと引き結ばれたままだ。    ……急に生死のかかった状態で置いてけぼりにしてしまって、ラズリウ王子は心配のあまり泣いていたとシーナから聞いた。そんな優しい人に寄り添えたのなら、スルツも出掛けた甲斐があったというものだろう。   ブランケットから相棒を出すと、ふわりとどこか甘い香りがする。ラズリウ王子に抱きつかれた時にしたものと同じ、何だか気持ちがふわふわとする匂い。ずっと彼の部屋に居たせいか香りが移ってしまったらしい。   けれど少し物足りなくて、寝台の脇に立っているラズリウ王子の手を引いた。ベッドに倒れ込んできた体を抱き寄せ、スルツにするように頬をすり寄せて。  ――そこでようやく、はっと我に返った。 「す……っ、すまない! そ、その、これは」 「だ、大丈夫、です。少し驚いただけです」  慌てて飛び退いたが時既に遅し。戸惑ったような顔がグラキエを見つめていた。少し遠慮がちに隣にやってきたラズリウ王子は、ぽすんと頭を肩に預けてくる。  これは押し返さなければいけない。なのにスルトフェンが近くに居ないと理解した頭は、恐る恐る指を目の前でさらさらと揺れる髪に通してしまった。  ゆっくりと頭を撫でる手に驚いたのか、琥珀の瞳がグラキエを見て。目を細めて微笑みながら肩に頬擦りの様な仕草をする。  手放すのが……惜しい。  この時間も、この暖かさも、この香りも。  解放すると決めたのに。  ラズリウ王子が本当に添いたい人間との仲を取り持つと、それが無遠慮にこの地へ呼びつけた償いだと分かっているのに。  ――もう少しだけ。これで最後だから。  そう心の中で言い訳がましく呟いて、グラキエはもたれかかってくる肩にそっと手を回したのだった。    結局のところ、ラズリウ王子はずっとグラキエの側に居てくれた。自室謹慎の時も城内謹慎の時もずっと。何も言わずただ側に。  共に居られるのは嬉しい。けれど、どうしても気になることが一つある。 「なぁ……最近スルトフェンを見ないんだが」  ラズリウ王子は居るが、彼についているはずの従者が居ないのた。最初の二日くらいは一緒に来ていたけれど。思えばそこからずっと見かけていないのではないだろうか。  もしや自分のせいで何か拗れたのだろうか。恐る恐る尋ねるグラキエに、目の前の王子はけろりとした顔を向けた。 「スールなら訓練場に居ますよ」 「訓練場? どうしてまた」 「僕が師匠のガードをすり抜けたって知って悔しがって。自分も絶対一本取るんだと張り切ってます」  ……そういえばそんな事もあった。  いくら引退した身だとはいえ、あまりにもあっさりと立ち塞がる相手をかわして来た、あの時の動き。どうしても目の前の大人しそうな顔と繋がらなくて、酷く驚いた事もよく覚えている。    騎士としての気持ちは想像出来なくもないが、主を置いて何をやってるんだろう。そのお陰で二人で居られる訳ではあるけれど。 「熱心なのは良いこことだが、護衛の仕事を放棄されてはな」  けれどラズリウ王子はきょとんと不思議そうな顔でグラキエを見た。その様子に何かおかしな事を言ったのかと内心焦る。真面目なこの王子の事だから、てっきり同意を得られると思っていたのに。 「スルトフェンはグラキエ王子が不在の間の護衛だと聞いています。なので任は解かれているはずですが」 「えっ」  少し記憶を掘り起こして、しまったとグラキエは心の中で呟いた。  そういえばそんな言い訳をしてスルトフェンを借りた気がする。指定した任務を終えれば、騎士団に戻るのは当たり前。元より騎士としての修行に熱心な様子は見えていたし、そっちに集中しようとするのも道理である。  上手くいかないものである。有人観測のトラブルで余計な心配をさせてしまった分、今度こそと思っていたのに。   「だ、だがスルトフェンが居ないと寂しくないか? ずっと一緒に居たのに」  皆で居たいと大義名分を貰えれば、いくらでも我が儘を言って連れてこよう。今なら己が心配をかけてしまった罪滅ぼしだと言えば大体の事が通る気がするから。   けれど、ふるふるとラズリウ王子は首を横に振った。 「今はグラキエ王子がいらっしゃるので、大丈夫です」  ふわりと微笑む顔に、発しようとした続きの言葉は瞬く間に喉の奥へと引っ込んでいった。  ――これはずるい。こんな言い方をされて、一体どう答えればいいのか。  ぐらぐらと決心が揺らぐ。これはグラキエを喜ばせるための、国交のための言葉だと分かっているのに。向けられた言葉に、笑顔に、頬が一気に熱くなる。 「グラキエ王子は……スールも一緒の方が良かったですか……?」 「い、いや……その……」  気遣わしげに覗き込んでくる瞳に、しどろもどろになってしまった。悪いことをしている訳ではないのに。どう頑張っても上手く言葉を返せず、思わず視線を逸らす。    ……二人の方が良いに決まっている。  いずれ離さなければならない手だとしても、こうして側にいて、寄り添っていられる方が良い。スルトフェンではなくグラキエだけを見ているこの時間が、一番良いに決まっている。  側に居たい。ずっと。  けれどその言葉は喉の奥に張り付いたまま、口から出てくることは決してなかった。

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