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41.選択の時

 部屋にかけられている暦を見ると、気付けばディルクロが近付いてきていた。  それと共にお試し期間の終わりもやって来る。正式に婚約をするか否か……結論を出す日が。  そう意識をすると何となく、過ぎていく日々が落ち着かなくなった。ラズリウに断る気はない。むしろ婚約を望んでいる。  けれど向こうはどう思っているのだろう。最近はずっと側に置いて貰っている。言葉には出来ていないけれど、触れたり寄り添ったりして、可能な限り態度では示しているつもりだ。  しかしどの程度グラキエ王子に伝わっているかは少し不安がある。それに観測塔の事件が起きる前、心なしか避けられていた様子だったのも少し引っ掛かっていた。    とりとめもなく一人そんなことを考えていると、タイミング良く噂の人が訪ねてきたとシーナが知らせに来て。すぐに案内を頼めば少し固い顔のグラキエ王子が部屋に入ってきた。 「ラズリウ王子。その、婚約の事なんだが」  相変わらず、マイペースに話を切り出してくる。しかし丁度ラズリウもその事を考えていたのもあって、無意味にどきりとした。じっと見つめてくる瞳に頬が熱くなってくる。  スルトフェンの言うとおり、ここで婚約したいと伝えられたら。これからも一緒に居たいと訴えたら応えてくれのるだろうか……と。  けれどラズリウがもじもじと躊躇っている間に、向こうが先に口火を切った。 「正式な婚約は断ろうと思うんだ」    その言葉に、ラズリウの時間が止まる。  避けられていると感じていた時に過ったけれど、考えないようにしていた可能性。一番見たくなかった現実。  一気に苦しくなった呼吸を何とか落ち着けながら、震える声を何とか絞り出す。 「どう、して……?」  何がダメだったんだろう。避けられてはいても嫌われているようには思えなかった。観測塔から帰ってきて以来ずっと側に置いてくれていた。時々頭を撫でたりしてくれていたのに。  けれど本当は嫌だったんだろうか。観測塔の件の罪滅ぼしで仕方なしに近くに置いていたのだろうか。断ろうとしていたなら、そんな希望を持たせるような態度は要らなかったのに。 「婚約者は俺を自由にさせてくれるなら誰でもいいと思っていた。相手の事なんて考えていなかったんだ」  裏を返せばラズリウの事を考えた結果がこれだと言いたげな言葉。何をどう考えてそうなったんだと、何も分かっていないくせにと、思わず心の中で悪態をついた。   けれど実際の言葉は何も出てこない。喉の奥にこびりついて、だだ折り重なっていって息が苦しい。  「一年も付き合わせてすまなかった。でも、楽しかった。おかげで腹が括れた」 「断って……どうするんですか……そんな事をしたら、また……」  泣いてしまいそうになるのを必死に堪えながら、喉の奥に詰まっている言葉を一つずつ剥がしていく。  けれど上手く言葉にならない。もっともっと、伝えなければならない事は沢山あるのに。    正面からラズリウの方を向いたグラキエ王子は微笑んでいた。自分は泣きそうで立っているのがやっとなのに、目の前の顔はいつもどおりに優しい顔で見つめてくる。 「真面目に婚約者を選ぶよ。今度はちゃんと、相手のことも考えて決める」 「な、に、それ……」  つまりラズリウとの事は真面目には考えていなかったということだ。  いや、それは分かっている。婚約話で散々に詰められて、その苦行から逃げるために選んだのだと知っている。  それでも改めて言葉にして向けられると、ラズリウは心臓を握り潰されるような思いだった。 「ちゃんと君には傷がつかないようにする。全ては俺の我儘だ、もちろんネヴァルストに送り帰したりしない。君のスールと一緒に、ここに居られるようにするから」 「どうして……? 僕は……僕じゃダメ、なの……Ωでは、代わりには……」  スルトフェンが居たってグラキエ王子の代わりにはならない。王子がスルトフェンの代わりにはならないように。  グラキエ王子でないとダメなのに。  そうまでしてアルブレアに置いてくれるのなら、真剣に己の事は考えて貰えないのか。どうしても他の誰かではないといけないのか。  ぐるぐると頭の中をグラキエ王子の声が回る。    側に居たいのに。一番近くに、居たいのに。    けれど上手く言葉が出てこない。喉の奥につっかえたまま、体の中に戻っていこうとする。 「……ラズリウ王子?」  覗き込んでくるのは不思議そうな顔。その表情を見た瞬間、自分でも分かるほど一瞬でガッと頭に血が昇った。 「他の、人がいいなら……優しくしないで欲しかった。鬱陶しいって……突き放してくれたらよかったのに……っ」  少し前なら仕方ないと押し込められていたはずの感情が、ぐつぐつと沸騰したように沸いてくる。  悲しい気持ち。切ない気持ち。恋しい気持ち。  …………腹立たしい、気持ち。   「要らないなら要らないって最初から言えよ! だったらこの国に居座れたのに!!」  急に声を荒げたラズリウに、グラキエ王子は面食らったような顔をした。 「だ、だから、国には帰らなくても済むように」 「帰る! こんな国居られない、もういい、帰る!! 今すぐ帰る!!!」  耐えられない。  ラズリウは心の中でそう叫んでいた。  このままアルブレアに留まれば、いつかグラキエ王子が真剣に選んだ相手を見ることになる。好いた相手が自分以外と寄り添い並ぶ姿を見なければいけなくなる。無理矢理に笑って、結ばれる二人を祝福しなければならなくなる。  今のラズリウには、その可能性が何よりも辛い。いっそ拷問にも思える程に。 「おっ、落ち着け! 帰ったりしたらまた……!」 「もういい、知らない、なんでもいい、どうでもいい……ッ」  アルブレアは優しい国だ。極寒だけれど暖かい環境も、寒さや雪と戦いながら生きる人々も、異国の民によくしてくれた人々も、家族のように扱ってくれた王族も。  けれど。 「急にどうしたんだ!」  椅子を立った瞬間に腕を掴まれて、座っていた場所に押し戻された。    真剣な顔。  こんな表情を向けてくるのに、グラキエ王子はラズリウとの事を真剣には考えてくれない。  一番欲しい人は遠ざかって行ってしまう。誰かに取られてしまう。ならばもう、到底見えない所まで離れている方がいい。  あの離宮なら……きっと何も見えない。何も聞こえない。  婚約の約束を放棄されて出戻った王子の価値がどれだけ残っているかは分からない。けれど父王は上手く活用して払い下げる方法を考えるだろう。    たくさん誰かの相手をして、いつか誰かの種を孕んで、一生を誰かのものとして飼われる。  もうそれでいいと、ラズリウは薄く笑った。 

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