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42.あふれる気持ち
急転したラズリウの様子に、グラキエ王子の顔はどこか心配そうな表情を浮かべている。
しかし今はその姿にさえ腹が立って仕方がない。自分だけの気持ちでは決められない、仕方のない事だと分かっていても。どうしても抑えきれない。
「お前のせいだ……お前が僕を呼んだりするから。お前が変な期待させるから」
これで最後かと思うと、必死で隠してきた本性が表に滲み出てくる。
物分かりの良い王子ラズリウを押し退けて、我が儘で怒りっぽいラズが顔を出す。グラキエ王子に心奪われて、彼が欲しくて堪らなくなった憐れなΩが。
想いすら伝えられなかったのはお前のせいだとラズリウ自身にも腹を立てながら、困惑するグラキエ王子をギッと睨み付ける。
「好きになってしまったじゃないか……っ! 一緒に居たいって、ずっと隣がいいって、お前のせいで馬鹿馬鹿しい夢を見てしまったじゃないかッ!!」
半ば叫ぶようにして自分を押さえつけていた手を弾き飛ばした。それでも静止させようと伸びてくる手を払い除け、逆に掴んで引っ張り込む。
――Ωだと分かる前のラズリウは王族だという意識も薄く、騎士を目指していた。スラムから王宮に引き込んだスルトフェンと一緒に、泥だらけになって武術の鍛練に明け暮れていた。
そうやって昔取った杵柄だろうか。まともに鍛練を積んでいないであろう人間の腕を捻り上げて床へ組み伏せるのは、思っていたより容易かった。
「っえ、な……えっ……は!?」
混乱するグラキエ王子の姿に、本当に王族に向いていないなと笑みが浮かんでくる。床に押し付けられて怒るべき所を、ただただ困惑した顔でラズリウを見つめている。
「僕には暖かいあの離宮が向いてるんだ。王族すら見棄てかねない、非情で危険な国になんか居られる訳がない」
暖かいけれど、物寂しくて薄暗い離宮。
危険で時に非情だけれど、賑やかで周囲の温かいアルブレア。
言葉にするのに少しだけ胸が痛んだ。けれどこの国のためにドームを広げようとしてきた王子の事だ。これくらい言えば怒ってくれるのではないだろうか。追い出してくれるだろうか。
そんな期待をしていたけれど。
「ちょっ、まっ、なん……え!? 待て待て待て待ってくれ! す、好きって誰を!?」
必死でラズリウが吐き出した刺は、完全にグラキエ王子の耳を素通りしてしまったらしい。自分の興味のある事に集中しがちな彼の頭は、少し前に吐き捨てた言葉に夢中になっていた。
そうだった……こういう人だった。
苦しくなるから、そこは蒸し返して欲しくなかったのに。
「誰も好きじゃない! 嫌いだ、皆嫌いだ、大嫌いだ!!」
自分に言い聞かせるように何度も何度も否定の言葉を吐く。
けれどグラキエ王子が嫌いだとは――それだけは、とても言えなかった。
まるで子供の頃みたいだと、心のどこかで呆れたような己の声が響く。
手に入らない物が欲しくて仕方がなくて、癇癪を起こして駄々をこねて泣いて。昔のラズリウが周りに甘えていた頃の悪い癖。成長したつもりだったけれど、押し込んでいただけで何も変われていなかった。
いつの間にか込み上げてきた涙で力が抜けて、押さえ込んでいたはずのグラキエ王子の顔がすぐそこにあった。動揺して座り込んでしまったラズリウの肩を掴んで、真剣な金の瞳が見下ろしてくる。
「ラズリウ! ……なぁ、さっきの……さっき言ってた馬鹿馬鹿しい夢、って」
じいっと見つめられて、強張っていた体が少しずつ緩んでいった。いっそ嫌われてしまえと思っていたはずなのに、今度は嫌われたくないと心のどこかが喚いている。
「……い、っしょが、よかった……ずっと……隣が……」
「そ、その前……は……?」
ずっと側に居たい。他の人を選ばないで、自分を選んでほしい。ずっとずっと自分だけを見ていてほしい。
――グラキエ王子が、好きになってしまったから。
けれどその言葉は体の奥底でぐちゃぐちゃに絡まっている。上手く解くことが出来ずに喉の奥でつっかえて、痛くて仕方がなくて。思わず視線を逸らした。
「何でそこだけ黙るんだ!」
「言いたくない……惨めになる」
床を見つめながら、もう今更だとラズリウは呟いた。
人の心は変えられない。婚約を望んでいない相手に好意を伝えたって、変な罪悪感を与えるだけだ。
そんな形で心に残ったって、嬉しくない。
それを知って婚約を受け入れて貰っても、虚しい。
だったら何も言わない。いつもどおり奥の方に押し込めて、蓋をして忘れてしまう方がいい。
「ラズリウ」
けれどグラキエ王子は納得がいっていない様子だった。肩を掴む手に力が入って少し痛い。
興奮状態だったとはいえ、あんな事を言わなければよかった。後先考えずに短気を起こすからこんなことになる。
「……離して」
「いやだ」
「何なんだよ、婚約をやめるならもう関係な」
ぎゅうっと強く抱きしめられて、吐き捨てかけた言葉が途切れてしまった。
「……な、んの、つもり……っっ!」
振り払おうとしても力が入らない。さっきは軽々とかわして組み伏せられたのに。
泣いてしまいそうになりながらグラキエ王子を押し返そうともがいていると、ラズリウ、と小さな声が名を呼んだ。
「君はスルトフェンが好きなんじゃないのか」
唐突な問いに、咄嗟の言葉が出なかった。言われた意味が分からない。何故そこでスルトフェンが出てくるのか。
単語を繋ぎ合わせて、じわじわとかけられた言葉を理解をしていって、この状況を考えて。ひょっとすると、とんでもない勘違いをされているのではないかという結論に行き着いた。
「あ、ありえない。あれは兄弟みたいなものだ」
「向こうはあり得るかもしれないじゃないか」
……やはりそうだ。
あらぬ誤解をされている。
もしや全てそのせいなのだろうか。その勘違いのせいで、ラズリウは寂しい思いや悲しい思いをさせられてきたのだろうか。だとしたら、こんなに悔しい事はない。
「もしそうだとしても、僕も同じ気持ちにならなければいけない道理はないよ」
半ば吐き捨てるように言うと、グラキエ王子は何故か苦笑した。
「君も俺の事を言えたものじゃないな……でも、そうか。そうなんだな……よかった……」
困った様に笑う顔が見えなくなって、暖かい体温がもう一度体を包む。抱きしめられて、背中をゆっくりとさすられて。いつの間にか目いっぱいに溜まっていた涙がぽろぽろと落ちていく。
しばらく涙が止まらなくて背を撫でる感触にぼんやりと身を任せていたけれど、不意に我に返った。
「は、はなして」
ようやく力が入るようになった両腕でぐいぐいと押し戻す。すると今度はすっと腕が離れていって。
再び見えたグラキエ王子の顔は、やけに真剣な表情でこちらを見ていた。
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