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44.意思表示

「本当にその結論で良いのか。早まらずとも、まだ回答は先でも良いのだぞ」  謁見の間の玉座で、父王は心なしか目を丸くした。その視線は隣のラズリウ王子に注がれているようだ。 「父上……出した結論にその言い様はあんまりでは」 「致し方あるまい、観測塔の一件の後だ。生物は命の危険に晒されると生存本能が強くなる傾向にあるからな」  我が父ながらあんまりな言い様である。確かにラズリウ王子のグラキエへの接し方は、傍目から見ても変化が大きい気はするけれど。  何もそこまで疑わなくとも。 「グラキエよ。その選択はラズリウ王子をこの国に引き込むことになる。軽々しく取り消しは出来ぬぞ」    ………………。    疑われていたのは自分の方らしい。  つまりドーム破損の事件から生還した興奮と勢いでこの結論に至ったと思われている訳だ。確かに婚約話から逃げ回っていたし、最初は乗り気ではなかったけれど。  この期に及んでそれは流石に心外だ。 「承知しております。ラズリウ王子をネヴァルストに帰す気はありません」  婚約をしないとしても、そのつもりはない。  ラズリウ王子は祖国に帰さない。離宮に戻らせてしまったら、また意味の分からない訓練を続けさせられる事になるだろうから。  じ、と疑わしげにグラキエを見た父王は小さく頷いた。右手をすっと上に挙げると何かの箱を仰々しく掲げ持ったテネスが前に進み出てくる。ぱかりと開いた中にはチョーカー……というよりは首輪の様なものが一つ。    少し幅の広い青みの強い茶色の革ベルトに、アルブレアの国章が入った小振りなプレートが付けられている。やはり首輪のようだ。シーナがつけているものに似て、少し厳つい。 「……これは?」  まさか国章入りの首輪が出てくるとは。  恐らくΩにしか用のない物だ。ということは、ラズリウ王子との話が決まってから作り始めたのだろう。散々お試し期間だと言っておきながら、いつの間にこんな仰々しい物を。  不思議に思いながら覗き込むと、父王は一つわざとらしい咳払いをした。 「それについておるのはアルブレアの国章とグラキエ個人の紋章を刻んだ装飾品だ。齢が十を越える頃に二つ対で作り、王家に輿入れする者に片割れを与えるしきたりになっておる」 「こ、こしいれ……」  ぽつりとラズリウ王子が困惑したような声をこぼすと、父は完全に眉尻を下げて微笑みを浮かべた。こうして見ると人の良さそうなただの老人である。  しかしここまで表情筋を動かす姿は殆ど見た記憶がない。珍しいこともあるものだ。 「ゆくゆくはそうなるであろう?」 「……はい」  ラズリウ王子の言葉にちらりと盗み見ると、向こうもこちらを見ていたらしい。ぱちんと視線がかちあって、どことなく気恥ずかしい空気が漂う。  照れくささに言葉を上手く出せずにいると、こほんと父よりも高い音の咳払いが聞こえた。 「本来ならグラキエも同じ紋章を使った装飾品を作るところなのですが。どこにやったのやら」 「……探しておきます……」  母にじろりと睨まれて、思わず視線を逸らした。  そう言われると昔渡された気もしてきたが、どこにやったのか全く記憶にない。もしかしなくても少し前に所在を問われたのはこのためだったのだろう。所在どころか存在を知らないと答えてしまったが。  どう探したものか。ラズリウ王子に渡したものと同じ形らしいという手がかりしかないけれど。  「その首輪は少し特殊な魔法がかかっておる。触れる者と番う事を望まない限り、身に付けた首輪が外れぬようにな」   「グラキエ。着けて差し上げなさい」 「えっ。は、はい」  随分な念の入れようだなと何処か他人事の様な感想を抱きつつ。両親に促されるまま、緊張で硬くなっている様子のラズリウ王子の前に立った。  箱から首輪を取り出して留め具のバックルを開く。振り向くと丁度ラズリウ王子が服の襟を緩めている所で、慌てて視線を逸らした。  ……いや、流石に過剰だ。脱いでいる訳ではないのに。  そう自省しながら改めて向かい合う。肌に近い色の革が外された首筋に手元の首輪を通して、後は金具を固定をするだけだ。魔法がかかっているのなら固定の部分を魔法が行うのだろう。   そのはず、なのだが。  「んん……? 着け方が違うのか……?」  何度やっても金具はかかるが固定されない。魔法は正しい手順を踏んで発動するものだから、考えられるとすればどこかを間違えているのだろう。  しかし、いまいち間違いの見当がつかない。首輪にそこまでややこしい手順を組むとは思えないのだが。 「留まらぬか」  しびれを切らした父がつついてくる。 「少し待ってください……こう、か? うーん」 「留まらないようですね、グラキエ」 「ああもう、母上まで急かさないで下さい!」  二人からそう言われると焦ってしまう。勢いよく振り返ると、不気味な程にこやかな笑みがグラキエを見ていた。  何だろう、この居心地の悪さは覚えがある。  か細い声のような音が聞こえて顔を向けると、何か言いたげな琥珀色の瞳が見えた。少し赤い顔で口をぱくぱくとさせているが、そこから声が出てくる様子は一向にない。    不思議に思って見つめていると、今度はううっと小さな呻き声が聞こえた。どうしたのか更に声をかけようとすると、それを遮るように後ろから長兄に呼び止められる。 「グラキエ。離れてみなさい」 「あの、まだ固定が出来ていなくて」  振り返って首を横に振る。ラズリウ王子の首にかけた首輪は留め具がゆるく引っ掛かっているだけだ。一歩でも動こうものならはずれてしまうだろう。  けれど兄はにっこりと意味深な笑顔を浮かべたまま、いいからと頷く。  有無を言わさぬ笑顔に渋々後ろに下がると、どう頑張っても留まらなかった金具からパチンとささやかな音が聞こえてきた。 「……昼間は外れぬように魔法を重ねておく方が良いな。ニクスよ」 「はい、父上」  首を傾げているグラキエの耳に、父と次兄の会話が聞こえてくる。時間差か何かかと思ったが、どうやら不具合だったようだ。  意地になって損をしてしまった。  首輪に魔法が改めてかけられる様子を見守りつつ、じっとラズリウ王子を見る。首輪をかけた辺りから少し様子がおかしい。そわそわと落ち着かない様子だし、顔も赤いままだ。  魔法をかけ終った後、次兄に呼び寄せられて再び近ラズリウの王子の隣に立つ。それをじろじろと見ていた長兄がうんうんと頷いた。 「上手く書き換えられたか。ラズリウ殿下の気持ちも問題なさそうで何よりだよ」 「…………っっ!」  その言葉にびくんとラズリウ王子の身が跳ねる。一体どうしたんだろうと思いつつ、気が付けば後ろへ庇っていた。 「どういう意味ですか、リスタル兄上」 「お前は本当に察しが悪いなぁ」  長兄を睨んでいたのに今度は次兄がわしっと頭を掴んでくる。覗き込んでくる顔は、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべていた。  弟を翻弄して遊ぶいじめっこの顔だ。 「愚鈍な弟で申し訳ございません、ラズリウ殿下」 「いえ…………あの………………はい……」 「はい、って。ラズリウ」  味方だと思っていたラズリウ王子まで次兄の言葉を肯定してしまった。  愚鈍認定に不服を訴えて睨むけれど、当の本人は気にする様子もない……というより俯いていてグラキエを見ていない。これは話を聞いているのかすら怪しい。  ただただ床を見つめるその顔は、まるで林檎のように真っ赤だった。

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