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 ライニールは腕組をし、苛立ち露わにその指先を小刻みに腕の上で揺らしている。 「いいかお前、少しでもおかしな真似してみろ、その喉食いちぎって裏の池に投げ捨ててやるからな」 「……」 「人間らしい暮らしができると思うな。お前は卑しい罪人だ、獣以下の存在だ。それらしく慎ましく息を殺して空気のように暮らせ」 「……」 「この城の外に出ることも、人に会うことも許さねえ」 「……」 「おい」 「……」 「済ました顔しやがって、ビビって声も出ないのか?」 「……」 「おい、こら、てめぇ、何黙ってんだ、なんか言え」 「その顔で喋るなと言われましたので」  ライニールは奥歯を噛んで、音が聞こえてきそうなほどに深く息を吸い込んだ。背が高すぎるせいで、ミハルの目線では、苛立ちからか持ち上げた顎の先の目元が見えなくなった。 「クソ兎。食われてぇのか」 「ご冗談を」  そうミハルが言い終わった途端、ライニールの太い腕が伸びその手がミハルの胸ぐらを掴んだ。衣服の繊維が今にもちぎれそうな音を鳴らし、ミハルは強い力で体を引き寄せられていた。  引き攣ったライニールは口元の犬歯を見せつけ、その狼たる(さが)をひ弱な兎のミハルに誇示しているかのようだ。しかし、ミハルは彼が物理的にはミハルを食べることはないとレネから聞いていたので、至極冷静に体の前で両手を広げ、宥めるように揺らして見せた。その仕草は余計に彼の神経を逆撫でしたようだった。  何かまた言葉を発するかと思われたライニールは不意にピタリと動きを止めた。ミハルの胸ぐらを掴んでいた力が少し弱まり、ライニールは中空を見つめながら何か嗅ぎ取るように鼻を僅かに動かしている。  どうしたのかとミハルが彼を見上げていると、また急な動きでライニールがミハルの衣服を握ったまま歩き出した。ミハルは引きずられるように、フラフラとライニールの後に続く。  先ほどミハルが開けた部屋の扉を出て、玄関にたどり着く。ミハルはもしや表に放り出されるのかと思ったが、ライニールは何か探すように周囲を見回した後、「ここでいいか」と言うように玄関の隅の物入れのノブに手を掛けそれを開くと、ミハルの体を放り投げるようにその中に押し込んだ。 「えっ⁈」  唐突に体を投げ出され、背後でバタリと戸が閉まる。その後で何か重たいものを引きずる音がして、それがガタリとその戸に打ち当たる音が鳴った。ミハルは慌ててドアノブを下げてその戸を押すが、向こうで何かが扉の開閉を阻んでいるようだ。おそらく傍に置かれた調度品の壺だ。大きくて重そうで、なにより高そうだったと思い出し、ミハルは戸を押すことを諦めた。 「ライニール様、お戯れを。ここを開けてください」 「うるせえ」 「ライニール様」 「うるせえ、黙れ。客が来る。お前は空気だ。黙れ」  ミハルはまたパクリと口を閉じ押し黙った。  物入れの中は庭具や箒や何が入っているのかわからない木箱が積み重なっており、どれもこれも砂を被って埃っぽい。広さも荷物が乱雑に置かれているせいでミハルが腕を広げることもできないほどだ。ただでさえ薄汚れていた衣服がさらに汚れてしまった。  どうやらライニールは客にミハルの姿を見せたくないらしいが、ミハルは自らの薄汚れた衣服を見下ろし、妙に納得してしまう。こんなみすぼらしい使用人を客前に出したくないと思うのは至極当然のことだろう。 「これしか持ってないんだから仕方ないだろ」  ミハルは小さく呟いたのだが、扉の向こうでライニールの舌打ちが聞こえた。  少ししてライニールの予告通り、客人が城の扉のノッカーを鳴らした。そして軋む音と扉を抜けた風の気配で、ミハルはこの城の扉が開かれたのだと感じ取った。そして閉ざされた物置の戸に耳を押し付け、外の様子を伺った。 「やあ、ライニール! 調子はどう? 相変わらず陰鬱な顔してんね?」 「チッ」  ライニールの舌打ちはミハルだけに向けるものではなく、どうやらテンプレートらしい。そういえば、レネが「ライニールは恋人を亡くして以降心を閉ざし、人を寄せ付けない」と言っていたな、とミハルは思い出した。  しかし、訪れた客はライニールのそんな態度には慣れた様子だ。至極明るい声音のままに話し続けている。声の質から言って、若い男のようだ。獣人であれば本当に若いのかどうかは定かではないが、言葉の調子はミハルがここに来る途中に宿屋で会った人間の若者と似ている。 「また色々仕入れてきたよ。こっちは、食材。こっちは薬草類ね」  客の男が息むように言葉を詰まらせた後、どさりと何か重たいものを置くような音がする。察するに、引き篭もりのライニールのために何か物資を届けにきているようだ。 「これで足りるか」  じゃらりと硬いものが擦れる音がする。おそらくライニールが対価のを貨幣を渡したのだろう。客の男が確かめるような間を開けてから「うん、大丈夫」と答えている。 「あ、そうだ。それからコレ」  今度は硬貨とは質感の違う、硬いものが擦れる音がする。差し出したのは客の男のようだ。ライニールはそれを受け取ったようだが、二人は無言のまま少し不自然な間が空いた。 「ライニール、いつまで閉じこもってそんなもの集めているつもり?」  客の物言いに、ミハルはヒヤリと唾を飲んだ。「うるせえ、殺すぞ」とライニールの声で幻聴が聞こえたが、実際のライニールはミハルの予想に反して、なんの言葉も返さないまま黙っている。 「もう5年も経つんだ。良い加減、前を向かないと。今度旅行でも行かない? ナルバに新しいリゾート施設ができたらしい、魚がめちゃくちゃ美味いって」 「……いかねぇ」 ライニールの低い声が客の明るい声音を途切れさせた。「そっか」と少し沈んだ客の声がドア越しに聞こえ、ミハルは少し彼が気の毒になる。 「まあ、気が向いたらいつでも声かけて。それじゃ、また来るね」  気遣う声をかけた客人の男に、ライニールは何の言葉も返さなかった。  程なくして客の足音は遠のき、扉がバタリと閉まる音がする。ミハルは狭苦しい倉庫の中で体を捩り、壁沿いの小さな小窓を覗き込んだ。それは城の前の石畳の道に面していて、ちょうど出て行った客人の姿が見えた。やはり想像通り見た目の若い男だ。整えられた茶色い髪に、それなりの地位に付いていそうな小綺麗な身なりをしている。距離があるので瞳の色や獣人であるか否かまではわからない。しかし、屋敷の前に馬車が停まっていないことから、この近くに住んでいるか、もしくは容易に移動できる魔法を習得した魔法使いである可能性が高いだろう。  彼は一度だけ名残惜しげに城を振り返った。その手に握ったオレンジ色の小さな球体を確かめるように中空に投げてキャッチしている。そしてその直後、水面に揺らめくようにその姿は掠れて見えなくなった。やはり魔法使いだったようだ。  客の男の姿が見えなくなったとほぼ同時に、物置の戸の向こうでガタリと音が鳴った。おそらくライニールが戸を塞いでいた壺を退けたのだろうと思い、ミハルはゆっくりと戸を押した。思った通り、今度は何の隔たりもなくすんなりと開く。  顔を出すと、玄関の二枚扉のすぐ脇に木箱が3つも置かれていた。そのどれにも食材が入っている。傍にある麻袋には穀物でも入っているのだろうか。ミハルは鼻をひくりと動かした。  遠目だがどの食材も色艶がよく、質がいいもののようだ。パンやワインまでもが箱から頭を出している。ゴクリと唾を飲み込んだと同時に、ぐうと鳴った腹を抑えた。 「チッ」  ミハルの腹の音が聞こえたのかはわからないが、ライニールが鋭く細めた視線をミハルに向けた。その手にはベルベッドの黒い小さな袋を持っている。その膨らみから中に何か入っているようだ。おそらく先ほど最後に男に手渡されていたものなのだろうと、ミハルは無意識に袋を見つめた。 「おい、てめぇ、クソ兎」 「はい?」 「この食材を調理場に運んでおけ」 「調理場?」 「聞き返すな、さっさとしろ」  ミハルは物置から飛び出して、箱の一つを両手で抱えた。箱にはまんまるの芋や青々とした葉野菜が入っている。 「あの、ライニール様」 「さっさとしろ」 「はい、あの、調理場はどこでしょう?」 「あ?」  ライニールはミハルを振り返る。その表情は相変わらず理不尽に歪んでいた。 「あっちの方だ、それぐらい自分で探せ、クソ兎」 「……はい」 あっちの方と指差したのは、さっき彼がいた玄関の正面に位置する部屋だ。そういえば奥の方に扉があったので、そこが普段彼が使う調理場なのだろう。  ライニールはまた舌を鳴らすと、ミハルに背を向け先ほどの部屋とは違う方へと歩き出した。ミハルはその背中に声をかける。 「あの、ライニール様」 「あ?」 「どちらへ?」  ライニールは一度振り返った。しかしミハルの質問には答えずに、そのまま城の奥へと消えていった。

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