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 小さな方の雪だるまの目は青い追蹤玉を2つ入れ込んでしまおうか、などとミハルが考えていると、不意に隣でライニールが中空を見上げた。そして微かに鼻を動かす。その仕草が、何を意味するのかミハルは知っていた。2日前の出来事が脳裏に甦り、胸が締まり背中に脂汗が吹き出した。 --この人殺し! 「ライニール」  その声にライニールは振り返り、ミハルは半歩ライニールの背に歩み寄って身を隠すかのように寄り添った。視線の先には城の石階段の前に立つヒリスがいた。雪を踏む音がしなかったのは、彼が魔法を使って来たからだろう。 「どうした、今日は来る日じゃねえだろ」 「ああ、うん」  ヒリスはライニールの問いに曖昧に頷いた。口元は口角をあげ一見笑顔を作っているが、目元は違う感情をはらみながらライニールの後ろのミハルを捉えた。  ライニールは視線に気がついたのか、もう一歩ミハルの前に体を出した。 「ライニール、どうしてなの」 「あ?」 「どうして、そいつがここにいるの」  ライニールは黙っている。ミハルはその背後で息苦しい胸元を抑えた。激しい鼓動がその手から伝わってくる。 「そいつが何をしたか、忘れたわけじゃないだろ⁈」  ヒリスが声を荒げ、一歩前に雪を踏み締めた。ライニールが咄嗟に身構えた気配がミハルにもわかる。ミハルを庇うようなライニールの仕草を見て、ヒリスはそれ以上は進まないままその表情を歪めた。 「こいつは罪人だ。魔女の意向でここにいる」  ライニールが言った。その言葉の何かがヒリスの引き金を引いたようだ。彼の足元の雪が舞い上がり、かと思ったら見えない何かがミハルに向かって走り抜けるように雪を掻き分けた。風が起こり、それがミハルの髪を巻き上げた。  ぶつかる、と、そう思ってミハルは強く目を閉じた。しかし、それよりも早くライニールがミハルの腕を掴んで引くと、その体を雪の上に放り投げた。 「ぐえっ」  緊張感なく呻いたミハルは恐る恐る目を開ける。背中から投げ出されたが、雪のおかげで痛みはない。しかし、自分が先ほどまで立っていたであろう場所は雪が大きくへこんでいて、あのままあそこに止まっていたら、その衝撃はミハルの体に衝突していただろう。  ライニールはへこみのすぐ脇に立ち、その瞳はヒリスを捉えていた。 「都合よく全部忘れて、烙印の苦しみをライニールに鎮めてもらってるってのか? ライニールがどれだけ苦しんだかも知らずに? 許せない……」  ヒリスは体の横で両手の拳を握り締め、口元を結んで眉を寄せた。そしてその足元で怒りを踏みつけるかのようにザクザクと雪を鳴らし、倒れ込むミハルに歩み寄りながら、呪いの言葉でも呟くように口元を動かしている。 「ヒリス、だめだ、止まれ」  ライニールはヒリスの行く手を阻むように手を伸ばし、その肩を掴んだ。  ミハルは言葉を失い立ち上がれないままだ。ヒリスが自分に向ける敵意に、ただただ動揺して、息荒く瞳を揺らしていた。 「消えろ! ライニールの前から去れ!」 「ヒリス!」 「消えろ! 人殺し!」  ライニールはヒリスの肩を強く押し、その体を背後の雪に投げた。ヒリスは雪の上に尻と手をつき、それでもまだその表情は怒りで歪んでいる。 「ヒリス、帰れ」 「ライニール!」 「帰ってくれ!」  ライニールが声を荒げると、ヒリスは黙り奥歯を噛んだ。ゆっくりと立ち上がり、乱れた衣服を治している。  ミハルも静かに立ち上がった。  ヒリスの荒い呼吸がミハルの耳に届く。まだ何か言いたげにヒリスは息を吸い込んだが、ライニールが肩に手を乗せその動きを止めた。ヒリスの呼吸は少しずつ落ち着いていくが、表情はまだ険しいままだ。 「ヒリス……様……」  絞り出すようにミハルが言うと、ヒリスは睨みつけるような視線を向ける。ライニールもミハルが何を言うのかと視線を向けた。 「あの、次回、魚を持ってきて頂けませんか?」 「はっ?」  このタイミングで何を言うのかと、ヒリスはさらに眉を歪め上唇を持ち上げた。殴りかからんばかりに一歩踏み込んだが、やはりライニールが肩を抑えてその動きを止めた。 「あ、えっと、やっぱり、良いです、自分で《《釣りに行きます》》」 「……わかった」  ヒリスは答え、一瞬ライニールを見上げた。その後で肩の手を振りとくと、向きを変え自分のつけた足跡の上を戻っていく。その途中で彼の体が水面のように揺らめいて、その姿は見えなくなった。 ◇ 暖炉の火を見つめながら、ライニールは絨毯の上に胡座をかいて背中を丸めて座っている。彼の冬の定位置はどうやらこの場所のようだ。  ミハルは脱いだ自分のコートとライニールのコートの両方にハンガーを通して壁にかける。手袋は暖炉の熱が届くところに並べて置いた。  ライニールは黙っている。 ミハルはキッチンでミルクを温めココアを入れた。 「ライニール様、マシュマロ入れましたよ。白いのとピンクの」 「ああ」  暖炉の火に目を向けたまま、ライニールはミハルからカップを受け取った。口はつけないまま、浮かぶマシュマロに目を落としている。  ミハルは自分もカップを握りながら、少し離れた場所に腰を下ろした。パチパチと薪が音を鳴らしている。 「このお城に来た時にレネさんから聞きました」  ミハルが口を開くと、ライニールが少しだけ首を持ち上げた。 「ライニール様は、恋人を亡くされて酷く落ち込んで心を閉ざしていらっしゃると」  ライニールは何も言わない。ミハルは言葉を続けた。 「あの書斎のお写真の方ですよね。それから、この服の持ち主」  ミハルはセーターの胸元を握る。ライニールはシャツだけでなく、あの人の着ていた服の殆どをミハルが着ることを許していた。 --人殺し!  ヒリスのその言葉を聞いてから、ミハルはライニールの行動が理解できないでいる。 「ライニール様の大切な方を……俺が、殺した」  それが失った罪の記憶なのかと、ミハルはライニールに尋ねた。 「ちげえ」  暖炉の中で薪が弾けた。ミハルは深く息を吸い込みライニールの言葉の続きを待つ。 「俺だ」 「……え?」  ミハルは眉を上げた。彼からの断罪を覚悟していたミハルにとっては予想しない言葉だったからだ。どう言うことかと眉を顰めていると、うっすらと炎の光が映るライニールの瞳がミハルを向いた。 「あいつを殺したのは俺だ。俺はあいつを見捨てた。俺が殺したようなもんだ」  ミハルは唾を飲んだ。 「ど、どうして……です? 恋人だったのでは?」 「そうだ」 「愛していたんですよね?」 「……そうだ」 いや、違う。愛してではなく、ライニールは今も彼を愛している。だから、こんなにも苦しそうなのだ。 「あいつは、俺を裏切った。俺はそれが許せなかった」 「ライニール様を、裏切った?」 「ああ、あいつは……俺を殺そうとした」  ミハルはライニールの言葉に息を飲んだ。その後で、「なぜ?」という言葉が頭に浮かぶ。 --ライニール  あれは、あの人の記憶だったはずだ。そこに敵意などなかった。しかし、断片的な記憶だけでは彼の真意が掴めない。 「ライニール様は、探していらっしゃるのですか?」 「あ?」 「あの方の記憶です。ヒリス様から毎回たくさんの追蹤玉を受け取ってますよね?」 「……クソが、見たのか」 「はい、すみません」  ライニールが舌打ちをした。苛立ったと言うよりは、癖で鳴らしたようだった。 「なぜあの人はライニール様を殺そうとなさったんですか?」  ミハルの問いにライニールは答えない。わからない、と言う事だろうとミハルは思った。 「知りたいんですね、ライニール様。あの人が何故ライニール様を殺そうとしたのか。だからあの方の記憶を探していらっしゃる」 「ちげえ」  ライニールは手にしたカップを床に置いた。その手が自身の何かを拭うように、額からゆっくり顔を辿って顎を撫でた。 「理由は知ってる。後から知った」 「そ、それは、どういう……」 「でも、俺は許せなかった。あいつが俺を殺そうとしたこと……俺を裏切った事は変わらない」  許せない、しかし、愛している。あの部屋の引き裂かれた写真はそれを物語っていた。ライニールはそれに苦しんでいる。苦しくて、だから、探している。彼を許す理由を。 「あの人が、あなたを愛していたという記憶を探しているんですね」  ミハルの言葉に、ライニールは表情を動かさないままゆらめく炎を見つめていた。かなり長い間沈黙が続き、パチリと大きく薪が音を鳴らした後で 「わからねえ」 と、ライニールがため息のように呟いた。

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