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第1話/第二王子の我儘1

拝啓、現世の俺。 元気にお過ごしでしょうか? きっと人が変わったように人付き合いが良くなったり、礼儀正しくなったり、とにかく品が良くなっているのではないでしょうか? あ、でも女癖は酷くなってんのかな。 まぁ、そんな感じで今までとは違う俺になっているんじゃないでしょうか。 それはそうでしょう、現世の俺は中身が入れ替わっているのですから… 「何1人でぶつぶつ言ってらっしゃるんですか?」 「え、お……あ、僕声に出してました?」  まるでヨーロピアンを思わせるお洒落な装飾を施した机に両肘を預けて頬杖を付き、目の前に広がる異国の言葉が連なる参考書を眺めていては妄言すら吐きたくなる。  まぁ、妄言と思われているだろうけど全て真実なわけだが。 「最近のクロエ様は…何と言いますか、全くやる気が感じられません。以前のクロエ様でしたら喜んでお勉強されておりましたのに」 『それはそうだろ…俺は以前のクロエ様じゃないからな』 皮肉を口にしたい気持ちをグッと堪えて小さく溜息を溢し、参考書に手を伸ばす。  異国の言葉であっても、読み書きが出来ることだけは有難いが、どうせなら頭の中身も入れ替えて欲しかったところだ。読み書きが出来ても問題が解けないのでは意味がない。 「クロエ様、今日のところはここまでにしておきましょう。お勉強にも身が入らないようですし…また明日お伺いします」 「あ、はい……すみません」  先に溜め息を溢したのはこちらだが、目の前で呆れたように溜め息を溢されては何を言い返すことも出来ず、ただ謝罪するに留まるしかない。  勉強道具を手にして、「失礼します」と頭を下げて出て行く家庭教師を見送って、クロエは盛大にデスクに突っ伏した。  この生活を始めて1週間。  そもそも何故普通の男子大学生である自分が、「クロエ」になってこの異世界の生活を送っているのか、それは話せば長い…いや、簡潔に話せばクロエに合意の上とはいえ急に体を乗っ取られただけである。 「こんな可愛くて綺麗な顔して…とんでもないヤツだよ本当…」  視線を上げた先の鏡に映る「クロエ」の姿は、恐ろしい程の美少年だった。  キラキラと太陽の光を浴びる肩口で切り揃えた金髪に、透き通る海のような碧眼。肌は陶器のように白く、傷や肌荒れ一つとない。  童話に出てくる王子様とはまさにこれだと言わんばかりのビジュアルに、最初声を掛けられた時は夢か幻かと思った程だ。そもそも夢か幻としか思えないようなシチュエーションでもあったのだが。  それは大学3年の春から夏に変わる頃、梅雨の中休みで突き抜けるような青空の日だった。  その日は午前で授業が終わり、早々にアパートに帰ろうと帰路を辿っている最中、小さな商店街を抜けていつもの公園を横切ろうと園内に足を踏み入れた、その時だった。 『…………』 「…?」  不意に聞こえた声…というよりも頭の中に響く、音のような奇妙な感覚に足を止めて振り返る。  昼間の公園は、まだその場で遊ぶ子供たちが幼稚園や学校に通っている時間だからだろう、人っ子一人見当たらない。元々ブランコと滑り台しかない小さな公園だが、誰もいないとなるとなんとなく違和感を覚える。  先程の感覚は勘違いなのだろうと考えることをあっさり放棄して歩き始めるが、その音はまた頭の中に響き、あまりに不思議な感覚を覚え今度こそ足を止め、ゆっくりと辺りを見渡した。  やはり、誰もいない。 「気のせい………じゃないよな?」  今日は湿度も低いようでカラッとした晴天だというのに、得体の知れない恐怖に身慄いする。 『……あ、…あき…あきと』  不明瞭な音がやがて自分の名前を呼んでいるのだと理解した。声に導かれるようにゆっくりと歩を進めると、その先にはニ人がけのベンチがあり、小さな手鏡が不自然に置かれていた。まるでアンティーク品のような凝った装飾のそれは、陽の光を受けてキラキラと反射している。声は手鏡から聞こえてくるようだ。 「綺麗な鏡だけど…なんか…」  怪しい、と思ってしまうのは先入観なのか。  恐るおそる鏡を覗き込むと、やはりというべきか本来自分を映し出す筈の鏡にその姿はなかった。あったのは、こちら側を覗き込む驚くほどの美少年の姿だった。 『あっ!やっと見つけたよ、僕の秋斗!』 「…僕、の…?」  金髪碧眼の美少年が、さも当たり前のように自分の名前を呼んだことも勿論だが、『僕の』と言われたことに顔が引き攣った。もっと他に驚くことはたくさんあるのだが、鏡の中の美少年の毒気のなさと軽い口調が先程までの恐怖心を一掃した。いや、日本どころか世界のアイドルや俳優でも見たこともない程の美少年振りは、この世の者感を感じないが。 『ずっと…ずっと貴方のことを探していました…この日をどれだけ待ち焦がれたことか』  目の前でウルウルと瞳に涙を滲ませる美少年に、最早ついて行けずに頭を抱えて目を背けた。もしかしたら夢?幻?なんて典型的なオチを期待したが、おそらくそれは望めないだろう。 「ちょっと待って…今状況整理してるから…その、落ち着くまで待って」 『気持ちは分かりますよ、秋斗。でも今はそれどころではないんです…貴方にしか頼めないお願いがあります』 「話が早過ぎるからちょっと待てってば…」  必死な形相でこちらを急かしてくる美少年に待ったを掛けるも、どうやらあちらは待ってくれるつもりはなさそうだ。  秋斗は諦めの溜め息を吐くと、視線を手鏡に向けそれを手にしてベンチに腰掛けた。一応辺りを見渡してみたが、これを狙っていたかのようにやはり人の姿は見当たらなかったので、真正面から美少年と向き合う形を取る。 「まずは…お前は誰なんだ。なんで俺の名前を知ってる。先に俺の質問に答えない限り、お前の頼みも聞かないからな」 『…まぁ、確かに僕のことを先に話した方が良さそうですね。僕は、ウェルヴィスタ王国の第二王子、クロエと申します。察しておられるかと思いますが、あなたとは違う世界の人間です。秋斗のことは、今あなたの手にしている手鏡でいつも見ていました』  胸に片手を添えて一礼し、肩で切り揃えた金髪を流しながら優美な笑みを浮かべるクロエという美少年の自己紹介は、明らかに現実離れしているがとても腑に落ちる内容だった。まず、王子という点はもう見ての通りだと思ったし、違う世界という点もこの不思議展開の中で今更疑いようがない。 「その…違う世界で生きてる王子様のアンタが、ただの一般人の俺にお願いしたいことって何なんだよ」  その言葉を待っていましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべたクロエは、このまま鏡の中から出てきそうな程前のめりになって顔を近付けてきた。出てくるわけはないと思いながらも無意識に鏡を遠ざけると、待って待って!と慌てる声が聞こえる。 『…っ聞いてください!僕のお願いしたいことはただ一つ、僕と暫く入れ替わってはくれないでしょうか…!』

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