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1.初めてのお泊り①
ワンルームの狭い玄関に、小さなスニーカーが2つ転がっていた。
家主の誉はそれを見て小さく笑むと、揃えて並べてやる。
室内は狭いので、顔を上げればすぐにベッドの上に小さく上下する布団が見えた。
カバンをおろしながらそっと覗くと、真っ白な少年が本を枕に頭まで布団を被って丸くなって眠っていた。
まるで子ウサギのようだ。
誉はその頬を撫でながら、"アルビノって睫毛まで白いんだな"と独り言ちた。
暫くその願いを観察していると、額が少し汗ばんでいることに気づき、布団を肩のところまで下げてやった。
"珍しいな"
そうして見て気が付いたが、彼は制服ではなく学校指定のジャージを着ている
そういえばスニーカーも私物ではなかった。
何かあったのだろうかと誉が怪訝に思ったその時、尻ポケットのスマフォが震えたので手に取る。
表示された名前を見て少し考えたが、出ることにした。
窓を開け狭いベランダに出ると同時に耳にスマフォを当てる。
『誉、もう、どうして出ないのよ!』
「あぁ、さっきまでアルバイト中だったので」
開口一番、相手からのヒステリックな声に辟易としながら誉は返す。
『アルバイト?そんなのやめてしまいなさいよ、お小遣いが足りないならあげるわよ?』
「あはは、考えておきます」
『そうよ、そうしなさい。後で振り込むからいくら欲しいのか連絡しなさい。
あ、ちがうの、今日はそうじゃなくて、大変なの。
私の櫂ちゃんがどこか行っちゃったのよ!』
"私の櫂ちゃん、ねぇ…。
相変わらず過保護なお母さまだ"
誉は半ば呆れながら窓の方を見やる。
ウサギさんこと"櫂ちゃん"は、未だすやすやと夢の中だ。
『あの子、お昼休みから連絡がとれなくって!
学校が終わったのに、迎えの車にも来ないし!
その割にGPSは学校って出てるからおかしいと思って見に行かせたの!
そしたら教室にお荷物だけ全部あって、本人がいないのよ!!あなた何か知らない?』
「はあ、知らないですね。
誘拐でもされたんじゃないですか」
『ああ!そうよね!
やっぱりあなたもそう思うわよね?!
だって櫂ちゃん、あんなに可愛いんだもの、そうに決まってるわ!
なのに航ったら放っておけって言うのよ、ひどいお兄ちゃんでしょ?やっぱり警察に連絡』
「冗談ですよ、息子さんなら、今うちにいます」
『えっ?本当?!』
「本当です、ホラ」
誉がカメラ通話に切り替え、布団で眠るカイを窓越しに映してやると、ほっと息を吐く音が聞こえた。
『よかったわ〜!
もう、あなたのところに行くならそうと言えばいいのに!』
「まあ、荷物を全部教室に忘れるくらいウッカリしていたのだから仕方ないでしょう。
困った時にと思ってスペアキーの在り処を教えておいたんですよ。
さっきも言ったとおり、僕はずっと留守にしていたので、待ち疲れて寝てしまったんでしょう」
『ほんとにもう、人騒がせな子!
どうしてかしらあなたのことが気に入っているみたいで…ごめんなさいね、困るわよね。
今すぐ迎えをやらせるわ』
「いや、折角よく寝ているのに起こすのも可哀想でしょう。起きたら連絡しますよ」
『まあ!けど、いつも面倒見させて悪いわ』
「いいですよ、弟みたいで可愛いですし」
『あらそんな、いつも悪いわね…。
あなたのその櫂ちゃんに優しいところ、航にも見習わせたいわ〜。あの子ったらお兄ちゃんなのに全く、いつも』
「彼は彼なりに弟を可愛がってると僕は思いますけどね」
『そんなことないわよ、冷たいのよあの子。
櫂にも、私にも…、父親に似てホント可愛くないわ』
それは貴女のせいでしょうよ。
なんて誉は思ったが、勿論口にはしない。
代わりに愛想笑いを返し、長男への不満を口にし始めた彼女を、面倒な女だと腹の中で吐き捨てた。
さて、このまま長引かせても、時間の無駄だ。
相手の話に合わせ適当に相槌をうち、話の切れ目でうまく電話を切る。
浅く息を吐きながらふと床を見ると、転がっている吸い殻を2つ見つけた。
誉れはそれを拾い、部屋の中へと戻る。
ウサギさんは相変わらず夢の中だ。
「またこんなものを吸って、困ったウサギさんだね」
誉はため息混じりに呟いた後、その白い頬を撫でた。
そして暫くの間、そのまま愛おしそうにその寝顔を見つめていた。
それから小一時間ほど後、布団が擦れる音がした。
「おはよう、お寝坊さん」
誉は一口ガスコンロの上でスープを煮ながら、その方に声だけをかける。
「んー…」
次に、布団から白い手が出て、何かを探すようにゆらゆらと揺れた。
が、すぐにそれは布団に引っ込んで、本体がゆっくり這い出てくる。
「めがね…」
「ここではかけなくてもいいでしょ」
「ん…」
カイは座り込んで目を閉じたまま、顎を上げた。鼻を天井に向けて、くんくんと動かしている様子は本当にウサギのようだ。
「いいにおいがする」
「起きたらお腹を空かせてるかなと思って」
そこでようやくカイが、ゆっくりと目を開く。
彼の白い髪と肌によく映える、赤い瞳だった。
「それにしても、そんな格好でどうしたの。
制服やカバンは?」
誉はできたてのスープをこたつテーブルに出してやりながら、敢えてカイにそう問うてみる。
「学校においてきた」
スープにつられてベッドから這い下りたカイは、手を合わせ"いたたきます"のポーズをしながら答えた。
「オレがどこ行っても母さんに居場所バレんの、じーぴーえすのせいだってお前、この間言ってたろ。
けど、それがどれなのか分かんねーから、今朝家を出る時に持ってたものは全部学校においてきた。
……って、何笑ってンだよ」
「いや、あはは、そうか。
なるほど、その発想は無かったよ。
だから学校においてあるジャージとスニーカーなんだね」
「そうだけど」
誉に笑われたカイは気に入らなそうに頬をふくらませる。
その頬をつつきながら、
「で、そんな過保護なお母様を撒いてまで来たかったのがウチだったってこと?嬉しいね」
と返すと、カイは更に横を向いて、
「……眠かったんだよ、すっごく」
と返した。その耳は、真っ赤だ。
ちょうどその時、パンが焼けた音がしたので、誉は立ち上がる。
「何日くらい寝てなかったの?」
「んー……」
横に置かれたパンをすぐにちぎってスープに浸しながらカイは少し考える。
「4日かな。
薬が切れちまって……。
こういう時に限ってあいつがずっと家にいてさ……」
「お父さんの部屋からいつもくすねてるんだっけ」
「そうだよ、で、ここなら…」
そこまで言いかけて、カイは急に下を向いた。
今度はその額が赤い。
「ここなら?」
敢えてそう問い返すのは、ちょっとした意地悪だ。
「………ここなら、いつも薬なくても寝られる、から」
期待通りの回答に、誉は嬉しくなる。
その気持ちのまま、カイの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやると、彼はウサギのように目を閉じ身を固くした。
「やめ、やめろ」
「あはは、本当に可愛いね、カイは」
「うるせえ、やめろ、子供扱いすんな」
「うんうん、わかったわかった」
「わかってないだろ、やめろってば!」
抵抗も虚しく髪の毛がぐしゃぐしゃになるほど撫でられたカイは、不機嫌そうに膨れていた。
が、誉に促されてスープを啜った瞬間、その不機嫌な顔が綻ぶ。
誉もまた、それを見て微笑んだ。
「またいつでもおいで」
誉が優しく言うと、カイは横を向いたが、しっかりと頷いた。
そしてそんなカイの耳は、さっきよりもずっと真っ赤だった。
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