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2.初めてのお泊り②

カイは食べるのが遅い。 酷い偏食で、嫌いなものが入っていないか確認しながら食べるからだ。 「そのスープに、カイの食べられないものは入ってないよ」 スプーンに乗せた具を見つめているカイに、誉がキッチンから先手を打つように言う。 「ベーコンはいってる…」 「それは食べられるでしょ」 「食べられるけど、好きじゃない」 「食べないと、あーんして食べさせるよ」 「……それはいやだ」 カイは諦めたようにスプーンを口に入れる。 するとその時、誉がコンロの火を止めた。 何かと思ってカイがその方を見ると、尻ポケットからスマフォを取り出している。 それをそのまま耳に当て、ちらりとこちらを見た。 「もしもし…ああ、ハイ。 ええ、さっき起きましたよ」 その感じから、誉の電話の相手を何となく察したカイは俯き体を強張らせる。 誉は菜箸を置くと相槌を打ちながらカイの横に戻ってきた。 そしてカイを見てその頭を優しく撫でた後、スマフォのミュートを押して 「大丈夫、任せて」 と囁いた。 「今軽くスープを食べさせてます。 よく食べてますよ。 ええ、お腹が空いていたようですね。 迎え?そうですね…」 会話に耳を傾けながらのろのろとスープを食べていたカイの手が止まる。 誉は眉を寄せ、電話の相手の話に聞き入っている様だった。 スマフォの背面を人差し指でトントンと叩いている。 少し苛ついている様にも取れるその仕草に、カイは一気に不安になった。 誉はふっと息を吐く。 そしてカイにかける声色とは違う、いつもよりもずっと冷たく低い声でこう言った。 「失礼ですが、今、お父様がご自宅にいらっしゃるでしょう」 三秒ほど誉が押し黙った。 またスマフォの背面を指先で叩いている。 「ええ、ですよね。 貴女だから有り体に申し上げますが…」 五回それをした後、誉は口を開いた。 今度は穏やかな声だった。 「櫂君はそれに強いストレスを感じているように見受けられます。 今日、うっかりしてしまったのもそれが要因ではないかと…ええ、そうです。 流石お母様ですね、わかってもらえると思ってました。 いえいえ、そんな」 誉の指の動きが止まった。 同時にカイの方を見て、にこりと微笑む。 そこからは、早かった。 「お父さまがいらっしゃるのは今夜までなんですね。 でしたら、今夜櫂君を僕に預からせてもらえませんか? そうすればきっと少しは心が休まるでしょうし、 ちょうどさっき、宿題でわからないところがあると言われたので教えて差し上げたいんです。 それに明日は土曜で学校もないですから、午後にでも、ご自宅まで僕が送りますよ。 ええ、勿論タクシーで。 こんな安アパートに息子さん置くのは心配でしょうけど…あはは、僕だから安心? また上手いことを言って…でも、ええ、光栄です」 一つモノを言えば三つ話を脱線させる母を相手に、よくこんなにもうまく会話を運べるものだ。 しっかり要求を通し、早々に電話を切った誉を見ながら、カイは思う。 「ということで、お泊り確定。良かったね」 「ん…」 誉は、ようやく表情が和らいだカイにそう言い、またカイの頭をぐしゃぐしゃと撫でると立ち上がった。 そしてスマフォをテーブルに置きっぱなしにし、キッチンに向かう。 「じゃあ、このままちゃんと夕飯にしようか。 オムレツ、食べるでしょ? マッシュルームとチーズ、入れてあげるよ」 いらない、と返す前にまた先手を打たれた。 オムレツ、こと誉が作るそれはカイの数少ない好物だ。 カイの返事を待つことなく、室内にバターのいい香りが広がり始める。 合わせ、野菜を切るその音を聞きながら、カイは誉のすっとした立ち姿を見やった。 オムレツをちまちまと小さな口に運びながら、カイがふと言う。 「お前、料理うまいよな」 「舌が肥えてる君に言われると、自信がついちゃうな」 「茶化すなよ…。 けど、ほんとに。うちのシェフより全然美味い」 「そう?じゃあバイトに雇ってもらおうかな」 「バイトぉ?まだ増やす気なのか?」 「御曹司の君とは違ってね。 生活がかかってるんだよ、僕は」 誉にそう言われても納得がいかないらしいカイは、膨れっ面をする。 「それに、御曹司って言うな」 「どこからどう見ても立派な御曹司でしょ」 カイは代々続く有名な大病院経営者の次男坊。 一方で、誉はただの大学生だ。 それも一般的には苦学生と言われる類で、実際に学業以外の殆どの時間をアルバイトに費やしている。 何をしているかまでカイは知らないが、メールを出しても返事が一日二日帰ってこないこともままあるほどに忙しそうだった。 いつでも連絡してね、なんて優しいことを言いながらそんな調子だから、カイはずっと不満に思っている。 今でさえこんな具合なのに、更にバイトを増やされたらもっと捕えにくくなる。 そんなことは許せない。 だったらそうだ、いいことを思いついた。 「そんなにバイトしたいならさ、他所じゃなくて、オレの、もっと増やせばいいじゃん」 「君の家庭教師の話?」 「そうだよ!」 誉は、カイの家庭教師を担っているのだ。 彼の兄で親友の航から、弟の成績が芳しくないが、家庭教師をつけてもその気難しさ故に長く続かないと話を聞いたのがきっかけだった。 「うーん、そうだな、考えておくよ」 「そこはハイって言えよ!!」 「時給次第かなあ」 「…わかったよ、母さんに弾むように言っとくってば」 「どっちかと言うとお祖父様かな。 君の成績が上がらないと時給アップは難しいと思うんだよね、正直なところ。」 「そうなのか?」 「それどころか、実はこのままだと辞めさせられるかもしれないんだよ」 「えっ、何で」 「君の成績が上がらないからだよ。 この前も呼び出されて怒られちゃってさ。 お祖父様いわく、僕が甘やかし過ぎだそうで。 もっと厳しくて、優秀な人に変えると。 ホラ、この前の定期試験も、お祖父様の言葉を借りて言うと"如月家に相応しくない凄惨たる結果"だった、とのことで」 「………」 カイは眉を寄せながら誉の話を聞き、そして俯いた。 その丸めた背中を撫でながら、誉はため息を付く。 するとカイは下を向いたまま、また拗ねた声で返した。 「じゃあ、次は、60点にする…」 「こら、そういう問題じゃないの」 カイのテストの成績は、中の下くらいだ。 しかし誉は知っている。 カイは点数を敢えて低くなるように調整している。 「毎回、全教科すべて揃って50点なんてありえないからね。恐らくお祖父様は気づいてるよ。 それでいて、君が反抗していると思ってるんだ」 「……じゃあ何点なら誉辞めないで済む?」 「だからそういうことじゃないってば」 「………」 実際、誉はカイに学年相応の内容を教えたことはない。 いつも教えているのはもっと高度な、それこそ大学生が学ぶような内容だ。 カイは、シンプルに地頭が良い。 加えて本の虫で、勉強が好きだ。 もしもカイが普通に試験を受ければ、きっと一番だって易易と狙えるだろう。 ではその目的は、一体何なのか。 ただの反抗期だとしても、やり方がヘタクソ過ぎる。 この件については、誉も呆れている。 何よりもその才能をつまらない反抗心で捨てさせるのは勿体ない。 だから、少し強めにお灸を据えるつもりで、珍しく厳しめな言葉を続けた。 「きっと気づいてる人は他にもいるよ。 そしてそういうのって、進学にも響からね」 しかし当のカイには、全く響いていないようだ。 「別にいいよ。 母さんも無理に大学まで行かなくていいって言ってるし」 「高卒なんて、それこそお祖父様の逆鱗に触れると思うけど」 「だったら、行ける学部に行くよ。 内部生は余程のことがなければ上がれるし。 文学部がいいな。なんか沢山本読めそうだし」 「それ、本気で言ってるの?」 「うん」 そしてカイはようやく顔を上げ、投げやりに答えるのだ。 「それでいいんだよ、オレは」

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