俺の人生がめちゃくちゃになりはじめたのは、俺が五歳になったときだ。隣の家に、亜玲の一家が引っ越してきた。 「初めまして、上月と言います」 　亜玲の家はアルファの父と、オメガの母。あと亜玲とその兄の四人家族。身なりはとてもよく、亜玲の父は大企業の御曹司だった。……まぁ、それは後から知ったことだが。 　俺と亜玲の初対面はお世辞にも悪くないと思う。母の背中に隠れていた亜玲は、天使のような男の子だった。 　ふわっとした黒髪。くりくりとした大きな目。少し自信なさげな表情。……すべてが、作り物のように美しかった。 「亜玲。挨拶をしなさい」 　彼の母が、亜玲の背中を押す。亜玲は、少し俯きがちに名乗った。 「こうづき　あれいです。……よろしく、お願いします」 　震えた身体。上ずったような声。なにかに怯えているようで、愛らしい男の子。 　当時の俺はヒーローに憧れていて、亜玲のことを『守る対象』として認識した。してしまった。 「おれはいのりだ。よろしく」 　亜玲に手を差し出す。亜玲は少しためらったのちに、その手を取ってぎゅっと握ってくれた。その手の感触は、優しくて、弱々しくて。俺は、尚更亜玲のことを守らなければと認識した。 　……まさか、この男がまるで悪魔のような男に成長するなんて、思いもせずに。 　同い年で同じ保育園に通うようになった俺と亜玲は、瞬く間に仲良くなった。ずっと一緒で、手をつないで帰っていた。 　……まぁ、このときにいろいろあったみたいなのだが、俺の記憶には残っていない。つまり、大したことじゃなかったんだろう。 　そんな亜玲と俺の関係が変わり始めたのは、俺たちが小学校に入学した頃だった。 「ねぇねぇ、あれいくんってかっこいいよね！」 　近くにいた女の子たちが、そんなことを大声で話していたのだ。確かに、亜玲はかっこいい。物腰柔らかで誰にでも優しいし、顔立ちだってきれいだ。 　女の子たちの言葉を聞いて、俺は誇らしく思った。幼馴染が褒められている。それは、確かに俺の自慢だった。 　でも、すぐにその気持ちは木っ端みじんに打ち砕かれる。……女の子のグループには、俺が恋していた子がいたのだ。 　彼女も亜玲のことを褒めたたえて、素敵だと口にした。……俺の心の中に、どす黒い感情が生まれた瞬間だった。 　あの日以来、俺は亜玲を何処となく避けるようになった。……悪いことをしているという自覚はあった。なので、一気に避けるのではなく、徐々に避けよう。そう、幼心に思っていたのに。 「ねぇねぇ、いのり。今日、家に行ってもいい？」 　亜玲は、全く挫けることなく俺に声をかけてきた。ニコニコと憎たらしいほどに笑って。……俺の劣等感も、知らないで。 　この頃には、俺と亜玲は違うのだと薄々感じとるようになった。亜玲は御曹司で、顔立ちがよくて。優しくてスポーツ万能、頭脳明晰。まるで、絵本の中の王子様。完璧な男の子。 　対する俺は、一般家庭の生まれで、顔立ちは凡人で。性格は普通で運動神経は中の下。頭はいいほうだったけれど、亜玲の足元にも及ばない。……劣等感を刺激されないほうが無理だった。 「……なあ、あれい」 「うん？　どうしたの？」 「……もう、おれとかかわってくれるな！」 　言い逃げだった。ただの、八つ当たりだった。だから、俺は後悔した。明日になったら、謝ろう。 　きちんとごめんなさいをしよう。そう、決めていた。なのに――次の日。亜玲は、昨日の俺の言葉など気にもしないように振る舞ったのだ。