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後宮に嫁いだ坤澤⑦
「翠花 よ。そこで待っていろ」
一段、また一段と階段を下りるその足音に、翠花の鼓動はどんどん速くなっていった。
「翠花よ。顔を上げろ」
「こ、皇帝陛下……」
「よくぞ、九垓城 まで来てくれたな」
突然目の前に現れた皇帝陛下に、翠花は言葉を失う。
(何度見ても綺麗な人だ……)
綺麗な二重の切れ長の目には、翠花が映し出されている。スッと通った鼻筋に、形のいい薄い唇。艶々と光る髪は綺麗に頭の上で結わえられ、金であしらわれた櫛を挿している。日々武道で鍛錬しているのであろう体は、着物を着ていても筋肉を蓄えているのがわかる。
そんな絵巻物から飛び出してきたような玉風 に顔を覗き込まれれば、自然と翠花の頬は火照ってしまった。
「待っていたぞ。行こう」
「え? あ、あの、ちょっと……」
慌てふためく翠花をいとも簡単に横抱きにした玉風は、元来た階段をヒョイヒョイと上り始めた。
周りにいた宦官 達が、
「陛下! おやめ下さい!」
悲鳴に近い声を上げるが、そんな声など全く耳に届いていないのか、玉風は翠花を下ろす素振りすら見せない。それどころか、
「遠慮せずに俺に抱きつけ。じゃないと落ちるぞ? それに抱きづらい」
「え、でも……そんなこと……」
「はぁ? お前は俺の妃になるのだぞ? これからもっと恥ずかしいことをするのに、抱きつくくらいで照れてどうするのだ?」
「……そ、そんな……」
「男など知り尽くしているくせに、そんな初心 な反応しやがって」
玉風は立ち止まり、顔を真っ赤にした翠花の顔を覗き込む。
「翠花。目を開けろ」
「で、でも……」
「目を開けて、俺を見てみろ」
翠花が恐る恐る目を開けると、そこには春の日差しを受け輝く玉風がいた。
「俺の妃。ようこそ、九垓城へ」
チュッという音と共に、翠花の唇に柔らかいものがそっと触れる。
「大丈夫、怖くない。俺がいるから」
「陛下……」
「大切にする」
そう耳元で甘く囁く玉風に誘われたかのように、翠花は震える手を玉風の首へと回した。
「よし。いい子だ」
まるで慈しむようにもう一度唇を奪われれば、翠花の心が小さく震える。そのまま、玉風の逞しい胸の中に顔を埋めたのだった。
翠花は突然眩しい日差しを感じ、思わず目を細める。心地よい風が翠花と玉風の髪をサラサラと撫でていった。
「見てみろ、翠花。これが俺の城、『九垓城』だ」
「凄い……」
「だろう?」
あまりの立派さに思わず翠花は言葉を失う。この城がいかに凄い物か、噂では聞いていた。しかしそれは、翠花の想像を遥かに超える物だった。
「なんて綺麗なんだろう……」
翠花と玉風の前に広がるのは、遥か彼方まで続いているのではないかと思える位大きな町だった。
赤を基調とした建物が賽の目のようにひしめき合っている。その間を優雅に籠が走り、立派な馬車が走り去って行った。
町で暮らす人々は皆生き生きと働いている。今まで自分が住んでいた世界とは全く違う煌びやかな世界に、翠花は見惚れてしまう。それと同時に、
(今まで、自分はなんて薄汚い世界に住んでいたのだろう)
とやはり情けなさを感じた。
こんな立派な城に住んでいるくらいなのだから、皇帝とは翠花が思っていた以上に偉大な存在なのだろう。そんな皇帝の妃にこんな自分が選ばれたことが、未だに納得がいかない。
「『九垓』とは遠い天の果て、という意味だ」
サラサラと風に髪を揺らす玉風の美しさに、やはり翠花は目を奪われる。
「この『魁帝国 』は、皇帝が暮らす『黄龍殿 』を中心に、北の『玄武門』、東の『青龍門』、南の『朱雀門』、そして、お前達妃が暮らす西の『白虎門』から構成させている」
玉風の視線の先には、他の3つの街並みより更に煌びやかな建物が並んだ場所がある。明らかにそこだけ格式の高い雰囲気が漂っていた。
「お前が住むことになる『栄華宮 』に今から案内する。歩けるか?」
「あ、はい。見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
地面にそっと下ろされた翠花は、右手で拳を作り左手でそれを包み込む『拱手 礼』と呼ばれる挨拶をする。更に頭を垂れ両膝を付き跪いた。
「だからそんなに気を使うな。其方は男の割には華奢だから随分と軽かったぞ。これなら、閨 でも扱いやすそうだ」
「え……?」
玉風のその言葉に、翠花は一瞬で顔を真っ赤にした。
「男には慣れているくせに、いちいち垣間見えるその初心さが何とも言えずあざといな」
グイッと手を引かれ強引に立ち上がらされる。細く括れた腰を強引に引き寄せられて……そのまま甘く唇を奪われた。柔らかくて温かい玉風の唇と舌に暫く弄ばれた後、翠花はようやく解放される。
「いいか? 俺に寵愛されるよう努力しろ。気に入れば傍に置いてやる。わかったな?」
「はい。陛下……」
「行くぞ、翠花」
翠花の手を引き歩き出した玉風が、ふと何かを思い出したかのように振り返った。
「そうだ。お前の本当の名は何というのだ?」
「私は、仔空 と申します」
「よし、仔空。参るぞ」
この瞬間から、翠花は大好きだった両親がくれた名前を取り戻すことができたのだ。
真っ直ぐ前を見つめる玉風の顔が、うっすらと滲んだ涙でユラユラと揺れたのを感じた。
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