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皇帝陛下を待ち侘びて⑤
何もかもが初めての王宮生活の中で、仔空 が最も度肝を抜かれたのが沐浴(現代で言う入浴)だ。
湯殿 と呼ばれる場所には、四角い檜で作られた大きな浴槽がある。体を清潔に保つためか、その中に張られた湯には香草が浮かべられていた。
「さぁ、仔空貴人 。お着物をお脱ぎください」
「え? ここで、ですか?」
「左様でございます」
そこは浴槽からは程遠い場所だった。湯殿には大勢の女官がおり、それぞれ決められているのであろう持ち場に立っている。
(こんなにたくさんの女性がいる所で裸になるのかよ……)
仔空は体が石になったかのように動かなくなるのを感じた。
「さぁ、お急ぎください。犬の刻になってしまいます」
「今宵も、陛下が仔空貴人の閨に来られるとのことです」
「あ、で、でも……」
「お急ぎくださいませ」
自分の母親程の年齢の女官に着物を脱がされ、浴槽へと引っ張られてしまう。その後は髪や体を洗われたり櫛で梳かされたりと、顔を覆いたくなることの連続だった。
最後の方には仔空も諦めがつき、女官達が広げて待っていてくれた寝巻きに腕を通した。
「やっと終わった……」
仔空は大きな溜息をつく。これから毎日こんなことをしなければならないのかと思うと、正直憂鬱でならない。
「お綺麗ですよ、仔空様」
藤色の寝巻きに身を包んだ仔空を、うっとりとした表情で女官達が見つめていた。
「本当ですか? 皇帝陛下は喜んでくださるでしょうか?」
「勿論でございます。こんなに美しい皇妃は、仔空様以外におりません」
「そうですか。それは嬉しいな」
褒められたことが素直に嬉しかった仔空は、頬を赤らめながらニッコリと微笑む。
しかし、仔空が後宮に嫁いだその晩から、玉風 が仔空の元を訪れることはなかった。女官達に「皇帝陛下はお元気ですか?」と問い掛けても、皆が皆、口を揃えて「知らない」と首を横に振るのだ。
「陛下。陛下は今日も仔空の元へ来てはくれないのですか?」
満月の夜、仔空は宮の庭園へと足を運ぶ。その庭園には、小川に続く大きな池がある。舞い散った桜の花弁がユラユラと揺れる水面には、心許ない朧月が映り込んでいる。
「仔空は寂しいです。もう僕に飽きてしまったのですか? それとも違う妃をお抱きになられているのですか? 陛下、会いたいです……」
初めて玉風に会ったあの時、仔空は自分の中で時が止まったのを感じた。自分と全く異なる身分であり立派な乾元である玉風に、強い抵抗を感じながらも強烈に惹かれてしまう。乾元という自分とは異なる生き物を、本能が求めているように思えてならなかった。こんな風に感じたことは生まれて初めてだった仔空は、戸惑いを感じつつも、心の中が温かくなっていく。
最初は皇帝陛下に見初められた、なんて到底信じることができなかった。自分など幸せになることができない……と偏屈な自分がいる。
しかし、玉風 が自分の名を呼ぶ声色が心地よかったり、繋いだ手が温かかったり、交わす口付けが甘かったり……。そんな玉風の優しさに心が震えた。
それなのに、手に入れたことに満足し、玉風は自分に興味がなくなってしまったのだろうか……。そう思うと、仔空は不安に押し潰されそうになった。
冷気を含んだ夜風が、仔空の頬をそっと撫でて行く。昼間はあんなに暖かかったのに、夜になった途端急に冷え込む。
「陛下のお言葉は一瞬の気の迷いだったのですか? 僕は、陛下を信じてよいのでしょうか?」
胸の前でギュッと両手を握り締める。
「もう一度会って、抱き締めてほしい……」
仔空のそんな呟きは、桜の花弁と共に夜空へと消えて行った。
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