56 / 83

冷宮③

「なんてことでしょう、仔空妃殿下(シアひでんか)のお美しい髪が……」 「僕は男です。髪を切られたくらい、どうってことありませんよ」 「そんなことありません。仔空妃殿下の髪は、絹のように柔らかく、烏の濡羽色のようにお美しいものです。それなのに、あんまりです……」  玲玲(リンリン)が大きな瞳に涙を浮かべながら、切られた髪を見つめた。 「玲玲、申し訳ないのですが、髪の長さがバラバラなので綺麗に整えてもらえませんか? どうしても自分では後ろが見えなくて」 「はい、承知しました。クスン……」   いつまでも泣き止まない玲玲に頭を下げて、小さく溜息をついた。  桜の宮の庭に咲いていた桜が、初夏の香りを含んだ風に乗って散っていく。強風にあおられ、短くなった髪も仔空のサラサラと揺らしていく。 「陛下、どうぞご無事で……」  仔空は玉風(ユーフォン)から送られた首輪を握り締め、そっと祈った。  玉風が魁帝国(かいていこく)を出発して数日が経った頃、美麗(メイリン)が皇太子を出産したという知らせが届く。  生まれてきたのは玉のような男の子で、先帝にどこか似ているとのことだ。皇太子誕生に国中が一気に沸く中、他の皇妃達は地団太を踏んで悔しがっていることだろう。  しかし仔空にとってはそんなことはどうでもいいことで、ただ「玉風に無事で帰ってきてほしい」その一心だった。  皇妃達を集め皇太子を自慢げに披露する美麗も。腹の中では心底悔しがっているのに口々に祝福の言葉を告げる皇妃達も。今の仔空にとってはどれもくだらないことのように感じられる。  仔空はただ、玉風に会いたかった。 ◇◆◇◆ 「やっぱり、ない……」  仔空は探し物をしていた。花屋(かおく)から後宮に嫁いできたときに確かに持ってきて、この箪笥にしまっておいたはずのもの。 「まぁ、いいか。特に今は必要のない物だし……。ただこの前、侍医(じい)が毒にもなる危ないものだって教えてくれたから、気になるなぁ……」  小さく溜息をつきながらそっと箪笥(たんす)の引き出しを閉じた。 「もう少し探してみよう」  そう呟きながら部屋の中を見渡した。  国中が、皇太子が誕生したことで騒めきだっている。  昔からの風習で、男の子が生まれたら青い旗、女の子が生まれたら赤い旗が飾られるようだ。皇太子が生まれたことで国中が活気づき、青い旗がそこかしこではためいている。それを見ると、いくら呑気な仔空でも少しだけ焦ってしまうのだ。 「仔空妃殿下、侍医が参りました。入ってもよろしいでしょうか」 「あ、はい」  香霧(コウム)に連れられ、初老の侍医が部屋に入ってくる。 「仔空妃殿下、診察をさせていただきます。どうぞ寝台に横になられてください」  仔空は、この定期的な侍医の診察が憂鬱だった。 「まだ雨露期(ヒート)はきませんか?」 「はい。申し訳ありません」 「美麗皇后は立派な皇太子をご出産されました。陛下のご寵愛を受けていらっしゃる仔空妃殿下も、後に続いていただかないと」 「……申し訳ございません」 「おい、侍医。仔空妃殿下に無礼な口をきくな」  いたたまれなくなって視線を逸らした仔空を庇い、香霧が制止してくれる。情けないが、いつも香霧に助けられてばかりだ。  侍医が帰ったあと、香霧がいつものようにお茶の準備を始めたようだ。陶器と陶器がぶつかり合う、カチャカチャという音が聞こえてくる。 「あの、香霧さん」 「はい、なんでしょう」 「もしこのまま雨露期がこなかったら、僕はここにいる意味がないのではないでしょうか」 「え?」  お茶の支度をしていた香霧の手が止まり、驚いた顔で仔空を見つめる。 「だって僕は雨露期が来なければ、陛下の子供を身籠ることができません。雨露期の来ない坤澤(オメガ)など、男妾(おとこめかけ)がいると陛下の悪評がたつだけです」 「仔空妃殿下……」 「役立たずで、ごめんなさい」  唇を噛み締めて俯く。涙で視界がユラユラと揺れた。 「そんなこと言わないでください。たまたまですよ、きっと。それに、雨露期がきたら陛下と番になれて、あのお方の子供を身籠れるのですから……。私は羨ましいです。だって、私には雨露期など、どんなに望んでも一生来ないのですから」 「え?」 「いえ、何でもありませんよ。それより、つい先程使いの者が城に戻り、陛下のご無事が確認できました。まだ時間はかかりそうですが、きっと無事に戻られます。それまでに体調を整えておきましょうね」  もうこの話は終わりという香霧の雰囲気に従い、仔空は差し出されたお茶を口にしたのだった。  香霧が去った後、仔空は使いから受け取った手紙を読んでいた。手紙は他の皇妃達にはなく、仔空だけに書かれたものらしい。自分の身を気遣う文言が綺麗な文字でびっしりと書かれている。  余程玉風の方が恐ろしい目に遭っているだろうに、その手紙は仔空を心配する言葉で埋め尽くされていた。 「陛下、会いたい……」  今の仔空には手紙を抱き締め、玉風を待つことしかできない。桜の花弁は全て散り、新緑がサラサラと爽やかな風に揺れている。  季節は夏へと向かっていた。  

ともだちにシェアしよう!