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冷宮⑤
「箪笥 にしまっておいた抑制剤が、何日か前からなくなっていました。探しましたが見つかっていません」
「なくなった? 嘘を言うな! その薬を皇太子に飲ませたのだろう! お前はどこまでシラを切り通すのだ!」
「僕は! 僕は皇太子殿下を殺してなどいない!」
「黙れ!!」
美麗 の大声にその場が凍り付く。
「その薄汚い坤澤 を冷宮 に閉じ込めてしまえ!」
「お待ちください、美麗皇后。せめて陛下がお戻りになられるまでお待ちになってください」
「うるさい! 香霧 ! 其方も殺されたいのか!」
「しかし美麗皇后!」
美麗が香霧に手を振り上げたのを見て、仔空 は口を開く。拱手をしながら深々と頭を下げた。
「わかりました。冷宮に参ります」
「しかし、仔空妃殿下 ……」
「大丈夫ですから、香霧さんは下がってください」
「……はい、かしこまりました」
香霧が頭を下げ一歩下がる。自分のせいで誰かが傷つくことは避けたい……。仔空は冷宮に行く覚悟ができていた。
「陛下、申し訳ありません」
仔空はただ、玉風 に会いたかった。
◇◆◇◆
冷宮とは、皇帝陛下の寵愛を失ったり、罪を犯した皇妃が軟禁される場所である。栄華宮 の一番北にあり、近寄る者は誰もいない。
「申し訳ありません、仔空妃殿下。こんな場所に……」
「大丈夫ですよ、香霧さん。心配しないでください」
綺麗に整った顔を歪める香霧に向かい、笑ってみせる。
冷宮にはほとんど日が差し込まず、昼間だというのに薄暗くて寒い。広間と寝室しかなくて、外からは鍵がかけられるようになっているらしい。最低限生活できる程度の質素な家具しか置いておらず、殺風景な部屋だ。加えてほとんど掃除をしていないらしく、埃臭い。まだ売春宿のほうが清潔だったのではないだろうかと思えるくらいだ。
ここに移る時、玲玲 達が「可哀そう」と泣いていたのを思い出し、こういうことか……と納得した。
「お食事はきちんと運ばせますし、女官には様子を見に来るように言い付けておきます。仔空妃殿下、陛下がお戻りになられるまでの辛抱です」
「はい。気を遣っていただきありがとうございます」
いつまでも冷宮にいようとする香霧を「もう大丈夫ですから」と追い返し、溜息をつく。
「ケホッケホッ!」
溜息をつく、たったそれだけで、埃が宙を舞った。
ガチャリ。
香霧が外側から鍵をかけたのだろう。無機質な音が静かな冷宮に響き渡り、心までもが冷たくなる。
「まぁ、どうにかなるか……」
とりあえず掃除でもしようと腕まくりをする。売春宿で仕込まれたおかげで、家事は得意だった。
「住めば都。命を奪われなかっただけ感謝しよう」
冷宮にいるうちに、少しずつその暮らしにも慣れてきた。掃除をした甲斐もあり室内は綺麗になったし、時間になれば食事も届けられる。
身の回りのことは自分でしなければならなかったが、女官に囲まれ何から何まで世話をされていた時よりむしろ快適だ。本だって頼めば届けてもらえるし、それなりに快適な暮らしを送ることができていた。
何より、我が子を亡くした美麗だって、きっと身を切り裂かれるように辛かったに違いない。今ならそう思える。気を病んだ美麗が故郷に帰ったという噂を、食事を届けてくれた宦官 から聞いた。食事も喉を通らずげっそりとし、まるで廃人のようになってしまったらしい。
「皇帝陛下が近々お戻りになられるらしいですよ」
「え? 陛下が、ですか?」
「皇帝陛下にも、仔空妃殿下が冷宮にいるということは伝わっているはずです」
「陛下に、僕のことが……」
「はい。これで仔空妃殿下の無実が証明されるといいですが……。冷宮にいらっしゃってから初めて仔空妃殿下とお会いしましたが、人を殺すような方ではありませんよ」
時々様子を見に来てくれる宦官が、仔空にそう教えてくれた。
はじめは冷宮を訪れる者は数人しかいなかったが、今では大勢の宦官や女官達が仔空の世話をしに来てくれるようになった。
「陛下は……陛下はご無事なのですね?」
「はい。陛下もきっと、仔空妃殿下にお会いになりたいと思っているはずです」
「よかった……陛下がご無事で……」
仔空の心に温かな感情が芽生える。玉風に会える……そう思えばとても幸せな気持ちになれた。
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