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第10話 ガイド失格

「大丈夫か?」  俺は、ぼんやりと薄目を開けた翠の目の前に、無表情を決め込んで顔を突き出した。翠は俺のその顔を見ると、いつも吹き出す。ケアはしてやれないが、友人として少しでも気分を軽くしてやりたかった。  案の定、翠はブフッと吹き出すと力なく微笑んだ。そして、俺の周囲を確認すると、悲しげに目を伏せた。 「蒼は今、晴翔さんから検査を受けてる。遺伝子検査があるから、戻って来るのに少し時間がかかるぞ。ガイドの遺伝子の存在を確認するだけだから、2時間くらいで大丈夫だろうけどな」 「そうか……」  流石に高レベルのセンチネルであっても、ゾーンアウトは体への負担が尋常ではないのだろう。翠は衰弱し切っているようで、受け答えはできるものの、その声はか細かった。  しかも、今はガイドの手助けを受けることが出来ない。他の者なら、ボンディングしていなくてもマメンツがあればパートナー以外のケアを受けることができる。それは我がVDSが社会から必要とされている所以でもある。  しかし、翠はセンチネルとしてのレベルが高すぎて、蒼のマメンツを使ったとしても代わりを務めるガイドが痛みに苦しむことになってしまう。そのため、今は誰も翠をケアすることはできない。  これまでは、そのことを特に問題視したことがなかった。この男は、基本的に問題にぶつからないのだ。五感をフル活用させて全ての問題を遠ざけている。今回のようなことは稀で、蒼が自分自身で問題の所在をはっきりさせたことからもわかるように、ガイド側に問題がない限り、翠が死ぬのは寿命が尽きる時だろうと全員がタカを括っていた。 「お前の体調もレベルも問題なかった。これまで亡くなったセンチネルたちは、ゾーンアウト後にセンチネルとしてのレベルが劇的に低下していて、しかも狂ったままになっていた。センチネル側のレベルが低下してしまうと、ガイドのレベルと合わなくなってケアが苦痛になる。それでまたゾーンアウトが進む。結果、亡くなるっていう経過を辿るらしい。でも、お前はそうじゃ無かった」  翠は「そうか」と呟くと、ほっとしたような笑顔を見せた。その様子を見る限り、ほんの少しだけ精気が戻ったように思えた。能力を失うことに不安があったのだろう。それでもまたすぐに俯いて、深いため息を吐いた。ぎゅっと眉根を寄せると、苦々しいものを吐き出すように続けた。 「なあ、田崎。みんなあんな思いをして死んでいったんだな。俺はたまたま助かったけど、あの恐怖と苦痛を感じながら死んでいくなんて……これまでの人生はなんだったんだと思わされたぞ。原因もわからないのに、突然一番大切なものを奪われた。それがさらに苦痛になって、堂々巡りだ。本当に地獄だぞ」  ブルっと身震いしながら、自分自身をギュッと抱きしめるようにして翠はつぶやいた。視線が一点を見つめ、唇を震わせていた。 ——よくない方向へ集中し始めてるか?  俺は翠に声をかけて、その集中を解こうとした。肩に手をポンと触れようとして差し出そうとしたが、それよりも早くに翠が勢いよく上体を起こした。それまでの塩らしさから一変した勢いに、俺は驚いて後ずさった。 「このまま黙ってやられてたまるか。いや、別に俺が特定して狙われてるわけじゃないだろうけど、センチネル全体を狙ってるんだろう? やられたらやり返すぞ。俺が頼んでいたリスト閲覧許可と事前の調査終わったか?」  そう捲し立てると、俺のスーツの裾をギュッと握りしめた。俺は、目の前の死にかけた友人に対して、尊敬や畏怖の念が生まれるのを感じた。これまでだって、俺は翠を心から尊敬していた。だが、入れ込み方が俺の想像を超えているのだということを、今ようやく正確に理解したのだろう。翠の目を見て、こちらが震えてしまうほどに心を動かされた。 「もちろん。それで、一つわかったことがある。今のお前の体調を考えると、あまり言いたくはないんだが……」  俺は、そのリストが表示されているタブレットの画面を見つめながら、ちらりと翠を覗き見た。画面の向こうのセンチネルは、本気で怒ってその感情が振り切れてしまったらしく、ひどく冷え切った目をしている。激昂しているわけではないのなら、この事態も受け止め切れるだろうと思い、俺はその画面を翠に向けて報告することにした。 「永心家の法事の時、野本に頻繁に電話がかかっていただろう? あの時に飛び降りたセンチネルと、そのペアのガイドの名前が公表された。センチネルは黒瀬直哉、ガイドは青柳朋紘。……俺らの大学の同期だろ?」 「えっ?」  翠は、戻りつつあった勢いを一瞬で失うと、体から何かが抜け落ちたような表情をして微動だにしなくなった。 「あれ、ナオとトモの事だったのか? そんな、そんな……、ナオ……トモ……」  翠は、目を見開いたまま布団に置いていた手をギュッと握りしめた。そして、ナオが落ちていくところを想像してしまったのか、「うっ」と言いながら強く目を瞑った。  握りしめる力が強くなるたびに、ぎゅっぎゅっと布が擦れる音がした。感情が昂るのを必死に抑えてはいるものの、しばらくするとパタパタと音を立てて涙の粒を落とし始めた。 「あの二人をペアにしたのは俺と蒼だ。あれがVDS設立のきっかけといってもいいくらいの、いいボンディングだったのに」  そう言うと、さめざめと泣き始めた。  ナオとトモについては、俺も面識がある。最初に報告を受けた時は、信じられなかった。潜入捜査をメインに請け負っていたあいつらが、オフの日に事故で亡くなるなんて、きっと誰も想像していなかっただろう。タワー所属の優秀なペアとして名を馳せていたのだから。そこまで考えて、ハタと思いついた。 「いや、お前、あいつら二人ともレベル8だっただろ? そのレベルでもダメなら、永心も危ないじゃないか」  すると、翠は力なく笑いながらこう答えた。 「いや、俺は特級パーシャルレベル10だぜ? インフィニティのすぐ下のレベルの俺でもダメだったんだ。もう誰だろうと全員危ないって事だよ」  悲しそうにそう言うと、ふっと病室の出入り口に向かって視線を送った。おそらくその扉の向こうに誰かがいるのだろう。俺には全く聞こえない足音、体温を感じ取った翠は、ドアの向こうにいる人物に向かって声をかけた。 「翔平だろ? 入ってこいよ。もう大丈夫だから。ごめんな、泣いてて入れなかったんだろ? お前に相談したいこともあるし。鉄平もいいぞ」  扉の向こうで息を飲む気配がした。流石の俺にもわかるくらいの大きさで、翔平の動揺が現れていた。 ——センチネルが鍵崎翠から「相談したい」って言われたら、緊張するよな……。  翔平の心情の本当のところはわからないが、もしかしたらそうでないかと思い至った俺は、迎え入れるためにドアの方へと向かった。白いスライドドアに手をかけスーッと滑らせると、そこには真っ赤に泣き腫らした目で俯く翔平と、彼を優しく支えている鉄平の姿があった。 「こんな遅くに大丈夫か? まあ、入れ」 「晴翔さんが向かう時に、一緒に連れてきて貰ったから。帰りも一緒に帰ります。だから大丈夫です」  ぐじぐじと鼻を啜ってばかりの翔平に代わって、鉄平が説明してくれた。二人で部屋にいたところ、晴翔さんから一緒に行くように言われたのだそうだ。  俺は二人を中へと招き入れると、二人が座るために椅子を用意することにした。この部屋の隣室は備品室になっている。そこには来客用のパイプ椅子が収納されているはずだ。備品室へ向けて足を踏み出した途端、大きな声で翔平が泣き叫び始めた。 「ごめんなさい! 鍵崎さん……こんな、こんなことになって! 昨日、俺たちが果貫さんを誘ったから……ごめんなさい!」  うわああんとまるで幼児のように泣き始めた翔平を、鉄平は必死になって宥めていた。手を握り、背中を摩り、抱きしめてみたりとあれこれやってみるが、翔平は悲しみのループに嵌ってしまったようで、なかなか泣き止まなかった。その様子を見ていた翠は、呆れたように腕を組むと、鉄平をキッと睨みつけた。 「おい、鉄平! お前このままじゃ翔平が俺と同じ目に遭うぞ! いいのか!?」  そう声をかけられた鉄平はサーっと顔を青くすると、首がどこかへ飛んでいきそうなくらいの強さでブンブンと被りを振った。ただし、翔平はいつもと様子が違うようで、いくら宥めても泣き止まないのだと翠へ説明していた。  俺はパイプ椅子を手に持ち、翠のいる病室へと戻った。そして、翔平と鉄平の手を取ると、すぐに外へと連れ出した。今来たばかりなのにすぐに追い出されてしまったことで、鉄平はひどく困惑していた。その鉄平の鼻先に、ジャラリと鍵の束を見せ、スッと廊下の突き当たりのドアを指差した。 「あのドアの向こうには、この研究所のリカバリールームがある。これはマスターキーだ。空いてる部屋を使っていいから、とっととケアして来い。翠は一週間ほど入院する予定だ。その間に話せばいいだろう? ゆっくりして来い」  そして鉄平に鍵の束を預けた。鉄平は「ありがとうございます。もし、何かあったらまた連絡します」と言うと、翔平を横抱きにして走って行った。 「今は仕方ないから許すけど、基本的に研究所内は走るなよ!」  俺が鉄平の背中に声をかけると、前を向いたまま「わかりましたあー!」と大きな声が返ってきた。    鉄平たちがリカバリールームに入り、データ上で在室になるのを確認すると、俺は翠の病室に戻ろうと振り返った。そこへ、簡易検査を終えた蒼が戻ってきた。青白い顔をしている。ただし、気分はそう悪くないようだ。やや微笑むと、俺と一緒に中へと入っていった。 「翠……」  蒼が病室へ入ると、窓の外を見ていた翠がこちらを向いた。翠は蒼の姿を確認すると、まるで体が発光するかのような輝いた笑顔を見せた。  それは、俺がこれまでの人生で見たことがなかった笑顔だった。  嬉しいとか、楽しいとかそういう何か一つだけの感情じゃなくて、とても大きな正のエネルギーに満ちていた。その溢れ出るエネルギーに触れるだけで、どんな人の心でも温かく照らしてしまうような、神々しいような笑顔だった。  俺は二人が大学の友人関係の時から知っている。二人の関係性がただの学友レベルの頃に出会った。そして、職場の仲間となり、その中で恋人関係になり、縁あってボンディングした。  二人には、ケアパートナーはまず人生の伴侶であるべきだという考えがあった。だから、それまではいろんな人からケアを受けていた翠も、蒼とペアになってからは他の人からのケアは一切受けていない。その希望を押し通すためにも、レベル上げの訓練を受け続けていた。  そして、それは蒼も同じだった。  そうやってどんな場でもその場でケアを受ける必要がないほどに強くなり、帰宅してから癒せば大丈夫だという生活が可能になった。  そうやって二人は、今では世界最高峰レベルへと到達した。  ペアになった日以来、ミッション以外で離れることがなかった二人は、今日久しぶりに数時間離れていただけだ。それでも、顔を合わせるとこんなにも感情が隠せなくなるほど幸せなのだろう。俺は、二人が羨ましくてため息をついてしまった。 「大変な時に悪いけれど、俺はやっぱりお前たちが羨ましいよ」  俺がそう呟くと、蒼は悲しそうに目を伏せた。 「昨日までなら、それも素直に聞けた。でも、俺は昨日自分の手で翠を殺そうとした。やめてって言ってるのに、やめられなかった。どうしてだかわからないけれど、暴力的な気持ちが湧き出てきて、体が言うことを聞かなくて……翠の体はどんどん冷たくなって行ったし、力が入ってた。ケガさせて、怖い思いさせて……俺なんて、ガ……」 「そうだな、お前はガイド失格だ」  自己否定の言葉を吐こうとした蒼の言葉を遮って、翠は冷たく言い放った。その顔は、先ほどとはまるで別人のように静かな怒りに燃えていた。その矛先は間違いなく蒼に向かっていた。  ギッと蒼を睨みつけ、その手首を掴んだ。急に翠から怒りを向けられた蒼は、一瞬ビクッと体を強張らせた。愛する男から罵られるのかと身構えていた蒼は、ぎゅっと目を瞑ってその衝撃を待ち構えていた。しかし、翠は蒼の手首を掴んだまま動かず、じっと何かを待っていた。 「……え? え? うそ、え? 聞こえる、わかる、感じるよ!」  蒼はまるで理解できないと行った顔をして俺の方を見た。その蒼の姿を見て、翠はガバッと蒼に抱きついた。 「俺にも理由はわからない。でも、昨日の蒼と明らかに違う。暗くなっていた部分が、元に戻ってた。蒼が帰ってきた! って思ったら嬉しくて」  嬉しそうに話す翠をよそに、俺と蒼には全く訳がわからなかった。昨日翠がここに運び込まれた時、蒼は共感能力も精神感応能力も無くなったみたいだと言って泣いていた。 『翠が話せなくなった時、もうわかってあげられない!』  その後抜け殻になるまで泣いていたのだ。それはまるで、さっきの翔平のように。それがまたわかるようになった。と言うことは……。  俺はすぐに晴翔さんに連絡を入れた。晴翔さんは、ワンコールも鳴らないうちに電話に出た。そして、俺が話し始める前に大声で捲し立ててきた。 『田崎さん! 蒼の血液検査の結果出ました! ストレンジャーレベルで無くなってた能力が、時間が経つごとに戻って行ってます。おそらく、全部戻る! 蒼くんに心配するなって伝えてあげてください!』 「わかりました」と答えようとしていると、ガタン! と大きな音を立てて、蒼が立ち上がった。徐に翠を抱き抱えると、猛スピードで走り出した。向かう先は、翔平を抱き抱えた鉄平が向かった場所と同じだ。俺は、蒼の背中に叫びながら、もう一組の鍵を放り投げた。 「蒼! その鍵は一番奥の部屋の鍵だ! 後でいいから、翠に甘いコーヒーとサプリ飲ませろよ! また明日顔出すからな!」  蒼はその声にくるりと振り返った。俺が投げた鍵が、放物線を描いて落ちてきた。それが蒼の顔にぶつかりそうになると、抱き抱えられた翠が、ぐいっと体を伸ばして、それをキレイにキャッチした。 「サンキュー田崎! 明日には絶対復活しておく! 報告頼んだぞ!」 「おー! 了解!」  俺は大きく手を振って、二人を見送った。バタバタと走り去る音が消えると、一際大きな音でバタン! とドアが閉まった。その音を聞いて、二人がいつも通りに戻れたことを実感した途端、俺の頬をポロポロと涙が伝い始めた。 「良かった! ナオやトモが壊れて、翠と蒼まで壊れてたら……俺……良かった! 蒼の力が戻って良かった……!」  俺は、翠がいた病室の入り口の真っ白いドアの前で座り込んだ。頭を抱えて座り込んで、嗚咽を漏らし始めた。 「今回は、俺もできることがありました。俺も役に立てました。母さん、玲香……」  非能力者である俺は、出来ることが限られている。だからこそ、出来ることを増やすためにこの会社で働き、努力している。もう二度と、ミュートであることで誰かを失わずに済むように。 「ガイドはセンチネルを寂しがらせたら失格だからな。絶対、そうならないようにサポートするからな」  俺が愛する二人の能力者のために、そして、俺自身のために。  明日までに、晴翔さんと分析を済ませよう。  二人が復活したら、戦闘開始だ。  明らかに誰かの意図が、能力者を壊していっている。このまま黙って見過ごしてあげられるほど、俺たちは優しくない。真相を解明して、最も適切な対処法を探す。俺はそのために、この会社にいる。 「ミュートにしか出来ないことを、見せてやろうじゃないか」  俺は独言ると、晴翔さんの研究室へと向かった。

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