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第12話 信じられない
「あの日の夜、飲みに行ってた店ってどこなんだ?」
今日の予定の仕事を全て終えて、自室へ翔平と鉄平を招いて軽く打ち合わせをすることにした。
田崎はまだ残業中で、今リカバリールームにいる能力者たちが就寝したらこちらへ寄ることになっている。
翔平たちの大学の先輩が怪しい動きをしているということで、和人くんにも声をかけてもらった。
ただ、和人くんはいつ連絡してもなかなか電話に出ないらしい。
仕方が無いのでメッセージを送ってはいるものの、返事も遅いことが多いのだそうだ。
今はとにかく、返事を待つほかなかった。
和人くんはガイドとして活動していることもあり「もう少しレスポンスを早くしてもらわないと困るんだけどな」と田崎はぼやいていた。
「あー、あれです。駅前に新しく出来たブンジャガっていうダイニングバーです。店内はめっちゃ暗くて、メシ食べる時は手元にライトもらわないと肉切ったりしにくいような所なんですよ。俺何回か手を刺したりしましたから。なっ? 鉄平」
話を振られた鉄平は、「あー」と言いながら宙を仰いだ。そして、その時の翔平の様子を思い出し、ふっと息を吐きながら苦笑いをした。
「刺してたなあ。俺めちゃくちゃ驚いたよ。いくら暗いからって、そんなのお前だけだと思うわ。ほんとドジだよな翔平は」
鉄平は翔平を見つめてくしゃっと笑うと、翔平の頭をポンポンと軽く叩くいた。翔平は膨れっ面をしてみせたが、その背後からはピンク色のモヤが漏れ続けていた。
想像に難く無いと思うのだが、それは恋愛感情を表す色だ。翔平が鉄平に向けるその色はとても濃く、たまに周囲から翔平の顔が見えづらくなるほどだった。
そして鉄平からも、目がチカチカするほどの金色のモヤが立ち込めていて、翔平に負けず劣らず色ボケしていた。
金色は恋愛感情を含むが、全てにおいて好意的な色が混ざり合った結果に生まれる。つまり、二人ともお互いが好きすぎるわけだ。
そんな二人が並ぶと、あたり一面は桃のカクテルでもぶちまけられたようになる。それを感じ取ることができるセンチネルであれば、その色具合と甘い香りで、胸焼けと頭痛がしそうなほどだった。
「おお、お前ら幸せそうで何よりだ。あんなに手がかかりそうだったのになあ。俺の苦労は報われたようで、何よりだよ」
蒼が全員分の飲み物を準備しながら、リビングへと入ってきた。そしてそれをテーブルの上に並べていく。
全員分を並べ終わり、じゃあ座ろうかと椅子を掴んだタイミングで田崎と晴翔さんが入ってきた。その絶妙なタイミングの悪さに、蒼は珍しくものすごく不快そうな表情をした。それを見て、田崎は楽しそうに吹き出した。
「田崎……お前、最近本当にタイミング悪いな!」
「すまん。別に狙ってるわけじゃ無いんだけどな……。いや、とは言っても大体のことが俺のタイミングじゃ無いだろう? 俺は基本誰かの都合に振り回されてんだから。今日はリカバリールームの使用者が多かったんだよ。今やっと全員の就寝確認が終わったところだ。あ、俺と晴翔さんの分は用意しなくていいから」
蒼に向かって軽く手を合わせながらも、心外だという様子で田崎は反論した。そして空いた席に座ると、鈴本の情報の入ったタブレットをプロジェクターへと繋いで、情報の共有を始めた。
『鈴本環(すずもとたまき)24歳 男性 桟光大学 薬学部 薬学科 6年 タワー所属1年目 センチネル レベル1 ボンディングパートナーなし』
「これが研究所のリストにあった鈴本環の情報だ。これに翔平たちが知っている情報を追記して、警察に渡す。警察には鈴本の身辺を洗ってもらう。この男が何をしているのかを掴んでから、こちらで対処すべきことがあればする。警察やタワーからの依頼があれば、翠が潜入する予定だ。それでいいな?」
俺と蒼は顔を見合わせると、手を繋いでその手をぎゅっと強く握りしめあった。そしてお互いにコクリと頷き合った。俺は蒼の手を握る力にさらに力を込めながら、田崎に向かって「もちろん、そのつもりだ」とはっきりと言い切った。
蒼も俺の手を握る力に一瞬だけ、もう一段階強い力を込めてキュッと握った。
気持ちが固まり切った俺たちとは対照的に、翔平と鉄平は心配そうに俺たちを見ていた。鉄平ですら、半分泣き出しそうな顔をしている。
俺と蒼は、二人の新人捜査員に笑顔を向けると「大丈夫だ。イプシロンがあれば、俺たちは死なない」と言い切った。
すると、晴翔さんが困ったように笑いながら「それは暴論だからね。なるべく使わなくていいようにお願いするよ」と言った。
「わかってますよ。きっと強い薬で有効性を確認しているのにまだ試験期間だということは、これを使用し続けることは危険だということでしょう? 耐性がつきやすいんですかね?」
「その可能性が高いね。使用する人にもよるだろうけれど、人生の残り期間と薬の有効性の折り合いをつけていかないといけない。薬に頼った生活をして耐性がついてしまい、その後にゾーンアウトしてしまったら、何も対処できないかもしれないからね。なるべくなら使用せず、その他の対処法を磨き上げることに注力してもらいたいんだ」
「はい。わかりました」と答えながらも、俺はニコリと笑った。
「ところで、蒼くんにひとつ聞いておきたいことがあるんだ」
「はい? なんでしょうか」
蒼は二人分のカップを取り出し、コーヒーを淹れ始めた。田崎から必要無いとは言われたけれども、やはり二人だけ何も用意しないでいることが気になって仕方がなかったようだ。
しかも、この部屋には高レベルのセンチネルが二人いるため、ネルドリップする用意をしている。
紙製のフィルターを使用すると、お湯をかけたときに製造段階でついた香りがコーヒーと入り混じって気持ちが悪くなるためだ。普段俺たちがプライベートで使っているものを手に持っていた。
淹れたてのコーヒーにお礼を言い、カップを持ち上げつつ晴翔さんは話し続ける。
「昨日、酷く酔っていたようだけど、君は普段はそこまで酔うことは無いのだろう? それは酒に強いタイプだからなのかな? それとも酔わないように気をつけて酒量をセーブしているからなのかな?」
「元々酒に強い方ですし、酒量もセーブしています。俺がいないと、翠に何かあった時に困りますから。ただ、二人で飲む時は違います。翠が飲む時は捜査にいかない時なので、俺も一緒にかなり飲みます。それでも、昨日ほど酔っ払うことはあまりありません。あんなに酔いが回ったのは、母の葬儀の後に、翠と二人だけで飲んだ時だけだと思います」
蒼の話を聞いていた翔平と鉄平が、二人で顔を見合わせた。そして、何かをヒソヒソと確認し始めた。それを目で確認しつつ、晴翔さんはまた蒼へ確認を続ける。
「では、昨日はいつもより想定以上の酔い方をしたんだね? ということは、経口摂取の可能性が高いね。薬を代謝していたから肝臓に負荷がかかった状態だったのかもしれない。それがいつも以上に悪酔いした原因だろうね」
「あの、じゃあやっぱり蒼さんは薬を飲まされた可能性が高いんですか?」
鉄平が晴翔さんにくって掛かるように質問した。鉄平にしては多少いつもより勢いがあり、俺たちは驚いた。そして、その目にはやや強い怒りがこもっているようにも感じたため、俺は鉄平に問いかけた。
「鉄平。蒼が薬を飲まされていたとして、お前がそんなに心を乱す理由はなんだ?」
すると、鉄平はぎゅっと唇を噛んだ。そして、やや吐き捨てるように言ったのだった。
「あの人がばら撒いているって噂の薬、能力を失う類のものだけじゃなかったんですよ」
「……どういうことだ?」
俺の心臓が、まるで骨を突き破って飛び出しそうなほどに跳ね上がった。
鈴本は俺の大事な蒼を傷つけた。それだけでも許し難いのに、まだ何かあるというのだろうか。それが薬によるものだとわかっただけでも腹立たしいのに、更に薬が他にもあるかもしれないという。
怒りに昂り、握った拳に血が滲みそうになった頃、晴翔さんが事も無さげに言い切った。
「それはそうだろうね。イプシロンは持ち出された記録がなかった。研究所内に存在する薬品だから、数量管理は徹底されているはずだ。だとすると類似品が存在するか、別の薬品を使用したことになる。ただ、言い切れることがあるとすれば、蒼くんの体から検出されたのは、間違いなくイプシロンだったよ」
晴翔さんの回答を聞いて、鉄平は黙り込んでしまった。イプシロンが検出されたけれど、イプシロンではない。それはつまり、同じ成分で別のところで製薬されたイプシロンが存在するということだ。そんなことが可能なのだろうか。
「イプシロンの成分を含む薬品を所持することができて、製薬ができる環境。思い当たる場所は二つある。翠くん、君ならわかるだろう?」
突然水を向けられた俺は、一瞬戸惑った。確かに予想はついている。でもそれは、同時に晴翔さんの責任問題を問わなければならないことと同義になる。口にしてもいいものかどうか迷った俺は、晴翔さんへと視線を向けた。
——なんて凪いだ目をするんだ。
晴翔さんは、とても穏やかで感情の乱れの一切ない目をしていた。その目で見つめられると、不安で揺れていた気持ちがほんの少しだけ和らいでいくのがわかった。これは、ガイドの力ではない。晴翔さん自身に身についた包容力だ。
部下であるはずの晴翔さんに滲む人としての大きさに、自分の小ささを感じて恥ずかしくなってしまった。
俺はその堂々とした晴翔さんの強さに甘えて、分かることを口にすることにした、
「ひとつは……白崎製薬の社内にある製薬室です。試験的に薬を作る際に、手作業でタブレットを作れる場所があるはずです。もう一つは、桟光大学の薬学部の製薬室ですね。ただ、そこにイプシロンの成分を持ち込むことが出来るのは……」
晴翔さんは、小さく顎を引くと力強く言い切った。
「うちの研究所にいる人間で、薬の管理を任されている人間、もしくは、白崎製薬の同じ立場の人間だ。そうなった場合、持ち出しをしたのが鈴本であっても、指示をしている人間がいるということになる。そこを探らないといけないだろうね」
その言葉を聞いていた翔平が、やや胸を撫で下ろしたのが見えた。そして、さらに安心したかったのだろう。ふと、とんでもない言葉を口にして、その場にいた大人は全員が絶句してしまった。
「じゃあ、先輩が諸悪の根源じゃないってことですよね!? 良かったー! あの人、和人の彼氏なんですよ! あの人が悪いやつじゃなくて良かったー!」
その翔平とは対照的に、今度は感情が昂った晴翔さんがガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
「なんだって!? 和人の恋人がイプシロンを持ち出したかもしれないのか!?」
それまで穏やかに話していた晴翔さんが、突然大声をあげてバン! とテーブルを叩いた。あまりに突然のことで、多少驚いたのだが、俺はこの程度なら数回深呼吸をすればなんとかなる。
ただ、翔平はまだ現場慣れをしておらず、今は話し合いのためにイヤーマフをしていなかった。突然の大きな音と大声に、神経がビリッと反応したのが俺に伝わってきた。
「あがっ……」
口を開けたまま閉じることができなくなった翔平は、はくはくと呼吸を失敗したまま後ろに倒れつつ意識を失った。隣にいた鉄平が翔平を抱き止めると、冷静な口調で蒼と俺に頼み込んだ。「すみません、この間お借りした部屋、もう一度借りてもいいですか?」
「おう、いいぞ。使ってこい」
蒼が答えるや否や、すぐに鉄平は翔平を抱き抱えて連れて行った。
晴翔さんは、その翔平を見て狼狽えていた。普段の晴翔さんからは想像もつかないような感情の揺れだった。
「すまない。バースの研究をしている人間としては、してはいけないミスだった」
すると田崎が、晴翔さんの背中をポンと叩いた。「仕方が無いですよ。和人くんが大切なんでしょう?」田崎がそう声をかけると、晴翔さんはグッと涙を堪えた。
「和人の恋人が研究所のものを盗み出しているなんて、そんな人間と恋人関係にあるなんて、晶が知ったらなんて思うか……いや、それよりも、和人自身が心配だ。犯罪に巻き込まれたりしていないといいんだが……」
青ざめた顔で、和人くんのことを心配する晴翔さんは、立派な父親だった。遺伝子上は、二人は兄弟に当たる。晴翔さんもその事にはもう納得している。それでも、これまで培ってきた親子としての関係性が引き起こした心配の仕方は、父親のそれに他ならなかった。
「それなら、はっきりさせましょう。タワーと警察から、正式に依頼が来ましたよ」
晴翔さんの様子を気にしながらも、田崎が冷静に情報を展開した。プロジェクターから白い壁に映し出された映像の中には、はっきりとこう記されていた。
『ベクトルデザインサポーターズ所属 センチネル 鍵崎翠 殿 ガイド 果貫蒼 殿 薬事法違反の疑いのある人物を探るため、桟光大学への潜入捜査を依頼する』
「来たか」
イプシロンを蒼に経口摂取させた人物は鈴本だったのか、それとも他の人物なのか。そもそもイプシロンを持ち出せたのは何故なのか。
そして、鉄平が言っていたイプシロン以外の薬品をばら撒いている可能性とはなんなのか。その全てを探るために、俺たちは潜入する。
「まあ、お前たちなら大丈夫だろ?」
田崎が軽く言い切った。あまりにも楽観的な言い方だったので、思わず「なんでだ? 何か根拠があるのか?」と聞いた。すると、俺がゾーンアウとしなかった原因の一つに思い当たる節があると言う。
「お前の体内にも、イプシロンの成分があったんだよ。入院した時、お前は極度の栄養失調状態で、高カロリー輸液の点滴を受けながらも、イプシロンは使われなかった。フィルコ内にあった乾燥精子も活躍したんだが、それとは別に乾燥していないものもあった。その中にイプシロンが含まれていたんだ。強い精神力を持つ最高レベルのセンチネルと、そのセンチネルを溺愛するパートナー。その組み合わせがあれば、よほどのことがない限り命は保証されるだろうな」
田崎がそういうと、蒼が真っ赤になって「お前……お前といい、永心といい、本当に……なんでそんなにデリカシーが無いんだ!」そう言って顔を手で覆って下を向いてしまった。
晴翔さんは、二人の様子を見て、今度は楽しそうに笑っていた。今日の晴翔さんは感情が色々変化して忙しそうだ。
そして俺はというと、田崎の言う事がイマイチ読みきれず、「どう言う意味だ?」と聞いてしまった。
すると、蒼が俺の襟首を掴み、「翠、やめろって!」と大声をあげた。それを見ていた田崎は、机上を片づけると、確かにデリカシーに欠けるなと頷ける一言を残して颯爽と去っていった。
「蒼がお前のナカに射精してたってことだろ?」
俺は呆気に取られて、「あーなるほど……」としか言えず、晴翔さんは涙を流して笑っていた。
そして、蒼はと言うと、「わー!」と叫び声を上げながら、脱兎の如く寝室へと逃げていった。
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