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第25話 罪
明菫がミチに付き添われて警察に自首しに行った後、うちで俺と蒼と田崎と和人で少しだけ話をした。
鈴本環が池本にも明菫にも利用されていた理由は、未に不明だった。そして、それを知っていたのが明菫と和人だけだった。
俺はどうしてもその訳が知りたくて、話を聞かせて欲しいと和人に頼んだ。
「恋人を亡くして日が浅いのに申し訳ないんだが、その辺りをはっきりさせておいた方がいいんじゃ無いかと思っているんだ」
俺は和人の顔を覗き込んだ後、頭を下げて頼み込んだ。
和人はずっと口を結んで話すのを拒んでいたのだが、田崎が和人の手を握りしめて懇願すると、少しムクれながら「田崎さんが頼むのずるいですよ……」と言いながら、渋々話してくれた。
池本と河本は恋仲で、河本は池本に捨てられたくなくて言いなりだったらしい。
では、環はなぜ協力していたのか。
亡くなっているとはいえ、罪があるか無いかをはっきりさせなくては、鈴本の名誉に関わる。
死んでしまっては名誉も何も無いだろうとは思うが、鈴本と付き合っていた和人の今後も考えると、やはりそこはきちんと知るべきだろうと思っていた。
和人は不安になりたく無いからと言って、田崎と手を繋いだまま話をすることを許してほしいと言ってきた。
「もちろん構わない。田崎が良ければ膝に座っていても構わないぞ。俺たちしかいないからな」
俺がそういうと、和人はふっと頬を緩めた。「じゃあ、遠慮なく」と言って田崎の膝に座ると、田崎の顔が真っ赤になるのが見えた。
「お前……今まで散々俺たちにデリカシーの無いことばっかり言ってやがったくせに……」
俺たちは呆れたが、そんな田崎を見るのが久しぶりで、それが嬉しくて鼻の奥が少し痛んだ。
和人もふふっと笑うと力が抜けたのか、一呼吸置いてからポツポツと話し始めた。
「環さんは、生まれてからしばらくして捨てられました。理由はわからないそうです。それでも、学力は良かったのでずっと奨学金で学校に通い、バイトをして生活していました。大学には奨学金で通っていました。ミュートの奨学金は返済義務があるので、常にバイトしてたイメージがありました」
和人は田崎の手を自分の腹の前に持ってきて、抱き込むようにつなげた。
「薬剤師を目指したのは、単純に化学が好きだったからだそうです。それに、国家資格があれば、仕事に困らないだろうからって。そして、高校二年でアメリカに留学しました。その時、クラヴィーアの原型を完成させつつあった菊神さんのところでたまたまバイトをしていました。そのまま菊神さんと働きたくて、日本に戻ってからは桟光大学に入学することを決めたんだそうです。桟光は白崎製薬やVDSと繋がっているから、クラヴィーアを作るなら桟光に行った方が就職しやすいだろうと思ったらしくて」
田崎の手に指を絡ませたまま、ぎゅっと握っては離す動きを繰り返していた。翔平曰く、その動きは和人が不安を逃すときによくやる行動だという。それを知っている田崎は、和人を心配そうに見つめていた。肩を窄めて、二人の体が触れ合う面積を広げる。
「四年生になってから白崎製薬でバイトを始めて、そこで明菫さんと出会ってます。環さんは、その頃から明菫さんが好きだったんだそうです。世間的には傍若無人なイメージだけれど、環さんには優しかったらしくて。でも、最後の年に僕が入学したせいで、環さんは池本たちに目をつけられました」
和人はそういうと、田崎の指をぎゅっと力一杯握りしめた。そして、俯いてふるふると震え始めた。今発した言葉が、自分の心を穿ったのがわかる。
ふわっと光が散るのが見えた。それはだんだんと色味を増して、和人の痛みを引き摺り出してくる。
その胸の痛みが具現化して、体の中を抉り取るように青紫色の花が吹き出してきた。
——なんて痛い色なんだ……。
それは、見ているだけで涙が出てきそうなほどの咲き乱れかたをしていた。ゆらりと揺れる青紫が、和人の呼吸を苦しめる。
顔色が一気に悪くなっていった。
「田崎」
俺は田崎にタイミングを教えた。この話をする前に、田崎に伝えておいたことがある。
『和人の具合が悪くなったら、すぐに抱きしめろ。ハグは能力関係なく効果がある。恋人同士なら尚更だ』
田崎が和人をぎゅっと強く抱きしめた。すると、胸の前に咲いていた青紫色の花がゆっくりと解けていった。
一枚一枚花弁を散らして散って行く中に、特徴的な網目模様が見えた。それは、和人の中にこびりついたイプシロンの残骸だ。
イプシロンは精神的な不調がある時は、さらにそれを悪化させる傾向にあった。だからこの花が胸に咲く。
田崎がハグをしたことによってそれが消えると、入れ違いに淡いオレンジ色の光が二人の周りに漂い始めた。
「池本は田坂議員の実子だけど、素行が悪すぎて勘当同然の暮らしをしてました。在学中に何かで見返してやろうとしてて、たまたま永心家が没落しそうだと言う噂を聞いたらしいんです。そして、どこから切り崩そうかと考えていた時に、僕の存在を知ったみたいで。僕が環さんを好きだと言うこともその時に知ったようです。だから、環さんに僕と付き合えって命令したんです。将来の保証をチラつかせて」
鈴本は明菫を好きだったのに、池本からの命令で和人と付き合っていた。
和人は鈴本をセンチネルだと思っていたので、請われればケアと称して抱いていただろう。実際、一度そういった話をしていた。
インフィニティの法事の時だ。センチネルは頻繁にケアが必要なんですねと、照れ笑いをしながら話していた。
事実を知った時の和人の気持ちを思うと、胸が潰れそうになった。
「お前は鈴本のことが好きだったんだよな……それ知った時、よく耐えられたな」
胸の花の色と和人のその時の心情を思うと、俺も自然と涙がごぼれ落ちてきた。蒼も田崎も目が真っ赤だった。
誰も幸せになっていない。みんながもがいて苦しんでいた。
その中心で、何一つ自分から選択することなく闇に落とされたのは和人だろう。
今、田崎の隣にいることがどれほどの喜びなのだろうかと思うと、本当に良かったと思えた。
「僕と付き合ったことで、今度はそれを知った明菫さんにも目をつけられた。明菫さんは明菫さんで、個人的な恨みで永心家をつぶしたがっていたから、隠し子だって言われている僕の恋人、しかも身寄りの無い一般人のミュートなんて格好の餌食ですよね。だからクラヴィーアを応用してsEを作らせた。環さん、あれ一人で作り上げているんですよ。結果的にはほぼ毒のようなものですけれど、明菫さんの要望に応えるものを作り上げたんです。しかもそれをばら撒く窓口にもさせられた」
この頃から、鈴本の行方がわからなくなることが増えたのだという。ケアした直後に出歩いて、そのまま帰ってこない。あまりに心配になった和人は、鈴本の後をつけるようになった。なかなかVDSに出勤してこなかったのは、その尾行していた期間だったようだ。
そして、ブンジャガのバックヤードにある、あのやたらに立派なベッドの上で行われていた情事を目撃してしまった。
ケアが終わっても、一晩に何度も繰り返されるその行為は、どこからどう見ても恋人同士のセックスに見えたらしい。
「僕は環さんにあんな顔をさせてあげられなかった。その時点で諦めました。きっちり気持ちに区切りをつけて生きていこうって思いました。それからしばらくして、環さんは亡くなってます」
和人が鈴本の訃報を聞いた時に、やたらに落ち着いていたのはそういうわけだったらしい。薬の濫用をしていたことも知っていたし、他の人を好きになったことにも気がついていた。でもその元凶は明菫だと思っていたのに、そうではなかった。それを教えてくれたのもまた、鈴本だった。
「環さんは、池本たちが作らせている薬と明菫さんの方で作っている薬の添加物を変えることで明菫さんを守ろうとしていました。そして、それを僕に手紙として託したんです」
そこまで話終わると、和人は田崎に目で何かを頼んだ。田崎は持っていたバッグの中からビニールケースに入った紙を取り出す。
「カズにお願いするのは筋違いだとは思うけれど、どうか明菫さんを守ってほしい。本当に勝手だな。」
和人はその文字を指でなぞりながら、頬に涙を光らせていた。激しい悲しみが去ったのか、奥の方にゆらめくものだけを大切に残しているようだ。
「こうするしか無いって思って、大量の薬を飲み込んだ環さんの気持ちを思うと、無碍には出来ませんでした。この手紙の存在に気がついたのは、キャンプ場に行く直前でした。もっと早く気がついていれば良かったのに……そしたら翠さんはあんな目に合わなかったと思うのに……ごめんなさい」
和人は嗚咽を漏らしながら「ごめんなさい」を繰り返していた。
生まれてから今日まで、和人の人生に光が差した日はどれくらいあっただろうか。それを思うと居た堪れなかった。
それに、インフィニティの法事の時に様子がおかしかったことを、もっと親身になって聞いてあげていれば、もしかしたらこんな事件は何一つ起きなかったのかもしれない。
「和人、俺はこういう仕事を自分で選んでやってる。だから、俺のことなんて気にかけなくていいんだぞ。でも、お前の出自やこれまでの出来事にお前の責任はほぼ無いようなもんだ。でも、これからは自分で責任を負うことも増える。お前はもう一人じゃない。何かあったら、田崎に頼れよ」
夏の夜の生ぬるい風が、窓を一つドンと鳴らしていった。そろそろこの猛暑も終わる。すぐに引き下がりはしないだろうけれど、だんだんと暑さも和らいでいくだろう。
それと同時に、和人の悲しみが少しでも癒えて行くことを願うしかない。
「クラヴィーアを作ろうとしたことがいけなかったのかもな」
俺がそういうと、「それは違うだろう」と田崎がすぐに否定した。楽をすることを嫌う男がそこを否定してくるとは思わず、驚いてしまった。
「クラヴィーアは素晴らしい薬になるだろう。ただ、それを悪用しようとする輩の排除方法を徹底しておかなければならない。それをせずに創薬に手を出した明菫が悪いんだ。ガイドの殲滅なんて考えずに、純粋にセンチネルの力になろうと思ったら、やることなんて他に色々あっただろう。発想が他力本願で短絡的だったのが問題なんだよ。罪があるとしたら、自分の力で切り開こうとしなかったことだろう。晴翔さんや菊神さんの思いまで否定してはいけないと俺は思うぞ」
そう言われて、眼前に研究がうまくいって微笑む晴翔さんの顔が浮かんできた。翼さんとパートナーになってから、人の気持ちをより考えるようになって、リーダーシップが発揮され始めている晴翔さんの、充実した顔だ。
あの人はいつも能力者の不都合に寄り添い、非能力者への協力を惜しまない。至らないところがあって指摘を受けると、素直に意見を聞き入れて是正する。
だから、年々研究所の評価は上がっている。その思いを否定することは、代表である俺にはしてはならないことだった。
「そうだな。社長としては絶対にしてはいけない発言だった。これからも研究に尽力してもらえるように、こちらも努力しよう」
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