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第1話

 清明は山の斜面を転げ落ちる途中、木の幹に頭をぶつけて呻き声をあげた。  視界が薄れて意識が遠くなる。  咄嗟に庇った相棒は大丈夫だろうか。  確かめることもできず意識を手放した。 ・・・  猪の妖魔が現れて人を襲っているとの噂を聞いて、清明は国境の辺鄙なこの山へやって来た。  田舎を訪れるため、目立たないように地味な服を選んだつもりだったが、山で万が一にでも妖魔や山賊に出くわす事を考えて動きやすく丈夫な素材……などと考えて選んだ黒と焦げ茶色の服は、ちょっと、やくざ者のようになってしまった。  もっと町人風にした方が良かっただろうかとも思ったが、背が高く精悍な顔立ちの清明には、それはそれで似合わないのが問題だった。  要は悪目立ちをしなければそれで良い。  彼は国の西の地域を治める一族の長男。十九歳で成人も間近に控え、普段は父の手伝いをしている。そして政治の仕事を手伝う傍ら、妖魔被害の相談や、不可思議な事件の解決に当たっていた。  妖魔は人々にとって災いをもたらす存在だ。  人の姿をしていたり、動物の姿をしていたり、時には自然の一部となって現れて人を襲った。  今回の件は、半年ほど前から山道に大猪の妖魔が出るとの相談だった。  そこは国境を越えるのに近道となる山道で、隣国との貿易にも支障が出ているとのことだ。  清明の横には仮面を被った"犬"が一匹。  清明は犬のように扱っているが、はたから見れば犬のような風貌の妖魔。全身の毛が黒く、逆立っていて、手足が細長い。仮面の下はギラギラした金色の目と、妙に長い舌を垂らしている。  顔を隠してしまえば普通の犬と思えなくもない。 「クロ!側を離れるなよ」  声をかけるとぴったり後ろについてくる。  清明は妖魔問題の解決に当たっているが、一方で子どもの頃から妖魔の類でも害がないとわかれば従えたり、遊び相手にして大人を驚かせていた。  もちろん周囲の大人はやめさせようとした。しかし本人は頑なに言う事を聞かず、条件付きで本人の好きにさせることになった。  清明の世話人と、屋敷の中には数人の妖魔払いが雇われ、問題が起こらないか目を光らせていた。  また、妖魔は本来なら滅多に姿を表さない。騒ぎになってはいけないので人目に触れないようにすること、と決められた。  クロは清明が少年の頃にどこからか拾ってきた妖魔だ。恐ろしい風貌に反して清明の言うことをよく聞き、鼻も利くので妖魔関係の事件の時は仮面を着けて猟犬のように連れて行くことが多かった。   前日は、近場で話を聞いて回ったが噂以上の情報は掴めず。  山道の入り口付近の住人ですら「何も知らない」という始末。  実際に見たとか、襲われたと言う人には出会えなかった。とりあえず一度様子を見てみるかと、山へ登る事にしたのだった。  朝から山に入り、ひたすら登る。  屋敷の中で大人しくしているより外に出て体を動かす方が性に合っているので、山を登るのは苦ではない。  山道は、普段は人が歩いているにしては荒れていて、歩くたびに後ろ頭で束ねられている長い髪が大きく揺れる。  今は妖魔の噂が広まっているからか、人はほとんどいなかった。  中腹あたりまでたどり着いた頃、ちょうど腰かけるのに良さそうな岩がある場所を通りかかり、朝から歩き通しだったことに気付く。 「ちょっと休んでいこう」  足を止めると、岩の横にある獣道に向かってクロが何やら反応している。 「行ってみるか?」  人一人がやっと通れるくらいの道を掻き分けて進む。獣道なのか、人が使っていた細道なのかはわからなかった。  しばらく歩くと、そう広くはないが開けた場所があらわれた。  もともと何かあったのか、石や木片が散乱している。  クロがしきりに辺りを嗅いでまる。  清明は足元に落ちている文字の書かれた木片を拾って眺めた。墨の文字が滲んで内容はよくわからない。  ふと嫌な気配を感じて顔を上げた瞬間、向かいの茂みから背丈ほどある巨大な猪がゆっくり姿を現した。  背が大きく盛り上がり、顔には白い牙が反り返っている。明らかにただの猪ではない。 「!!」  刺激しないように動きを止めて様子を伺うが、猪はすでにかなり興奮しているようで、ごうごうと鼻息が鳴っている。  クロが主人を守ろうと唸り声を上げて清明の前に出ようとした。 「クロ、待て!動くな!」  横目で逃げ道を探すが、この距離ではすぐ追いつかれてしまうだろう。木にでも登るかと考えて一瞬上に視線を動かした瞬間、クロに向かって猪が駆け出してきた。 「クロ…!」  勇敢に立ち向かおうとするクロをとっさに抱えて横に放る。  自分も避けようとしたが間に合わず、正面から猪が突っ込んできて清明は吹っ飛ばされた。  そのまま斜面を転がり落ちて、木にぶつかって意識を失った。

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