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第六章① かげろう

 橘肇は、物心のつく頃には既に、この世の残酷さを知っていた。    肇の母は、確かに橘の血を引いてはいるが、妾の子であった。そんな彼女が、世話になった実家を捨てて、どこの馬の骨とも知れない輩と契りを交わし、肇を産んだというわけである。世間体を考え、その頃既に家督を継いでいた伯父――肇の母の異母兄が肇を引き取ったが、彼らにとって肇は疎ましい存在以外の何物でもなかった。  肇は、曲がりなりにも家長の息子であるはずだが、専用の個室は与えられず、住み込みで働く使用人の部屋で寝起きした。食事も使用人と同じものを与えられ、家族と食卓を共にすることは許されなかった。  年の近い兄が二人いたが――もちろん血縁上は従兄に当たるが――肇とは関わるなときつく言い聞かされていたらしく、ほとんど接したことはない。使用人達も同様で、肇に対する態度は酷くよそよそしく、冷たいものであった。  肇の居場所は、最初から最後までどこにもなかった。立場上は橘のお坊ちゃんでありながら真の家族とは認められず、使用人部屋で暮らしていながら下働きさえ望まれない。誰からも求められず、認識すらされない、まるで透明人間のような存在だった。    誰かがその目に肇の姿を映す時。それは、性欲と支配欲に目が眩んだ時だけである。    初体験は最悪だった。小学校に上がって間もない頃だったと記憶している。草木も眠る丑三つ時、誰かが肇の布団に忍び込んだ。体を撫で回す男のざらざらとした手の感触に、肇は自然と目が覚めた。   「……だれ?」 「しぃー。坊ちゃん、静かに。今から楽しいことをするんですよ」 「たのしいこと……?」    その声には聞き覚えがあった。よく庭木の剪定なんかをしていた男だ。  楽しいことって何だろう。なんて、一瞬でも期待したのが愚かだった。娯楽の乏しい、つまらない少年時代を送っていたにしても、危機感があまりに薄すぎる。   「い゛っ……!?」    男の骨張った太い指が、無遠慮に肇の蕾を引き裂いた。痛みに呻いた肇の口を、男の大きな手が塞ぐ。息をするのも苦しい。   「坊ちゃん、坊ちゃん。しぃーですよ。大丈夫。すぐに気持ちよくなりますから」 「っ、うぅ゛……」    ぐりぐりと指がねじ込まれる。唾液で濡らしたようだが、まるで滑りが足りない。肇の柔い粘膜を切り裂いて、繊細なところをこじ開けられる。   「ふ、っう、んぅぅ゛……」    声も出せないままに、肇はぼろぼろと涙を零した。未知の恐怖と痛みに襲われていた。しかし、そんな肇の様子には気付かず、男はただ肇の内側のことにばかり熱中していた。そのことがまた肇には恐ろしかった。   「いいですか坊ちゃん。善二に合わせてくださいね」 「っ、や、なに? いや……っ」    まるで胴体が真っ二つに割れるような、そんな感覚だった。肉を裂き、骨を砕いて、男の凶器が体の中に攻め入ってくる。内側から殴り付けられ、腹が破けてしまいそうだった。そうでなくても、中は酷いことになっている。粘膜が裂けて血が流れて、内臓がねじれて元に戻らない。   「や゛、ぅ゛あ゛、やだっ、やだぁ、いたいよっ」 「すぐによくなりますから。善二は気持ちいいですよ。坊ちゃんのナカ、とってもいいです」 「やだ、やっ、やめて、いやっ、いたいっ」 「坊ちゃん、しぃー。しぃーですよ。いい子だから」    肇が騒ぐと、男は口を押さえ付ける。本当に、苦しすぎて死んでしまいそう。胃の中身が逆流し、尻が壊れて、内臓が破裂して、今すぐにでも無惨な死体へと成り果ててしまいそうだった。   「だれか……っ」    誰も見向きもしない。同じ部屋には他にも数人寝ていたが、一人は息を潜めて微動だにせず、一人は布団を頭まで被り、一人は寝返りを打って背を向けた。  肇は再び絶望した。こんなものなのだ。この家における、肇の値打ちというのは。誰に尊ばれる価値もない、生きていても死んでいてもどちらでもいい、そんな存在。誰の目にも映らない。悲鳴は誰にも届かない。

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