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第五章③
草木も眠る丑三つ時。薫は物音に目を覚ました。ずぶ濡れの肇が立っていた。
「おかえり」
「……まだいたのか、てめぇ」
「真純置いてくわけにいかないじゃん。すごい雨だね」
「傘もねぇし、最悪だったわ」
肇は濡れた上着を脱ぎ、静かに腰を下ろした。眠る真純の枕元には、白い骨箱が見守るように置かれている。
「……悪かったな。取り乱した」
「別に。僕はむしろ、ああいうとこもっと見せてほしいって思ってるよ」
「とんでもねぇ性癖してんな」
「褒めないでよ」
「褒めてねぇよ」
肇は骨箱をそっと撫でた。真純を撫でるのと似ている、慈しむような手付きだ。
「呆れただろ。死んだ嫁の骨一つ捨てられねぇ、情けねぇ男なんだよ、俺は」
「……そのことで提案なんだけど」
「……」
「お墓、建てない?」
オレンジの豆球に照らされた暗がりに、時を刻む音だけが響く。
「無理にとは言わないけど。ちゃんとお墓作って、供養してあげた方がいいんじゃないかなって。その方が気持ちの整理も付けやすいかなって……」
「……」
「……ごめん、余計なお世話だった?」
「……いや、単純に金がねぇ」
薫は胸中で安堵した。そういった問題ならいくらでも融通が利く。
「お金は僕が出すよ」
「てめぇ、また貧乏人を馬鹿にして」
「うん。だから体で返してね」
愛嬌たっぷりに軽口を叩いてみれば、肇は喉の奥を鳴らして笑った。
「ひでぇ男だな。人の弱みに付け込みやがって」
「まぁまぁ。先払いってことで」
「借金の間違いだろ」
「利息は付けないから。良心的でしょ」
そうと決まれば善は急げだ。近隣の霊園を探し、石材店で墓石を決めて、あっという間に納骨式の日取りがやってきた。
「ぱぱぁ、ままが」
普段味わうことのない厳粛な雰囲気に、真純はそわそわしていた。読経の最中も落ち着きがなく、手を繋いでもあっちこっちへ動き回ろうとするので、肇は真純を抱っこした。
「ままは?」
「ママはこれからお墓に入るんだ」
「どこ? もうこないの?」
「ママはもうどこにもいない。お前もそのうち分かるようになる」
「さみしーの?」
「……ああ。寂しいな」
肇は声を震わせて真純を抱きしめた。
遺骨を納め、納骨室が閉じられる。「まま、まま」と呼ぶ真純の声が寒空の下に切なく響き、念仏を唱える僧侶が涙ぐむ。薫もハンカチを握りしめる。肇は眦を赤らめて、下唇を噛みしめていた。
儀式を終えても、肇は墓前を離れられずにいた。手向けた花が風にそよぐ。
「まま、ねんねしちゃった」
「ああ。これからずうっとだ」
「ずーっと?」
「ずっと……世界中どこを探しても、ママはもうどこにもいない。二度と帰ってこない。俺が……死なせたから……」
「え~? まま、いるよぉ。ここねぇ、ままのあたらしいおうちなの」
「……」
「ぱぱぁ? いたいいたいなの?」
「……少しな」
「だいじょーぶだよ。ますみが、よしよししてあげう」
「……」
「ぱーぱ! こっちきて!」
肇がしゃがむと、真純はその頭を小さな胸に抱いて、小さい手で優しく撫でた。肇は、真純の小さな体をしっかりと抱きしめて、静かに肩を震わせた。その様子を、薫はただ遠くから眺めているだけだった。
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