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第十章① 極上の男

 仕事を終えて家に帰ると、いつも通り、真純が一人で勉強をしている。   「父ちゃんおかえり」 「ああ。ただいま」 「ごはんにする?」 「宿題終わってからでいいわ」 「宿題はもう終わってるよ。これは自学」    真純は勉強道具を片付けて、てきぱきとテーブルを拭く。よくできた息子だと、肇はつくづく実感する。本当に己の子だろうか。母親の血が色濃く出たのかもしれない。  二人きりで食卓を囲む。育ち盛りの真純はごはんをお代わりする。食後は二人で食器を洗い、順番に入浴する。真純はもう親と入浴する年齢ではない。時々、怖い番組を見た夜なんかはそれとなく肇を誘うこともあるが、弱虫は恥ずかしいと自分でも思っているらしく、最近はめっきり減った。   「もう寝るね」 「おう。おやすみ」    適当にテレビを見た後、十時前に真純は就寝する。肇が何も言わなくても、時間になると自然と眠くなるようだ。   「父ちゃんも早く寝なよ」 「ガキが心配してんなよ」    真純はもう、親と一緒でなければ寝られない年齢ではない。その分、肇は夜の時間を自由に過ごせるようになった。だが、たった一人で何をすればいいというのだろう。  晩酌は飽きた。一人で飲むと昔を思い出して気分が萎える。深夜番組はつまらない。ネット配信の映画も面白みに欠ける。何か口に入れたい気がするが、真純がよく飲んでいるココアは甘すぎるし、薫がよく飲んでいたハーブティーは癖があって好きじゃない。菓子を摘まむ気分でもない。  結局、肇も早々に寝室に引っ込んだ。真純を起こさないよう注意を払いながら、そっと布団を捲る。   「……父ちゃん」 「起きてたのか」 「うん。寝らんなかった」    真純はもぞもぞと肇の布団に潜り込む。   「狭ぇよ」 「だって、父ちゃん寂しいかと思って」 「寂しいのはお前だろうが」 「……うん。そうかも」    真純は呟き、肇に抱きついた。子供の体温が冷えた体を暖める。   「……薫くん、結局来なかったね」 「忙しいんだろ」 「飛行機、とっくに着いてるよ」 「実家に顔見せねぇでどうすんだよ」 「でも、夜には帰ってくるって言ってた。みんなでお寿司行こうって、父ちゃんも楽しみにしてた」 「寿司なんざ、後でいくらでも連れてってやるよ。あいつがいなきゃ、回る寿司になっちまうけどな」 「……お寿司が食べたいんじゃないよ……」    俯いて黙り込んだ真純の頭を、肇は宥めるように撫でた。  一年ほど前から、薫は海外に留学している。数か月に一度帰国するが、それは実家の都合で呼び戻されているだけであって、肇や真純に会うためではない。それでも、色々と口実をつけて会いに来てはくれるが、今日のように急遽予定が変更になることもしばしばだ。   「……父ちゃんは、なんで薫くんと付き合ってるの?」 「なんでって」 「薫くんって、ぼくたちとは住んでる世界が違うよね。なんか、すごいお金持ちの家の人なんでしょ? ぼくと父ちゃん二人だったら、こんなマンション絶対住めないと思うし」 「お前、俺の稼ぎが悪いってか」 「父ちゃん、お金のために薫くんと一緒にいるの? 生活を楽にするために、お金持ちの若造に取り入ってるの?」 「おま、んな言葉遣いどこで覚えんだよ」 「父ちゃん」 「俺か……」    肇と薫がなぜ付き合っているのか。話せば長くなるし、真純に聞かせる話でもない。そもそも、付き合っていると断言していいのだろうか。何となく、ずっと一緒にいるだけだ。最初は金目的で寝ていたが、どうして同居するまでに至ったのだったか。薫がそういったことを申し出て、肇も悪い気はしなかったから受け入れた。ただそれだけのことだ。   「薫くん、全然帰ってこないし、約束破るし」 「わざとじゃねぇんだから、許してやれよ」 「わざとじゃなくても、寂しいもん」 「お前、よっぽどあいつが好きなんだな」    真純は小さく頷いた。   「でも、父ちゃんを一人にするから嫌い。ずっと待ってたのに、ひどいよ」 「……あのなぁ、真純。よく聞けよ」 「うん……」 「何か月に一回しか会えなくても、俺は特に不満はねぇ」 「うそだ」 「嘘じゃねぇって。お前がさっき言ったことな、薫が別世界の人間だって。あれ、マジでそうなんだよ。あいつはまだ若いし、才能もあるし、正直俺には高嶺の花だ。なのに、そんな神様みてぇなやつが、俺なんかを相手にしてんだぜ? それだけで十分すぎるほど贅沢だろうが」 「……よくわかんない」    真純は訝るような顔をした。   「薫くんは、父ちゃんのこと、ちゃんと好きなの?」 「じゃなきゃ十年も一緒にいねぇよ」 「父ちゃんも?」 「だろうな。でも、俺もあいつももう大人で、お子ちゃまが想像するような恋愛はとっくに卒業してんだよ。四六時中ベタベタしてなきゃ落ち着かねぇなんて、高校生の言うことだろ」 「……やっぱりよくわかんないよ」 「お前が心配するほど、寂しかねぇってこと。どうせあと一年もすりゃ嫌でも帰ってくんだ。それまで二人暮らしを満喫しようぜ」 「……確かに、父ちゃん独り占めできるのは嬉しい」    真純は、肇の体にぎゅっと手足を巻き付けて抱きついた。柔らかなほっぺをぷにぷにとすり寄せる。   「今日はこうやって寝る」 「なんだ、赤ちゃん返りか?」 「だって父ちゃん、ほんとはやっぱりさみしいでしょ。ほんのちょっとでも、薫くんのこと待ってたでしょ」 「……」    薫が好きで買っていたハーブティーを一杯淹れて飲んだことを、真純に見抜かれている。結局舌に合わず、半分ほど残して捨てようとして、もったいないと思い留まり、鼻を摘まんで飲み干した。聡い真純にはきっとそこまで見抜かれている。   「……ほんとの少しだけな。薫には内緒だぞ」 「うん。二人の秘密ね」    久しぶりに、父子で寄り添って眠った。

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