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第十一章⑤

 右腕と左腕、そして腰にも鈍痛が走る。肇は眉を顰めて目を覚ました。図体のデカい子供が二人、肇の腕を枕にしていた。   「肇。おはよ」    薫が頭をもたげて肇を見やると、肇は鬱陶しそうに薫を押しのけた。   「重い。邪魔だ」 「え~、ひどぉい」 「何が……つか、この声……」    肇は渇いた咳をする。それでも容易には治らない、砂漠みたいに掠れた声。しかし、薫に言わせればそんな声もまた色っぽい。濃密な情事の残滓を感じさせる。肇は恨めしげに薫を睨んだ。   「……むちゃくちゃしやがって……」 「だって、肇が真純ばっかり甘やかすから……」    自分で言って、あまりの子供っぽさに恥ずかしくなった。薫は自分で思っているよりもずっと子供じみたところがある。昔からあまり変わっていない。   「お前なぁ……」 「だってそうじゃん。肇を抱くのは僕だけなのに。そりゃあ、僕も悪かったよ。お見合いなんて、きっぱり断ればよかった。肇を不安にさせるつもりなんてなかったのに」    女々しいような気もするけれど、気持ちが溢れて止まらない。   「でも、だからってこんな、当てつけみたいに真純としなくてもいいじゃん。僕だって、僕の方が、肇のこと好きなのにさ」 「……」 「あっ、めんどくさいって思ってるでしょ。いいよもう、僕はどうせ真純には敵わないんだし、分かってるし」 「おいおい、そう卑屈になんなよ。俺ァ、お前も真純も平等に甘やかしてるつもりなんだがな」 「……ほんと?」 「伝わってなかったか? なら、俺の落ち度だな」 「……」    肇は美しくも妖しい笑みを湛える。口の端の傷が魅惑的に薫を惹き付ける。   「信じられねぇか? こんな俺には飽き飽きしたかよ」 「っ、なわけない! 大好きだよ、肇!」 「ならよかったぜ」    薫は肇を抱きしめた。薫の方が身長は高いが、全体的な肉付きというか、ガタイは肇の方がいいので、抱きしめると体に馴染むし、気持ちがいい。薫にとってこんなにも抱きしめ甲斐のある人間は他にいないだろう。   「でも、やっぱ真純とするのはダメでしょ」 「そうかァ?」 「そうだよ。僕も途中ハイになっちゃったけど、冷静に考えて、親子なんだからさ」 「……」    肇はぴんと来ていない様子で、きょとんと首を傾げた。   「親子だとダメなのか?」 「だ、ダメだよ、普通は」 「……俺は親がいねぇから、普通の親子ってもんが分からねぇのかもな」 「……」    そういえばそうだった。肇の複雑な家庭環境を思い、薫は胸を痛める。まぁ、だからといって実の息子に抱かれることを良しとするのはどういう倫理観なんだと問い詰めたくはなるが。   「俺もガキの頃から親父に掘られてたし、そんなもんかと」 「……えっ?!」 「兄貴と3Pしたこともあるが、それに比べりゃ今日のはまだヌルかったしな」 「えっ、ちょ……待って待って、聞いてないよ?」    突如撃ち込まれた爆弾に、薫は脳の処理が追いつかない。  親父というのは、肇を引き取った伯父のことだろうか。実家に帰るとたまに顔を合わせる。取り繕うのも不可能ほどに後退した前髪を思い出し、「あのクソジジイ、いつか殺さなきゃ」と薫は心の中で悪態を吐いた。  兄については顔も思い出せない。おそらく会ったことはあるだろうが、よっぽど影の薄い連中に違いない。一目で薫の心を奪った肇とは比べるにも値しない。   「言ってなかったか?」 「初耳……」 「ま、過ぎた話だ。あの頃は俺もガキだったし、ちょうど使い勝手がよかったんだろ。今は何とも思っちゃいねぇよ」 「……」    肇はあっけらかんと言い放つが、薫の胸にはどす黒い闇が渦巻く。肇が実家でどんな扱いを受けていたのか、上辺だけ見て判断していた己が憎らしい。やはり財産を没収して家を取り潰すしかない。  そんな薫の胸中を察したのか、肇は安心させるように薫の頭を撫で回した。   「んな顔すんなよ。俺がこんなこと話せるの、お前しかいねぇんだぞ」 「……それは……嬉しいけど。やっぱり許せない」 「俺がいいっつってんだから、いいんだよ。昔のことだ」 「……でもっ……」 「俺のためにお前が怒ってくれるのは嬉しいぜ」 「……」 「ああ、真純には言うなよ。変な気遣わせたくねぇからな」 「言うわけないよ……」    男らしい指が、ふわふわの髪に絡む。そうやって宥めるように撫でられるうち、薫の胸を塞ぐ闇は徐々に薄まった。薫の扱い方を、肇はよく心得ている。   「真純が俺としたいなら、別にいいと思ったんだ。女と違って孕むわけでもねぇ。いつか好きな女を抱く時のための練習がしたいなら、付き合ってやってもいいと思ったんだがな」 「いや……そういう問題? 真純、確実に性癖捻じ曲がっちゃってるじゃん」 「確かにな~。練習って感じではなかったよな」    練習台どころか、真純は肇に本気だ。想像の遥か斜め上を行くファザコンぶりである。そして、そうなったのはきっと薫の責任でもある。薫が肇を女として扱うものだから――隠しているつもりでも、こういった雰囲気は漏れ出てしまうものである――真純も肇を性の対象として見るようになったのではないか。   「さすがに、親父のケツでしかイけなくなったら後々まずいよな」 「そりゃそうだよ。親離れできないってレベルじゃないよ」 「でも俺、真純がまたしてぇっつったら、たぶんまたさせてやると思うわ」 「ちょ、ダメだからね?!」 「なんで」 「いや、だから親子だし! 親子でエッチは普通しないから!」 「俺ら元々普通じゃねぇんだから、今更だろ」 「そ、そんなことないって……肇もいい加減子離れしな?」 「はっ、お前が俺を独占したいだけだろ」 「当たり前でしょ! 僕、こう見えて独占欲強いんだからね」 「んなの、とっくの昔から知ってるわ」    肇の指が、そっと薫の頬に触れた。ああ、これからキスされるんだ、と思い薫は目を瞑ったが、いくら待っても唇が触れない。その代わりといっては何だが、真純の声が静かに響いた。   「……おれ、親父としたいなんてもう言わない」    声変わりは終えているのに、肇や薫と比べて幾分高く不安定だ。その低音をいまだ自分のものとして使いこなせていない、そんな危うさを感じさせる少年の声。   「真純ィ、起きてたのかよ」 「二人がうるさくて起きた。あと今チューしようとしてたろ」 「あは、バレた?」 「子供の前でそういうのよくないぞ」 「ごめん……」    薫は小さくなって謝った。子供が父親を抱くのはいいのか、という話は、今は棚に上げておく。真純は、肇に腕枕されたままの姿勢で、甘えるように抱きついた。胸の膨らみを指先でくすぐるようになぞる。   「……おれだって、分かってる。親父は俺だけの親父じゃないし、いつまでも一緒ってわけにはいかないんだ。親父が選んだ男なら、そいつがどんなに酷いやつでも、おれは祝福してやらなきゃならないんだ」 「ちょっと待って。酷い男って僕のこと?」 「親父はちょっとおかしいから、息子に抱かれるのも平気みたいだけど、おれは、そういうのはよくないって、ちゃんと分かってるし」 「おい待て。誰の頭がおかしいって?」 「……だから、おれは……」    真純は、肇の広い胸に、頬をぎゅっと押し付けた。   「あんたに親父をやってもいいけど、その代わり、絶対に親父を幸せにするって、誓ってもらわなきゃ困るんだ」 「……大袈裟だな。今で十分だぜ、俺は」 「だめだ。絶対に親父を一人にしないし、二度と泣かせたりしないって、約束してくれなきゃ親父はやれない」 「いや……だから、泣いてはねぇから……。これ以上俺に恥かかすな……」    肇は困ったように言いながら、満更でもない様子で真純の頭を撫で回す。真純は肇に抱きついたまま、品定めするように薫を見つめた。肇とそっくりな黒い瞳が、真っ直ぐに薫を射抜いている。   「そういうことなら、僕にいい考えがあるよ」    長らく密かに温めていたが、言い出せずにいた薫の考え。   「結婚式、しよう」

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