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35話・付き合う目的

 食事を済ませた後も伊咲センパイは俺のそばから離れたがらなかった。可愛くて仕方ないので、洗った食器を隣で拭いてくれるようお願いする。 「あのね、獅堂くん」 「ハイッ」  拭き終えた皿を食器棚に戻しながら、伊咲センパイが口を開いた。明日の朝食の仕込みをする手を止めて笑顔で返事をすると、彼は照れたように口元をほころばせた。 「僕、こんな風に恋人と穏やかな時間を過ごすのが夢だったんだ」  田賀とどんな付き合いかたをしていたかは詳しくは知らないが、おそらく今とは何もかもが違ったのだろう。伊咲センパイの口ぶりから色々と察し、黙って続きを促す。 「君との交際を前向きに考えた理由はね、千代田くんに後押しされたのがきっかけだけど、毎日毎日飽きもせず口説きに来る君を見て、こんな真っ直ぐな人に愛されたらきっと幸せになれるんだろうなって思ったからなんだ」  ひと目惚れから半年間、俺は毎日伊咲センパイに会うためだけに中庭に通い続けた。何度振られても諦めるなんて選択肢はなかった。相当ウザかったと自分でも思う。でも、俺のしつこい求愛行動は伊咲センパイの心に少しずつ変化をもたらしていたらしい。過去の俺、よくやった。 「正直、恋愛とかもういいやって思っていたけど、もう一度だけ信じてみたくなった」  彼が受けた心の傷は深くて大きい。どう頑張っても無かったことにはできないけれど、癒やすためならなんでもしてあげたい。  手早く仕込みを終えてから伊咲センパイを正面から抱きしめた。彼は少しも抵抗せず、俺の腕の中に体を預けている。  不安の元である田賀を目の前で撃退てみせたことで、わずかに残っていた心の壁みたいなものが完全に取り払われた気がした。 「チャンスをくれてありがとうございます」 「ううん、僕こそ君には感謝してる。こんな僕を好きになってくれて、たくさん大事にしてくれて、守ってくれてありがとう」  伊咲センパイの腕が俺の背中に回され、ぎゅっと抱きしめ返された。はあ、可愛い。好き。  しかし、さっきの言葉は聞き流せないので訂正させてもらう。 「俺まだ本気を見せてないっすよ」 「うそ!」  伊咲センパイが驚きのあまり伏せていた顔を上げた。間近で視線を合わせ、にんまりと笑って見せる。 「心配事も片付いたし、今後は全力で愛させてもらいますんで、遠慮なく幸せになってください」 「今まで手加減してたの? アレで!?」  あまり俺を舐めないでいただきたい。なにしろ、こんなに好きになった相手は人生初なので限度がわからないのである。今までは引かれないように抑えてきたが、邪魔者が消えた今、我慢する必要はなくなった。 「ほ、ほどほどでいいんだからね……?」  まず伊咲センパイを脱衣所に連行し、有無を言わさず服を脱がせる。俺はシャツとトランクスだけ身に付けた状態で二人で浴室内へと入った。困惑する伊咲センパイには先に湯船に浸かってもらう。 「え、なに? なにが始まるの?」 「気にせずゆっくり温まってください」  本当は二人で浸かりたいところだが、浴槽が小さ過ぎて断念した。  湯に浸かった状態で洗い場側に頭を出してもらう。丸めたタオルを置き、浴槽の縁で首を痛めないよう配慮した。顔にシャワーがかからないよう注意しながら髪を洗い、長めの艶やかな黒髪が指の隙間を通り抜ける感触を楽しむ。初めは戸惑っていた伊咲センパイも徐々に体の力を抜いてリラックスし始めた。  シャンプー後のコンディショナーをぬるめのシャワーで流す。軽くタオルドライしてからトリートメントを塗布し、時間を置く間に洗い場に出てもらった。ボディーソープをしっかり泡立て、背中を流していく。顔や体の前部分は伊咲センパイに任せたが、ゆくゆくは俺に全部洗わせていただきたい。 「はぁ、気持ちよかった」  お風呂上がりに冷たいジュースとアイスを差し出すと、ほかほかの伊咲センパイがほうと息をついた。俺はといえば、彼の後ろに立ってドライヤーで濡れた髪を乾かしている最中である。丁寧に櫛を通したおかげでしっとりツヤツヤの髪に仕上がった。達成感がすごい。 「次はマッサージしますね。手ぇ痛くないっすか? 肩は凝ってない?」  昼間ガタイの良い男をブン殴っていたので伊咲センパイの手が心配だ。腫れや傷がないと確認済みだが、時間が経って症状が出ることもある。痛みはなさそうだったので、そのまま指先から付け根にかけて軽く握るようにして揉みほぐしていく。 「力加減はどうっすか。強くない?」 「ちょうど良い」 「わかりました、じゃあこれくらいで」  指先から手のひら、肘から二の腕、肩にかけてじっくり時間をかけてマッサージした。首周りや背中のツボを押す頃には、伊咲センパイは完全に脱力しきっていた。 「さ、口を開けてください」 「ちょ、待って待って!」  しかし、歯ブラシとコップを持つ俺を見るなり正気に戻ってしまう。 「獅堂くん、なにをしようとしてるの」 「? 歯磨きっすけど」 「自分でやるから! そこまでしなくていい!」  俺の手から歯ブラシを引ったくると、伊咲センパイは洗面所へと駆けていった。残念、全部お世話したかったのに。 「何事にも限度というものがあってね……」 「そうっすね。あ、寒くないっすか?」 「人の話はちゃんと聞くものだよ獅堂くん」  歯を磨いた後、綺麗に整えたベッドに寝かせると、伊咲センパイが不服そうに頬を膨らませた。掛け布団の上からぽんぽん叩いていた手を止めて視線を合わせると、彼は頬を赤らめて真っ向から見返してくる。 「き、今日は、その、しないの?」 「昼間に色々あったから疲れてますよね。ゆっくり体を休めてください」 「えっ!?」  俺の言葉に対して驚きの声が返ってきた。バッと上半身を起こし、伊咲センパイは俺の肩を掴んで揺さぶってくる。 「あんなに毎日セックスしたがっていたのにどうしたの? 君こそ疲れてるんじゃない? 熱とかある?」 「めっちゃ元気っすよ」 「じゃあ……もしかして、もう僕にそういう気が起きなくなっちゃった……?」  今の発言で、ふだん俺がどんな風に見られているのかがよくわかった。 「伊咲センパイ」  肩を掴む手を払い退け、ベッドに押し倒す。 「俺は別にセックスだけが目的で付き合ってるわけじゃないんすよ」  真面目な顔で見下ろすと、伊咲センパイは綺麗な目を大きく見開いた。

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