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第1話

水瀬真(みなせまこと)は二月の冷たい北風の中、そろそろ終電という時間帯に珍しく走っているかのような急ぎ足で自宅に向かっていた。 勤め先の最寄り駅から乗り換え無しで六駅、さらに駅からは徒歩で十分、都心から程よい距離感にある築二十年のマンションに彼の住む部屋がある。 いつもと違っていたのは歩く速さだけでは無かった。 途中のコンビニで受け取った小さめの箱を胸に抱えている事と、家に着くなり靴を脱ぎ捨てるように玄関に放り出し冷え冷えとした室内に大股で勢いよく飛び込んだ事だ。 通勤カバンをベッドの脇に放り投げ大事に抱えていた小包を一人暮らしの部屋に見合った小さなテーブルの上にそっと置いた。 それからまだ息が整わないのにマフラーを首に巻いたスーツ姿のまま脚を折り畳んでダンボール箱に向かい、それに施された封を丁寧に剥がしていった。 「どれどれ」 前のめりで中を覗き込む顔がいつもより血色良く見えるのは走るような早歩きで帰ってきたからだけでない。 今日届いた箱の中身を心待ちにしていたからだろう。 ウキウキとワクワクが入り交じったまるで遠足前の子供と同じ。 ダンボールの端を捲ると空気を含ませるように丸められた紙の下に待ち望んでいたそれがあった。 「わわ!結構な異物感じゃないの?」 初めて見た実物に真は大きな声で誰かに問いかけるように言った。 緩衝材の中に埋もれていたそれはしなやかなラインもった黒いシリコン製のブツ。 ビニール袋に入ったまま指先で持ち上げ目の前でじっと見つめるその瞳は実に真剣そのものだ。 「こ…こんなサイズのモノを…俺の…に…」 若干震える真の声にはある種の決意が含まれていた。 真は二十五歳で身長は百七十七センチ、筋肉隆々でもガリガリでもない中肉中背、一度も染めたこともない黒髪は美容院に行くのが面倒という理由で少し長めをキープしており本人が若干気にしている姉&妹とお揃いの黒目がちの瞳を隠すのにも役立っている。 そして本人の自覚は全く無いのだが顔の作りはイケメン寄りと言われ同僚からは「せっかく顔が整っているのだからいいスーツを着て合コンにでも行けばいいのに」と普段言われている。 だが真は今まで色恋沙汰など綺麗さっぱり縁が無く…どちらかと言えば陰キャ寄りの自覚だけはあるからそんな陽キャどもが集う場所に参加する気は欠片も無い。 さらに真はヘテロではなく、いわゆるゲイ。 故に自分の嗜好を自覚した後は地味に真面目に生きていくしかないと本人は本気で思っていた。 …しかし真だって二十五のいい大人だ。 本音を言えば寄り添ってくれるような同性の恋人が欲しいし、人並みにエロい事も経験したい。 だが探して付き合うという難易度や身内にゲイバレするリスクを考えるとどうしても積極的になれず結果として何も行動を起こせないままこの歳になってしまった。 つい最近まで姉と同居していたのも原因の一つかもしれない。 かつては数少ない男友達と遊んだりしていた真だが一方的に好意を持ってしまうのが怖いせいでいつの間にか親しかった友人達とは疎遠になってしまい…結果としていわゆる〝ぼっち〟という分類に甘んじている…。 「もうね、せめて性欲だけは自給自足で何とかするしかないんだよ…」 ポツリと本音を呟く。 本当は恋人が欲しい真だが彼の決意とは湧き上がる欲求…主にエロ方面…を何とかする、という事だった。 「あ、もうこんな時間か」 未来の相棒を袋の上からひとしきり眺めた後、真は黒光りするブツをビニール袋から取り出しそっとテーブルの上に置いてようやくマフラーを解き始めた。 「よく金曜日に届いたよな〜ラッキー」 土日が休みの会社で良かったと心底思いつつ真は上機嫌でハンガーに上着とスラックスを掛けワイシャツのボタンを外した。 「まずは風呂に入って…それから…」 真は鞄の中の携帯が鳴っているのにも気が付かず、ブツブツと呟きながらリビングを出て行った。

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