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僕の仕事

 別にそこまで真剣な話をするつもりでは無く、適当に聞き流してくれれば良かったのだが、相手は元海兵隊員だ。ショッピングモールのフードコートでぺちゃんこのビッグマックを齧りながら、神妙な顔で相槌を打ち続ける事、14時過ぎまで──3時間近く語り続けた事になる。尤もその内の3分の2程は、たった今まで観ていたジェイソン・ステイサムの新作映画を始め、下らない雑談に費やしていたが。 「これだけ仕事を押し付けられてるんだ。今更選挙対策委員を引き受ける位一緒さ。それに事務所を開く頃には、少なくとも高速鉄道周りについては片付いてるだろうし」 「ご両親とは、大丈夫なのか」 「もうすっかり熱が冷めてるよ。今は、確かマレイの高齢者住宅について攻勢を掛けてる……ハリーが市長になる前に建てた奴。今年の夏の『テリーサ』、あれでもう、2011年度の予算で建設した住宅は全滅だぜ。酷い話だ」 「うちの祖母をあそこにやらなくて本当に良かったよ」  ハリケーンで家の屋根が吹き飛び、おばあちゃんが凍えている姿を想像したのだろう。モーは益々憂鬱な顔つきで、オレンジジュースを啜る。 「ま、それはともかくとして……辞令が出るとしたら、主任補佐官への昇格と同時にだと思う。エルが大分推してくれる事は知ってるんだ。でも、そうなると僕の後任が……君はどう?」 「何だって?」 「広報官の仕事に興味はないかなって」  モーが瞠目すれはするほど、ヴェラスコの気分は爽快になる。萎びて焦げたフライドポテトへ手を伸ばす気も起ころうと言うものだ。 「もうハリーが市長に就任して3年弱だ。君も満更事情が分からない訳じゃないだろう。寧ろ秘書として、一番沢山のネタを知ってるのは君かも」 「俺は、そんな陰謀を企んだりは得意じゃないから」 「まだ30代なのに、向上心が無いのってどうなんだよ。もっとさあ、ドカンと大きい事したいと思わない? このまま40になるのを、易々諾々と待ってるつもりか。その頃になったらハリーも州知事になってる。ある程度キャリア積んでおかないと、街へ置いてかれるかも」  モーは黙って、傍らを走り抜ける落ち着きのないガキの為、椅子を引いてやる。そう言う気遣いは出来るのだ。彼の気の良さは、ハリーを癒す役へ大いに立っているだろう。  そうでなくても──認めるのは何となく複雑なのだが、この3年弱で、モデスティ・テートは秘書として、かなり成長したと思う。無闇矢鱈とコピー機に紙を詰まらせなくなった。ハリーがファックしている間に来訪者を捌く態度も、まあ目を瞑れる程度にはそつが無い。  だが本来、人間、癒しが欲しいならば、犬でも飼えば良いのだ。  追加注文したウィンチェルの青いドーナツを、モーはじっくりと噛み締めていた。一個食べ終わった時、持ち上げられた目は、もう躊躇い一辺倒では無くなっている。 「君は呆れるかも知れないが、俺は、この街に生まれ育った人間として、故郷に愛着がある。だから除隊後、ここの求人へ応募した」 「それは何にも悪い事じゃないと思うよ」 「だが今は、市長に……ハリーに忠誠を誓ってる。彼が望むなら、俺は付いていくさ。もしも彼が、俺を必要としないなら」 「しないなら?」  そう口にしてから、ヴェラスコがダイエットコークを飲み終わっても、続きが紡がれることはなかった。  このままだと、モーはミニドーナツの詰め合わせを一人で食べ切ってしまうだろう。彼はデカい図体に見合った胃袋を持っているし、ストレスが溜まると更に食欲が亢進する。そんな些細な相似点を発見し、共感を覚える事が出来る程度に、彼と親交を深めた。  だからヴェラスコは、素直に「悪かったよ」と謝罪し、後2つしかドーナツの残っていないプラスチックケースを引き寄せる。 「前にも言ったかも知れないけど、君は無条件でハリーを愛する役目を与えられてる。僕やエル達には絶対出来ない感情労働だ。君はそれが重荷?」 「重荷じゃ無いから困ってる」  ざらざらと赤いパッケージからポテトの残りを手に出し、モーは胃薬でも飲むように全部頬張った。 「……やっぱり俺は、馬鹿なのか」 「ハリーだって、周りにあんまり小賢しい人間ばっかりいたら疲れると思うし」  馬鹿と何とかは使いよう。彼は十分、ハリーに尽くしている。誰でもやれる訳では無い仕事を。 「ステイサムの新作を観てきたって」  西区図書館の蔵書に関する稟議書をタブレットに表示させ、ハリーは尋ねた──市長室の応接カウチに腰掛けたヴェラスコの膝へ、巨大な尻の重みを教え込むよう横座りになったまま。 「君とモーって、意外と仲良いよな」 「別に僕は、彼のことを嫌ってませんよ」  先程まで耽っていた軽いペッティングで解かれた己自身のネクタイで、鼻先をぺちぺち手持ち無沙汰に叩かれる。「後でたっぷり可愛がってあげますよ」と偉そうな口を利いた年下の男への意趣返し。全く大した余裕だ。この議題は明日の議会で採決に掛けられる。副市長のディーンへ媚を売っておく為にもなるべく通したいのだが、こんな時に限って多数党と少数党、両方の院内総務が結託して、可決されそうにない。 「少なくとも映画の趣味は合います。敵のCIAのケースオフィサーを演じたクライヴ・オーウェンが」 「ストップ、配信サイトで解禁されるまでネタバレは禁止だ」 「じゃあそれまでに、ヤンファン少数党院内総務を懐柔する作戦を考えて下さい」  またエルメス製のシルクに襲われそうになり、ヴェラスコは顰める眉を隠しもせず、首を捻って避けた。 「マレイにはこの前も、海岸の防砂林の事で折れさせましたからね。しかも年明けのトリファー区の上水道の事で、譲歩させる必要がある。今回は使えませんよ」 「くそ、あの頑固親父」  空気が干からびてしまいそうなほど轟々と暖房が音を立てているオフィスは、外の肌寒さとは全く無縁の世界だった。お互いのワイシャツ越しに、まだ残る肌の火照りを感じる。今やハリーの熱は、性的興奮ではなく腹立ちへ変わりつつあるようだったが。 「トーニャがそこまで臍を曲げている理由は?」 「先に彼女の地元や、ジェファーソン地区の図書館へ、英語の本を入れるべきだと」 「ヒスパニックが多いジェファーソンはともかく、チャイナタウンは金持ちの華僑達がかなり寄贈してくれているだろう」 「コロナ以降、あの辺りの若者は先祖の故郷に帰ろうとする傾向にありますからね。蔵書も古い中国語の本が多い。彼らにはこの国に留まって貰わないと」 「ああ、でも」  まるで液晶画面に表示されるPDFを愛撫しているかの如く、そっと指先でパラグラフをなぞり、ハリーは溜息を漏らした。 「僕らの自業自得だよ。困っている彼らを蔑ろにした」    例えどんな名医が執刀しても、手術後のリハビリを怠れば患者は回復しない。マイノリティの元高校教師であるヤンファンは元より、ハリー自身もかなり本腰を入れ、ダメージを受けた少数派の人々に関する政策を推し進めた。あくまでも、同じ州の他の都市に比べて、と言う意味だが。 「いいえ、ハリー。あなたが他の市長は取り組まなかった問題に手を付けたのは確かです。結果もそれなりに伴いました」 「それなりに、か。街の弱者の救世主、ヴィラロボス夫妻の息子の発言にしちゃ、随分弱気だな」 「僕は嘘をつきません」  枝垂れ掛かってくる頭を、軽く肩を揺する動きで己の楽な位置へずらし、ヴェラスコは答えた。 「ハッタリをかますだけです」 「嘘とハッタリの違いは?」 「嘘は最初から叶えるつもりがない。ハッタリは未来の努力を担保にします」 「で、君は将来も死ぬ程頑張って、選対委員長に収まるつもりか」  ほら来た、と内心独りごちることで、跳ね上がった心臓を何とか宥める──どうせこの聡い男にはお見通しだろう。読んでいるのか怪しい速度でスクロールされる文書を、とんと指でタップする事で止めさせる。 「今任されている事で、僕がミスをした事はありましたか」 「いいや。君はこれ以上ない優秀なオールラウンダーだよ」 「じゃあ、後一つ位業務が増えたところで、どうって事ありませんね。市長を選ぶ仕事は、この街を愛する人間が行うべきでは?」  こちらへ漫然と向けられたエメラルドの瞳は、まるで宝石にヒビが入り、中に閉じ込めた美しい雫が溢れ出したかのように、とろんと潤んでいる。思わずヴェラスコが舌打ちしてしまいたくなったのを先回りするよう、その目はゆったり細められる。 「そんな粋がってると、本気で指名するからな」  どうぞどうぞと虚勢を張る、子供っぽさの上塗りをする気に今はなれない。むっすりと口をつぐみ、ヴェラスコは取り上げたタブレットへ、次に話し合うべき議題の概要が記されたPDFを開いた。

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