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ポイズン・アイビー
テキストにゴードンが気付いたのは、遊園地からパーティー会場へ向かうストレッチ・リモの中での事だった──嘘は良くない。朝から、少なくとも次女からは2通ほど着信していたはずだ。
ポップアップだけでも内容は大まかに把握できる。「遊園地開園おめでとう」とか「また特別チケット送ってよ」とか。「これを機会にお姉ちゃんともっと話し合ったら」とか。
画面をスワイプすれば、他ならぬ長女からも「とうとうやったね」と親指を立てた絵文字付きでメッセージが来ている。彼女なりの最大限の譲歩だ。全く泣けてくる。
「娘さん達、オープン記念へ呼んであげたら良かったのに」
「SNS映えを重視するティーンの子が、こんな田舎の遊園地なんて面白いと思うかよ」
てっきりエリオットはスマートフォンの画面を覗き込んでいたのかと思ったが、顔を上げた先の横顔は、流れ行く夜の車窓の景色に向けられたまま。寧ろ正面に座るハリーが、若干むっとした顔で唇を引き結ぶ。
「何にせよ、これでひと段落付けたんだ。もっと彼女達に会ってやれば」
「特に上の娘が、あんたに会うのを遠慮してるんでね」
別にこの場の空気を悪くしたい訳ではさらさら無かった。今日はハリー・ハーロウにとって特別な一日だ。
ディズニー・ワールドですら、開園初日はまだアスファルトが乾いていなかったと言われるのに、ブリック・ランドのオープニング・セレモニーは気味悪いほど滞りなく進んだ。コーヒーカップの稼働開始が来週からになった事なんて、トラブルのうちに入らない。
黙り込んだハリーの横で、忠実なる秘書が物言いたげな目つきでこちらを見つめている。奴が癇に障る取りなしを動きの鈍い舌で宣う前に、ゴードンは乱暴にシートへ身を投げ出し、天を仰いだ。
「とにかく、今日は上出来だ。今夜ばかりは羽目を外しても許されるでしょう」
「そうだね、会場は主賓の登場を待ち構えて、すっかり温まってるらしい」
既に祝賀会場の市民ホールで待機しているヴェラスコとやり取りしているのだろう。己のスマートフォンに短くテキストを打ち込み、エリオットは微笑んだ。
「パーティー券の売上も上々だし……来週のチャリティーデーに、恵まれない子供達が100人は入園できる。それまでにはきっとコーヒーカップも完成してるさ」
涼しい顔でそんなことを嘯いていたのは車の中でのみ。会場でシャンペングラスをつまみ壁の花になって30分。そろそろまた外面を浮かべて歩き回らなければならないと思っていた頃、「娘さん達、ちゃんと連れてこいよ」と囁いたエリオットは、徹底的に真顔だった。
「何もまたハリーに会わせろとは言ってない。ただ、彼女達がシケたジェットコースターの前に立ってる写真がSNSに載ったら、彼もちょっとは喜ぶ」
「あんたはほんと、彼に甘いな」
溜息に続いて、ゴードンはシャンパンのせいですっかり酸っぱくなったおくびを吐き出した。
「それでいて、子供ってもんを分かってない。父親とは、どうあるべきかって言うのもな」
「しばらくはなる予定もないからね」
辛辣さはいつも通り柳に風で流される。それが今日に限っては、少し苛立たしい。
「何にせよ、選択を誤るなよ」
ヴェラスコが今は亡き多数党院内総務の秘書に絡まれているのを、ゴードンと同じく目撃したのだろう。すっとその場を離れざま、エリオットは首を振った。
「私はお前ほど優しくないからな、今回はハリーにつくぞ」
優しいだって? 冗談も大概にしろ。人混みの中に見え隠れするエリオットの後ろ姿へ、ゴードンは内心吐き捨てた。彼の事ならほぼ分かると思っていたが、最近どうも波長がずれる。これまでにも偶にあった、大抵は何か大きな出来事があった時に──子供が産まれた時、転職した時、そして彼に誘われイーリング市へ家財道具を運び込んだ時。
しばらく適度な距離を置けば戻るので、心配はしていない。感じているのは怒りだ。己が単に、この感情を偉大なるエリオットへ仮託しているだけだと、勿論ゴードンは理解していた。理解は出来るが正しい演算を打ち込み情報処理するのが難しい。
大事なのは適度な距離。なのにハリーは目敏くこちらへ歩み寄ってくる。
「そんな白けた顔するなよ、せっかくの祝いの席で」
「これが地顔ですと言いたいところですが、実際色々あるんでね」
「だろうな。心中察して有り余るよ」
いいや、あんたには分からない、絶対に。そうがなり立てる代わりに、顎をしゃくって歩き出すハリーの後ろへ付いていく。するすると喧騒の間をすり抜け、市長が導いたのは、なんて事だろう、人気のないバルコニー?
何杯かきこしめているのか、薄暗がりの中でハリーの横顔はうっすらと色付き、情事の後を思わせる。そんな風に考えてしまった己に、益々腹立ちは募る。確かに己は性欲が強いと自認していたが、こんなにもひっきりなしにムラつくことは、ハリーと会うまで無かった。
全てはハリー・ハーロウ、この街の市長のせい。本来一緒に過ごすべき娘達よりも長い時間を共有し、彼の為に持てる力全てを注ぎ込む。
「グラスが空っぽだ……とにかく、感謝してるよゴーディ。今回のプロジェクトは君無しで、絶対に成し遂げられなかった」
「あんたエルに何を吹き込んだんです」
開口一番そう言った時、瞬かれる睫毛の態とらしさと言えば!
「別に何も。彼は、僕がどうこう出来る人間じゃない、自分の意思で、納得した行動しか取らないさ」
それは間違いないのかも知れない。エル・エリオットは大した男であるのかも知れない。けれど、少し考えてから再び唇を開いた時、ハリーはやはり呑気に笑っていた。
「娘さん達の話、まだ根に持ってるのか」
同じ人間の胸ぐらを2度も掴む事など、そうそうありはしない。1度目ならカッとなって、の言い訳が効くけれど、次となるともう、明確な感情を相手に抱いている証だからだ。そんな相手とは離れるに越したことがない。仕事で感情的になって良かった試しなどないのだから。
ここで削り落とした感情を娘達に降りかけてやればいい。それで何もかも上手くいく。彼女達の為にも、一刻も早く修復しなければならないのに、時間はすり減っていくばかり。
全く、己らしくない。
「あんたが壊したんですよ」
「ああ、そうだな」
低い笑いが闇の中へ響く。間違いなくアルコールの混じった熱い吐息は、彼の正気をとことん担保しているように思えた。
「僕は守る事が出来ない人間なんだ。部下1人ね……壊して、突き進む。それしか方法を知らない」
本当は分かっている。全て己の行動が招いた結果だと。エル・エリオットと同じく、自らだって己の行動したいように物事を運んで生きてきた。
そして己達は、目の前の男の中に眠る同じく種を芽吹かせた──水を与えたことなど一度もないと、どうして言えるだろう。
そしてハリーの伸ばす蔦は、いつの日か全てを絡め取るだろう。それまで己は養分として捧げるのみだ。全てを。これまで最も大事だと標榜してきた存在までも。
或いは、押し付けたと言うべきなのかも知れないが。
寒さの中、身を凍り付かせたハリーは、軽く叩けばひびを走らせそうな有様だった。それでも、エメラルドの瞳だけは炯々と輝き続ける。覗き込み、ゴードンは口髭ごと唇を笑みで捻じ曲げてみせた。
「心配いりませんよ、ハリー。俺は何があっても、あんたの為に戦ってやる。あんたが戦うのを止めようとしたら、その時は」
感情的になるのはもう止めよう。生産性が一切ない。白くなるほど握りしめていた手をぱっと離し、ゴードンはバルコニーの柵へ寄りかかった。
「動き過ぎて酔いが回りましたよ。水を取ってきて貰えませんかね」
「あ、ああ……?」
急な解放に、ハリーは間違いなく拍子抜けした様子。足早に部屋へ戻りながら、何度も振り返る時、その表情はすっかり当惑しきっていた。
「分かった……酔ってるんだな。確かにちょっとおかしい……そこでじっとしてるんだ、落っこちるなよ」
「くそったれ」
酔ってなどいるものか。頭の中ではもう、ふやけた祝賀の空気を振り払い、いつも通りトルクを上げに上げている。
デカい成果を一つ挙げた、これの影響が出始めた頃に選挙戦が始まる。いや、因果関係を逆にしなければ。何としても、街頭演説が本格化する前に経済効果を実証してみせるのだ。それには遊園地が存在しているだけではとても足りない。
これから忙しくなる。早いとこ娘達を呼んで、家族サービスを済ませよう。英気を養い、オリヴィアと和解すれば、落ち着いて仕事へ取り組める。
その為に、やるべき事は一つ。スラックスからスマートフォンを取り出すと、ゴードンは未読無視していた子供達のテキストツリーを開いた。
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