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おまけSS 君の好きなところ
「ただいまー」
仕事を終えて帰宅した高山は、玄関に侑人の靴があるのを確認して、ネクタイを緩めた。
キッチンに入ると、鍋をかき混ぜていた侑人が顔を上げる。
「おかえりなさい」
「お、今夜はシチューか。いい匂いしてんなあ」
華奢な体を背後から抱きしめるようにして、鍋の中を覗き込む。
シチューには、一口大の肉や野菜がごろごろと入っており、クリーミーな匂いからして食欲がそそられるようだった。
「こら、火使ってんだから触んな」
「んー? IHなんだからいいだろ」
「それでも駄目っ」
パッとこちらから逃れ、侑人が真面目な顔で注意する。高山は手をひらつかせて返した。
「はいはい。何か手伝うことあるか?」
「もう煮込むだけだから大丈夫。高山さんはゆっくりしてていいよ」
「そんじゃ、お言葉に甘えるとするよ」
と、侑人のこめかみに軽く口づけてから、その場をあとにした。ジャケットをハンガーに掛け、洗面所で手を洗ってリビングへと向かう。
テレビを見ながらぼんやりしているうちにも、キッチンからいい匂いが漂ってくる。ほどなくして、シチューをメインとした美味しそうな料理が食卓に並んだ。
「いただきます」
二人で向かい合って座り、手を合わせる。
さっそくシチューを口に運べば、ホワイトソースのまろやかな味わいが口いっぱいに広がった。肉や野菜から溶け出した旨味もあいまって、なんとも絶品である。
「あーすっげえ染みる。やっぱ、侑人の作るシチューって美味いよな」
「いや、パッケージに書いてあるとおりに作ってるだけだし。そんなこと言ったら、高山さんが作った方がよっぽど美味いのに」
「そうか? 俺はお前に作ってもらった方が美味く感じるが。なんつーかこう、愛情的な?」
「………………」
「おいおい。なんだよ、その目は……」
ジトッとした視線を向けられ、高山は苦笑をもらした。
侑人は小さくため息をついてから口を開く。
「なあ、高山さんは――俺のどこがそんなに好きなの?」
「うん?」
唐突な質問に、スプーンを持つ手が止まった。
その反応を見て、「あ、ごめん」と侑人は言葉を返してくる。
「べつに深い意味はないんだけど。ただ、ちょっと気になってさ」
どこか自信なさげな口調に、高山はふっと笑った。
ならばこちらも付き合うまでだと思い、しばし思案する。とはいえ、あらためて考えるまでもないことだ。
「そうだなあ。いろいろあるが……俺の気持ちと真剣に向き合ってくれるところ、とか?」
「なんだよ、それ。当然のことじゃん」
「そういうのが意外と難しいもんなんだろ。それに俺は、侑人が見えないところで努力してんの知ってるしな」
言って、視線を下げる。
侑人の指先には、真新しい絆創膏が巻かれていた。血が薄っすらと滲んでおり、おそらくは調理中に軽く切ってしまったのだろう。
こちらの視線に気づくなり、侑人はそっと隠すように手を引っ込めた。
「ふうん、そうなんだ……」
素っ気ない口調で返すと、黙々とシチューを口に運ぶ。だが、その頬はほんのりと赤く色づいており、満更でもない様子だった。
(前から、こういうヤツなんだよな)
真面目で努力家なところは美徳だが、実のところは意地っ張りな性格が先行する。そんな侑人は、自分の弱い部分をあまり見せたがらない。他人に頼ることをよしとせず、すぐ一人で抱え込もうとしてしまう。
だからこそ放っておけないというか――つい手を貸したくなるし、守ってやりたくもなるのだ。
「あの、健二さん」
不意に名前を呼ばれ、高山は思考を打ち切る。
見れば、侑人が緊張した面持ちで視線をさまよわせていた。話はまだ終わっていなかったらしく、何か言いたげに口を開閉させている。
「どうした? 急にあらたまって」
「あ、いや……その」
侑人はしばし言い淀んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……ありがとう。俺のこと、いつも見ていてくれて」
気恥ずかしげにしながらも、上目遣いに見つめてくる。その仕草があまりにも可愛らしくて、高山は胸の奥が熱くなるのを感じた。
(ったく、こいつは)
本人は無自覚なのだろうが、だからこそ余計にタチが悪い。
ついでに、「やっぱり料理教室でも通おうかな……」などと独り言のように呟いては、生真面目っぷりを発揮する始末だ。本当にこちらの心を惹きつけてやまない存在である。
「………………」
高山はやれやれと嘆息し、侑人の方へ手を伸ばす。それから、柔らかな髪をくしゃりと撫でた。
「んっ、食ってるときはやめろよ」
「じゃあ、食い終わったら。あとでじっくりお前のこと可愛がらせてくれ」
「いちいち言い方がオヤジくさい。つーか、冷めないうちにシチュー食えって」
悪態も単なる照れ隠しでしかない。
高山は口元を緩めたあと、再びシチューを口に運ぶ。
「美味い」と――そう繰り返せば、ますます心に染み入るものがあった。
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