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序章

 すべての始まりは、(はる)がいわくつきのマッチ箱をもらったことだった。  箱は手のひらに収まる大きさで、黄ばんだ外箱に「山吹商店」と店名が印刷してあった。くれたのは、如月(きさらぎ)久弥(ひさや)大尉である。 「まず開けてみてくれ、鈴木伍長。中に二本だけ、マッチが入っているだろう」  如月の言う通り。外箱をずらすと、先っぽが黒いマッチが二本、見えた。 「このマッチ箱はね。なんというか、説明しにくいんだが。科学的にあり得ない、不思議なことを起こすんだ」 「……」 「『何言ってるんだ、こいつは』という顔だな」 「いえ、そんなことは…」 「ごまかさなくていい。俺だってこれをもらった時に、くれた人間からそういう話をされて、同じような顔をしていたと思う」  如月は柔らかく笑う。笑うと、垂れた目尻にシワが寄る。いかにも人が良く、優しげな笑い方で、謹厳実直を旨とする帝国軍人には、あまりふさわしくない。  でも、如月のその温かい笑みが、晴は好きだった。  歳の離れた弟を相手にするように、如月は言った。 「いいかい。二本ある内のどちらでもいい。一本擦ったら、さっき言ったように不思議なことが起こる。そして、もう一本を擦ったら、それが終わって元に戻る」 「何が起こるんですか?」 「そいつは…言わない方がいいかな」 「どうしてです?」 「言ったら、いよいよ頭のおかしいやつだと思われる。(うえ)の耳に入った日には、きっと俺は憲兵の世話になるか、さもなくば精神病院送りだろうな」 「俺は、告げ口なんてしません!」  晴はムキになって否定する。  如月がそんな窮地に陥ったら、むしろなりふり構わず擁護に回るだろう。  晴の反応が面白かったのか、如月はまた笑った。それから晴の坊主頭を、軽くポンポンとはたいた。 「お前はいいやつだな」  如月はそう言うと、話は終わりというように立ち上がった。  晴も慌てて、如月にならった。 「…大尉どの。どうして俺に、そんな不思議なマッチをくれるんです?」  部下に聞かれて、如月は改めてそのことに思い至ったようだ。 「うーん。どうしてかな。うまく言えないが、お前に渡すべきだと、思ったんだー…ああ、きっとこれも、マッチが持つ不思議な力のせいなのかもしれない」  如月は晴を眺める。  もらった小箱を、宝物のように持つ青年の姿に、満足したように言った。 「二本のマッチは、それぞれ一回しか使えないから。よく考えて、大事に使ってくれよ」  …そういう会話を交わした翌日。  晴が所属する飛行隊の隊長であった如月久弥大尉は、大阪上空で戦死した。  日本の市街を爆撃するために来襲した米軍のB-29と、その護衛機であるP-51「マスタング」と交戦中の出来事であった。

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