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1.ミナミのタスマニアデビル⑩

 その声が合図かのように、3人のうちの1人、ツーブロックの剃り込みの部分に、十字架のバリアートの入った肥った男が、景虎の方に弾丸みたいに飛び込んできた。屈めた身体の真ん中、鈍く光るものを握っているのが見える。  ナイフや! そう庄助が声を上げる前に、景虎は庄助をポイッと猫の子を放るかのように作業車の脇に投げ捨てた。強かに地面で尻を打ちつける。尾てい骨が痺れて、庄助は呻いた。 「カゲっ!」  怪我する! 刺さって死ぬ! 庄助は慌てた。が、景虎は身を引いて長い脚を大きく一振りすると、肥った男のこめかみにかすめるように靴のつま先を当てた。一瞬のことで派手な音もなかったが、たったそれだけで男はガクンと力なく膝をつく。何事かを呻きながら、丸いシルエットの身体を更に地面の上で丸め、まるで卵みたいになってしまった。 「強く蹴らなくても、脳さえ揺れればしばらく動けなくなる。ちょうどいい、見てろ庄助」  男の手からカランと音を立てて落ちたナイフを、庄助の方に蹴り飛ばしてから景虎は構えた。 「ナメんな!」  もう一人が角材を振りかぶって襲い掛かる。景虎はそれを、まるで軌道が読めるかのように容易く躱した。狙いを外し、勢い余って地面を殴って、勢いよく跳ね返った長物を捉えるように脇腹に挟む。慌ててそれを抜こうとする男に、ぐっと近づいて至近距離から顎に掌底を叩き込んだ。 「すげー……!」  思わず庄助は感嘆の声を漏らした。  ナイフや長い棒は、当てるために一旦腕を引く。目線と腕の動きと握り方、そして可動域を考えれば、どこを狙っているかわかるようになる。だから躱すのも簡単なのだと、景虎は後で庄助に教えた。  二人目が駐車場のアスファルトに崩れ落ちるのと同時に、野次馬が数名、駐車場の外に群がってきた。騒ぎになって警察が来たり、ネットに動画を上げられるのはお互いによろしくない。  茶髪の男は「覚えてろよ」と捨て台詞を吐くと、仲間を置いて走り去った。景虎は涼しい顔で棒切れをそこらに捨てると、俺らも行くぞと庄助に手を貸して立ち上がらせた。  争った現場から早足に離れて、何もなかったかのように大通りまで出て人混みに紛れる。夜の東京は、店の看板の光が惜しみなく溢れるようで賑やかだ。大阪に比べると建物の外観デザインも全体的にスタイリッシュにできている気がする。  先を行く景虎の、金色の腕時計のついた左手首を、追いかけてきた庄助が捕まえた。 「待って……待ってや、カゲ!」  キラキラと輝く邪気のない茶色の目がショウガラゴのそれみたいだと、立ち止まった景虎は見下ろしながら思った。 「お前強いねんな、すごい。めっちゃドキドキした。かっこいい~!」  庄助は感動していた。芝居の殺陣みたいに、男たちを怪我の一つもなく見事にいなしてみせた景虎を、心からかっこいいと感じた。  一方、ぎゅっと強く手を握られて、景虎は柄にもなく胸が高鳴った。犬歯を見せて笑う庄助の頬は、興奮で少し上気している。自分とは違う手のひらの、柔らかい体温を感じる。  庄助は今、媚びもへつらいも打算もなく、ただ純粋に自分の存在を認めて褒めてくれている。突然、横っ面を殴られて目が覚めたみたいな心地だった。普段あまり大きく動くことのない種類の感情が、どぼどぼと血のように腹の内側に吹き出てくる。景虎は困惑した。 「いや……そんなことはない。俺はこれしかできないからヤクザになったんだし……」  柄にもなくしどろもどろになって、まるで自分に言い含めるようにそう呟く景虎を、庄助は不思議そうに覗き込んだ。 「そうなん? でも俺もカゲみたいに強いヤクザになりたい」  その日景虎は初めて気づいた。胸をまっすぐ射抜いてくる庄助の素直な言葉は、脅威であり暴力だと。  チャカの弾が肉に入り込んで取れないように、飛び散った鉛が膿んでゆくように。庄助の存在はいつの間にか景虎の中に入り込んで甘く爛れはじめていた。

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