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第二幕 1.ハッピーさんとワナビーくん②
「失礼します、遅くなりました。いや~、ナカバヤシさん話が長いんですよね、矢野さんと飯食ってるって言ってんのにほんと……」
ぶつぶつとそう言いながら、国枝聖 は、沓脱石 に自分の履物を几帳面に揃えている。
国枝は、庄助と景虎の詰める事務所の所長で、織原組のフロント企業である【株式会社ユニバーサルインテリア】を取り仕切っている。裏の顔は現役武闘派ヤクザだ。
「あ、矢野さんまぁたいっぱい酒飲んでんですか? も~ほどほどにしといてくださいよ。この前だって数値がやばくて検査入院になったでしょ」
矢野の隣に陣取りながら、新しいおしぼりで手指を綺麗に拭いている。席を外して電話に出ていたようだ。
「うるせェな聖は……お前はおれの女房かっての」
少しきまりが悪そうに、矢野はふきの煮物をつついている。
矢野も国枝も胡散臭くはあるが、一見してヤクザとわかる見た目でないのは、立場が上になるとそうなっていくのかな、と庄助は不思議に感じた。
かたや自分の隣の景虎は、顔のつくりこそ浮世離れした美形ではあるものの、半袖シャツの袖からチラチラと見える彫物や頬の刀疵は、どう見てもカタギではない。
「電話してくるとか言いながら、ちゃっかりタバコ吸ってきてやがんな」
矢野は、国枝の耳のあたりに鼻を近づけると、スンスンと音を鳴らして嗅いだ。
無遠慮に人の匂いを嗅ぐところは、血がつながっていないといえど、景虎にそっくりだと庄助は思った。そういう教育方針のご家庭なのだろうか。
心底嫌そうに、国枝は身体を捻った。
「わ、ちょっとやめてくださいよ……ほんと、おぢって距離感バグっててやだなぁ」
「なんだと。おぢはてめェもだろうが」
軽口を叩く気易い距離感に、二人の関係性が見て取れる。国枝曰く、矢野とは、彼が景虎の後見人になる前からの長い長い付き合いだという。
「や、そりゃ俺もおじさんですけどね……あ、そだ、庄助。さっきの話どうした? 決めたの?」
国枝が尋ねると、庄助は今一度背筋をピンとのばし、居住まいを正し咳払いをした。
「俺は……正式に織原組に入りたいです。だから、矢野さん……組長? ちがうな、あっ……親父と盃を交わしたいです!」
“親父”という呼び方がしっくりきたのか、ぱっと花が咲いたように頬を紅潮させて、庄助は自らの決意を述べた。座敷の外にも漏れていそうな、張りのある大声だった。
しかし庄助の高いテンションとは裏腹に、ヤクザたちは静まり返った。
あれっなんか……あかんこと言うた? と、庄助は焦った。空調が効いていて涼しいのに、冷や汗がぶわっと背中に湧いた。
国枝が中座したことにより、先程から話が途切れていたようだが、ヤクザたちは今、庄助を正式に組員にするかどうか、その場合、盃をどうするか。などについて雁首を突き合わせて話し合っていた。
下っ端の、どこの馬の骨ともわからないような若者を、わざわざ行きつけの日本料理屋に相伴するなどということは異例で、組の人間からも「それちょっとどうなんだ」などと反発は少なからず起きていたようだ。
が、義理の息子と一緒に暮らす人間を見ておきたいという矢野の鶴の一声には、誰も逆らえなかった。
長い沈黙を破ったのは、その矢野の笑い声だった。
「ぶはっ! 景虎お前、なんて顔してやがる」
破顔した矢野の視線の先、庄助が隣を見るとそこには、骨から肉を齧り取るヤブイヌのごときに、眉間と鼻の頭にシワを寄せた景虎がいた。
多分、景虎はものすごく怒っている。怒っているが、矢野の手前ある程度我慢しているのだろう。それにしても表情に出すぎである。いつもの鉄仮面はどうしたというのだろうか。
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