80 / 170

第二幕 1.ハッピーさんとワナビーくん⑤

 6月の夜は蒸し暑く、アルコールで火照った庄助の頬は、なかなか冷えなかった。  二人して電車に乗って帰って、都会の片隅の小さな駅から、一緒に暮らすアパートまでの十数分の道を歩く。  いまだしつこく残る昼の熱に滲む空に、月がやけに明るく光っている。 「ほい、こっちカゲの」  突っ切ると近道になる総合公園の中の、暗闇に浮かび上がるように立つ自動販売機。庄助は水のボトルを2本買うと、1本を景虎に投げてよこした。 「しんど~、電車の匂いに酔ったぁ。ちょっと休憩しよ」  庄助は脱いだ背広を背もたれに引っ掛けた。ネクタイごと緩めた襟ぐりから、水を飲む喉仏が美味そうに上下するのを、景虎は見つめていた。  今日は風が強い。自販機の足下に誰かが捨てた炭酸飲料のペットボトルが、カラカラと道の向こうに転がってゆく。庄助は飲み口から唇を離すと、ひとつ伸びをしてから言った。 「飯、美味かったなぁ」 「そうか、よかった」 「カゲの親父、若いんやから食えって、俺の茶碗に自分の白飯めっちゃ盛ってくんねん。田舎のじいちゃんみたいや」 「親父は前に胃をやってるから、あまり食えないんだ。すまない」 「なんでお前が謝るねん。ええ人やしおもろかったし」  庄助は笑うと、サイズの合っていない革靴をカポカポと鳴らした。  23時半を回った夜の公園は、人通りが極端に少ない。明るいうちのように、子供連れで遊んだりジョギングしている人は当たり前にゼロで、大きな四角い出前用のリュックを背負った男が、目の前の道を自転車で走り去って行ったのを最後に、人の姿を見ていない。  景虎は、庄助の隣に腰かけた。庄助のトレードマークのイヤーカフや眉ピアスは、組長と顔合わせだからと、外して家に置いてきた。  何も着けてないのもまたいい。  見慣れたイヌがたまに首輪を外すと、なんとなく素朴で可愛い、ちょうどあの風情がある。景虎はそう思ったが、咳払いをして真面目な声を出した。 「庄助。盃のことだが俺はやっぱり反対だ」 「……言うと思っとった~!」  庄助は拗ねたようにそっぽを向いた。 「別に盃なんて交わさなくても、準構成員として立場を曖昧にしてる奴はいっぱいいる。わざわざ辞めにくくなるようなしきたりを、進んでやる必要はないだろう」 「はっ? 辞めへんし! 俺はそのへん、ちゃんとしたいだけで……」 「ほんとか? おおかた、映画みたいに紋付き着て大袈裟に盃事(さかずきごと)をやってみたいだけじゃないのか」 「そっ……!? そホんな、ことは……!」  図星を突かれて声が裏返る。庄助は嘘が下手くそだ。そういう愚直さ、単純ささえも自分にない美徳だと、景虎は愛しく思う。  真っ当でないカネや、嘘や暴力にまみれた世界に触れて、それが失われてしまうのは惜しかった。  まして、ヤクザなんていうのはこの先、どう考えても先細りの職業だ。  先細って金も旨味もなくなれば、若い人間がなりたがらない。  警察組織による締めつけは強くなる一方で、このままでは地下に潜らざるを得なくなる。そうすれば親も子も仁義もなくなり、いずれは半グレや海外のマフィアと何も変わらなくなる。  現に織原の一部、フットワークの軽い国枝などは、とっくに裏と表の仕事を使い分けていて、状況によっていつでもマフィア化できるように準備している。  脳天気な庄助は知る由もないが、きっと日本からヤクザがいなくなるのも、そう遠くない未来の話だ。

ともだちにシェアしよう!