98 / 168

第二幕 4.よいこにヤクザは難しい⑤

―お前は、“織原の虎”の相棒なんだろ。一人で先走るな―  血が出そうなほどきつく拳を握った。  喉を通って、もう舌の根まで飛び出しかかった怒りの感情が行き場をなくし、ちりちりと耳の下が痛む。 「く……」  飲み込んだ言葉が庄助の腹を灼く。 「どうした、何か言いてえのか」  胸元から上ってきた向田の指が、脅すように庄助の喉仏をゴリゴリと押す。とてつもなく不快で、腹に燻る怒りがまた逆流してきそうだった。 「……せんでした」 「聞こえねえよバカ」  ばちんと頬を叩かれ、庄助は咄嗟に向田を睨みつけた。  カラーレンズの奥から、蛇のような無機質な目が、庄助の挙動を見ている。  ここで庄助がなにかやらかしたとしても、景虎のことだからきっと、何かしら庇ってくれる気がする。でも、そんなのは嫌だった。  実力も経験も違っても、それでも対等に相棒と呼ばれていたい、迷惑をかけたくない。  震える唇が、少し間をおいて絞り出した。 「……すみま、せんでした」 「何がすみませんなんだ? 言ってみろ」 「く、ちごたえして……すみませんでした」  口の中が干上がったようにカラカラで、うまく喋れない。  心にも無い謝罪を口に出してしまった屈辱のせいで、はらわたを踏みにじられたように体の内側が痛かった。  悔しくて悔しくて、泣くつもりはまったくないのに、庄助の目頭にじわりと滲んだ涙が、大きな粒になって零れ落ちそうになっている。  それでも庄助は、向田を強く見つめたまま、目を逸らさなかった。それが唯一の抵抗だった。  向田は庄助の顔を見て、少し驚いたように片方の眉を上げると、タバコのカートリッジを胸ポケットにしまった。 「素直な奴は好きだぜ俺は」  ポンポンと庄助の肩を優しく叩くと、満足そうにニンマリと笑う。  向田という男はこんなふうに、怒ったフリをしたり優しくしてみたりして、人の感情を揺さぶるのが好きだった。そうすれば大抵の人間は、こちらの機嫌を損ねないように卑屈になるからだ。  卑屈な人間は冷静さを欠き、多少無茶な言うことでも聞きやすい。向田にとってはいいカモだ。  向田稔二は、国枝が嫌いだ。  自分より年下なのに、矢野に信頼されていて、事務所をひとつ任されている。  やる気はなさそうなくせに仕事はできて、荒事にも強く、しかも女にもモテる。何をするにも目の上のたんこぶだった。  あのクソ生意気な国枝を、どうにか出し抜いて鼻を明かしてやる。そのための駒は多いほうがいい。  来たるべきときに備え種を撒くために、まだ右も左もわからないような素人同然の庄助に声をかけたのだ。  ただの頭の悪い田舎者のガキンチョだと思っていたが、なかなかいい表情(かお)をする。  面白くなってきた、いっちょ揉んでやるか。 「一週間やるから、8万の倍持ってきな。計算できるか? 1日3万稼げばいいんだ、楽勝だろ」  そうヒカリに言い捨てて、向田はマンションの部屋を出た。庄助はその後をついてゆき、玄関の三和土(たたき)のところで振り返った。  磨りガラスに、ヒカリの薄いピンクのシャツがのろのろと動くシルエットが映る。  全然楽しくない。これがヤクザの仕事なんだろうか。  こんなことを、景虎はずっとやってきたのだろうか?  庄助は吐きそうな気持ちに蓋をして、ゴシゴシと涙で濡れた瞼を擦ると、ヒカリの部屋を後にした。

ともだちにシェアしよう!