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第二幕 7.ラッコですら石に執着するのに②
「つーか向田さんやばない? どない考えてもけったくそ悪いやろ?」
洗い物をしている景虎の背中に向かって、庄助はぶーたれている。
指の間を洗剤の泡の、ケミカルで清潔な香りが抜けてゆく。
一人で暮らしていた時の二倍以上になってしまった数の食器を、洗って立てかけておくスペースは狭い。水切り兼収納になってしまっているシンクの上の小さなラックに、茶碗たちが身を寄せ合うように収まっている。
「女殴るとか、最低やと思うねん」
昨日の仕事のことを話しながら、庄助は冷蔵庫を漁り、取り出したフルーツヨーグルトの封を切った。なんとなく、殴られたことは景虎には言わなかった。
べったりと白いヨーグルトの付着した蓋が、殺したての死体のようにぐでんと折れ曲がる。
景虎は、ペーパータオルで手指を拭うと、庄助の顔を見た。もう米粒はついていなかった。
庄助は、23という年齢にしても幼いと景虎は思う。考え方も、顔つきも。甘ったれのくせに、一人でやりたがる。図体だけは一人前な、イヤイヤ期の幼児のようだ。
そういうところが可愛らしくて、腹立たしい。何も知らないくせに、知らないなりの正義と持論を、誇らしげに語る柔らかい頬を、ぎゅっと抓り上げて泣かせたいと思ってしまう。
景虎は、電気ケトルに水道水を注ぐと、スイッチを入れた。ブレンドコーヒーの粉を、昨日庄助が使っていたマグカップに数杯落とす。
「……気持ちはわかるが、首を突っ込むな」
「カゲやったらほっとくん? 目の前で女の子がどつかれてんで」
「何もできないから放っておく。第一、その女は、何人もいる向田の商品のうちの一人だろ」
そう言われて、庄助は愕然とした。
確かに庄助が向田の彼女を、ヒカリを直接救ってやれるわけではないし、対価を払って身体を許すのが風俗嬢の仕事なら、商品という呼び方も間違っていないかもしれない。でも。
「そんな言い方……」
平時は大人しく無害で、ぼんやりとしている景虎の、裏の世界に染まって色濃くなった価値観がちらりと見えるたびに、庄助は少し切なくなる。
どちらが正しいとかではなく、自分とは全く違う環境に生きてきて、そうなるに至った景虎の境遇との隔たりがただ寂しかった。
「ヤクザの女には関わるな」
景虎はぴしゃりとそう言ってから、まんまとヤクザの女に手を出してリンチされた国枝の、あのニヤけた顔を思い出して腹がたった。が、まああの人は自分で始末できる実力があるからいいか。と、すぐに思い直した。
国枝は庄助とは年齢も経験も違うが、そもそも根本の持っているものが違う。15年以上付き合ってきたが、景虎は未だに彼の詳しい出自も知らない。
景虎からしても、国枝の底知れぬ胆力は恐ろしい。飄々と懐に近づき、気づけば喉笛を食いちぎっているような。味方だとしても油断できない、曲者の雰囲気は昔からある。
そのくせ、本人にはあまりやる気がない。
収まるべきポジションに収まれれば、さらに出世してやろうだとか、もっと金を儲けてやろうとか、そういった欲をあまりかかない。
ただ、命令されれば大抵のことはやるし、自分の領域を侵そうとする者を排除するときに容赦がない。
景虎とはそういったところがよく似ている、むしろ価値観は庄助よりもよほど景虎と合っているであろう。
暴力に長けているのは、ヤクザに必要な才能でもある。そして暴力とは、人を人と思っているうちは十分に行使できない。
国枝はもちろん、女を殴っている向田にすらできることが、庄助にはきっとできないのだと景虎は考える。なぜなら、庄助は当然のように、人を一人の人間として見て共感しているからだ。
人の痛みを理解し、助けるために行動する人間のことを、世間は“優しい”と評するのだ。
景虎たちのように、人を人と思わないで傷つけるためには、共感のスイッチを切ってしまう必要がある。
脅す、殴る、騙す、殺す。
これらは、人の気持ちを慮ることとは真逆の事柄だ。いちいち共感して悲しんでいては、精神がおかしくなってしまう。
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